ヘルニア、米津玄師らへの憧れ 五十嵐ハル、“元警察官”がネガティブを武器に切り開く音楽キャリア

「元警察官が独学で作曲してみた」。そんなキャッチフレーズが多くの人の目に留まり、SNSを中心にじわじわとその名を広めてきたシンガーソングライター、五十嵐ハル。生きていく中での辛さや上手くいかない恋愛の切なさなどを歌にしながら、同じような経験をしてきた人や、ネガティブな感情から抜け出せない人たちの心にスッと入り込むような楽曲を発信し続けている。今回は彼の音楽歴や衝撃のキャッチフレーズが生まれた経緯とともに、五十嵐ハルという人間の持ち味が詰まった最新曲「蛍」について話を聞いた。(山田邦子)
ヘルニアに支えられた警察官時代「音楽がなかったら、メンタルが壊れてた」
ーー子供の頃はどんな音楽を聴いていたんですか?
五十嵐ハル(以下、五十嵐):小学生の頃、親の車で聴いたB'zに衝撃を受けたんです。たぶん「ultra soul」だったと思うんですが、そこからいろんな音楽を聴くようになりました。近所のTSUTAYAのレンタルコーナーがすごく充実していたので、J-ROCKとか、おすすめとしてピックアップされてるものをまとめて借りて、とにかく聴き倒してましたね。自宅のパソコンのフォルダには数千曲入っていたと思います。
ーーそこからどんな経緯で、ご自身の音楽を作ることになったんですか?
五十嵐:小学校と中学校ではサッカーをやっていたんですが、中学の顧問の先生とうまくいかなかったのでサッカーを辞めたんですね。でも何か新しいことを始めたいなと思って親に相談したら、「音楽が好きなんだったら、楽器でもやってみたら?」と。もともと歌うことも好きでカラオケもよく行ってたから、ギターでも買ってみるかと思って弾き始めたのがきっかけです。高校でコピーバンドを組んだんですが、3年生くらいの時、オリジナルもやってみるかということで曲も作り始めました。パソコンで、最低限のソフトを揃えて作ったものなのでクオリティは低かったけど、それをみんなで演奏したりして。
ーー演奏する楽しさみたいなことも、すでに感じてました?
五十嵐:はい。ライブがめちゃくちゃ楽しかったんですよ。アドレナリンがすごく出て、これまでに感じたことのないような興奮を覚えました。あとは、曲ができた瞬間も。ドーパミンがブワーッと出るというか、「いい曲だなぁ」っていう快感がめちゃくちゃあるんです。時間が経つと「これ、本当に自分が作ったのかな?」って思うくらい。だから、今も曲を作り続けてるんだろうなと思います。
ーー高校卒業後は音楽の道ではなく、警察官になったそうですね。
五十嵐:当時はまさか音楽で食べられるようになると思ってなかったので、適当な大学にでも行くかぐらいの気持ちで高校に通っていたんです。でも途中から怠けてダラダラしてたら評定がどんどん落ちて、推薦での進学は無理だということになって。公務員コースならなんとかなるかもということでいろんな公務員試験を受けたら、たまたま警察に受かったんです。警察学校に行き、その後は都内の交番で警察官として勤務してました。
ーーお仕事と並行して、曲作りも?
五十嵐:愚痴を吐きたいけど吐けないから、歌詞を書くことで溜まりまくったストレスを消化してましたね。だけど機動隊に異動になってからは、全然時間も取れなくなりました。朝5時に起きて夜11時に終わって、また5時に起きるみたいな生活だったし、デモの時は最前列で体を張ったりすることもあったんですが、とにかくしんどかったです。
ーー警察の仕事はどれくらい続けたんですか?
五十嵐:4年半ぐらい勤めました。あとでお話しさせていただきますけど、当時はボカロPのヘルニアさんの曲にすごく支えられてましたね。
ーー自分で作ることで吐き出したり、聴くことで支えられたり。音楽の存在は大きかったんですね。
五十嵐:音楽がなかったら、メンタルが壊れてたんじゃないかなって思います。
ーーそんな生活の中で「やっぱり音楽がやりたい」という気持ちが湧き上がってくるのは自然なことだったんだろうなと思います。
五十嵐:音楽だけで稼げないとしても、このまま仕事をずっと続けるよりは、好きなことをやる方を優先したいなという思いがあって、お金より時間を取った感じでした。もうお金はいいから、音楽やらせてくれみたいな感覚でしたね。
ーー振り返ってみて、その辛かった時期を象徴している楽曲をあげるとしたら?
