『イキヅライブ!』が描くのは“剥き出しの自由”? 生き辛さを抱えたスクールアイドルが送り込む新風とは

制服も教室もない場所から始まる、新しい『ラブライブ!』の形

 ことスクールアイドル活動においては、場所に縛られないオープンな環境が、むしろ彼女たちの情熱を外へ向け、発信するきっかけを多く与えてくれるのかもしれない。「What is my LIFE?」は、そんな可能性を感じさせてくれる楽曲にもなっている。

 スクールアイドルらしい、何かを始めたくなる前向きでポップな曲調の中に、彼女たちが抱える“生き辛さ”が垣間見える。特に〈シアワセのヒントが欲しい どこかにあるかい?〉という歌詞に対し、〈(なーい!)〉〈ないなら適当に作ろう〉と続く歌詞が印象的だ。一見投げやりにも見える清々しさと、後ろ向きなポジティブさ。スクールアイドル文化の衰退とまっさらな環境が与えてくれる自由が、従来のあり方に縛られない彼女たちだけのスタイルをもたらしている。

いきづらい部!「What is my LIFE?」リリックビデオ【イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD】

 同時に、自分の感情を実直に伝えようとする姿は、彼女たちは紛れもなくスクールアイドルなのだという確信を与えてくれた。むしろ自身の後ろめたい部分とも夢中で向き合い、言葉として出力していく姿は、何よりも“スクールアイドルらしい”とすら思う。生き辛さを抱えながらも、現状を打破したいという反骨心が情熱となり、物語が始まる様は我々がよく知る『ラブライブ!』のあり方だ。

 制服や教室は、少年少女を学生という身分に縛り付ける檻であると同時に、何も知らない子供たちに身分を与え守ってくれる壁にもなる。現状、『イキヅライブ!』が描く“自由”は、縛るものも守ってくれるものもない、“剥き出しの自由”だ。そういう意味で、Xを用いたコンテンツ展開も妙にしっくりくる。現実のコミュニティでは言うのも憚られることも、多数と共有できるXという媒体は、彼女たちが抱える生き辛さを発露できる場所として機能する。だが、そのオープンさゆえに、心ない言葉も平然と飛び交う、恐ろしさも孕んだツールだ。

 彼女たちが持つ自由さは、自分たちの行動は自分で責任を取らなければいけない、非常に危ういものでもある。しかし、使い方を誤らなければ、新たなスクールアイドルらしさを提示できるはずだ。

 また、歴代シリーズでは学舎への愛が活動の原動力にもなっていた。一方で、本プロジェクトは自分たちのいるまっさらな場所を“愛せる学舎”にするための物語にも感じる。“生き辛さ”から始まる、みんなで叶える新しい物語に、これからも注目したい。

※1:https://www.lovelive-anime.jp/lovehigh/

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