五十嵐:ボカロPをやっていたときの「それでも生きてみた。」という曲や、五十嵐ハル名義で作った「センチメンタルヒーロー」、「めんどくさいのうた」あたりは、そういうしんどかった時の気持ちが表れていると思います。
ーー今挙げられた楽曲はどれも、お聴きになった方から共感のコメントがたくさん寄せられていますね。
五十嵐:嬉しいです。もともとすごくネガティブな性格で、いつも「この曲、大丈夫かな」「気に入られるかな」って思いながらリリースしてるんですけど、そういうコメントに日々助けられてるんです。毎回いただいたコメントを読むことでちょっと安心できるし、出してよかったなって思えるので。
ーーボカロPをやっていたというお話がありましたが、「ぺむ」というお名前で活動されていたんですよね。
五十嵐:はい。高校を卒業してバンドも解散したんですが、音楽は続けたかったので、その頃盛んだったVOCALOIDを使って曲を作ってました。警察の期間も、辞めてからしばらくの間も、「ぺむ」としてやってましたね。
ーーそこから五十嵐ハルという名義に変え、自分の声で歌うようになったのは何かきっかけがあったんでしょうか。
五十嵐:名前を決めたのが学生の頃だったので、ちょっと可愛がられるような名前にしようと思って「ぺむ」にしたんですが、大人になってくると流石に恥ずかしくなったというか、名前を聞かれた時に「ぺむです」って言えなくなって(笑)。
ーー可愛すぎて(笑)。
五十嵐:はい。それで改名したいなというのもあったんですが、もともとは、いつか自分の声でやってみたいなとも思ってたんですよ。よく一緒にカラオケに行ってた友達も「いい声なんだから、武器になるじゃん」って言ってくれてたんですけど、やっぱり自分に自信がなかったんですよね。「大丈夫かな」とは思っていたけど、まぁやってみるかと。それでチャレンジしてみたんです。
ーー警察を辞めて音楽中心の生活が始まるわけですが、どうやったら多くの人に聴いてもらえるかというところでかなり試行錯誤されたそうですね。
五十嵐:辞めた時は、お金はどうでもいいから音楽やらせてくれっていうのはありましたけど、やっぱり自分の音楽を知ってもらわないと意味がないというか。自分の好きな音楽だけやれていればいいと言う人もいると思うけど、自分はそうじゃなくて、自己満足では終わりたくないんです。他の人に認められたら嬉しいのは事実だし、それを目標に作ってきたというのもあったので。特にアンチコメントが付いていたわけでもないけど、コメントが少ない、イコールこの曲は0点だったんだなみたいに捉えちゃったりして、最初の頃は落ち込んだりもしてましたね。
ーーそこで転機になったのが、警察官だったという経歴。
五十嵐:ちょうど「高校生が独学で曲作ってみた」みたいな動画が流行ってたんですよ。自分はちょっとカッコつけてたというか、肩書きとか使いたくないなって思ってたんですけど、そんなこだわりで伸びないのがいちばんカッコ悪いなと。自分が使える武器は全部使おうという考え方に変わって、「元警察官が独学で作曲してみた」っていう書き出しを動画の最初にバーンと出したんです。そしたらインスタとかTikTokとか、すごい反応があって。"元警察官"ってやっぱり人の目に留まるというか、「なんだこいつ!?」ってなるんだなと思いましたね。でもすごく嬉しかったです。
ーーこれは例えばの話ですが、そもそもこうやって音楽をやっていて、そこから警察官なり他の職業に転職する自分というのはイメージできますか?
五十嵐:全くできないです(笑)。今朝、ここに来るまで満員電車に乗ってきたんですけど、みんなすごく疲れた顔をしていて、自分にはもう本当に無理だなって思っちゃいました。警察官の時もそうでしたが、会社の正社員とか、誰かに従いながら決まったことをこなすのは、自分である必要がないのかなって思うんですよ。自分から興味を持ったことはすごく集中できるし、もっと知ろうって気持ちになるけど、そうじゃないことには興味も持てないし、仕事も覚えられないし、「別に俺がこの知識を得たとしても、大した影響ないだろうし」みたいな考えになっちゃって。
ーーそういう意味でいうと、自分の音楽は自分にしか作れないものですしね。
五十嵐:はい。だからずっと、音楽を聴くのも作るのも好きでいられてるんだと思います。
ーーだけど満員電車に乗っている誰かのイヤホンからは五十嵐ハルの音楽が流れていて、五十嵐さん自身がかつてそうだったように、その曲に支えられながら働いているのかもしれないですよね。
五十嵐:確かにそうですね。実際に、メッセージをいただいたこともあるんですよ。今自分も警察官で、毎日しんどいけど曲聴いて頑張ってますって。そう考えると、本当にありがたいことだなと思います。