Lucky Kilimanjaroがライブを通して見せた奇跡のような光景 多様な“繋がり”を肯定するバンドの精神性

ラッキリ、幕張メッセ公演を観て

 音楽に包まれながら、無心で体を揺らしたり、誰かのことや昔のことを思い出したり、少し泣きそうになったりした。踊ったり、浸ったり、一人ひとりが複雑に、真っ直ぐに、その場所に“いる”ことができる、そのためのスペースが守られていた。密度を高め、間(ま)を失くし、本来別々のはずのものが、ひと塊になる……そういう類の熱狂ではなく、もっと優しくて、じんわりとしたもの。バラバラなものがバラバラに存在できる余白があり、でも、たしかに“ひとつの熱狂”と呼び得る空気が満ちていた。

 曲と曲、人と人、人と音楽。ライブはいろいろなものが繋がる空間だが、その“繋がり”が一種類の形に決めつけられず、むしろ様々な距離を抱くものとして自由に捉えられていた。私たちはいろいろな形で繋がり合うことができた。強く手を握り合うことも、手を放して見つめ合うことも、各々でまったく別々の場所を見ることもできた。強く堅牢であるためではなく、“ゆるやか”であるために研ぎ澄まされた創作精神。この温かく繊細な空間を生み出し、守るために、Lucky Kilimanjaroは結成してからの10年間、音楽に、ライブに、人間に、本気で向き合ってきたのだ。そう思うと、改めて「偉大なバンドだ」と感じ入る。この10年、“踊る”ということを掲げ続けながら、それを音楽の機能性やジャンルやトレンドの問題だけではなく、より普遍的に“生きること”と接続し続けた偉大なバンドによる、メモリアルなライブ。2月16日、幕張メッセ国際展示場 4・5ホールで開催されたLucky Kilimanjaroのツアー『YAMAODORI 2024 to 2025』ファイナルとなるワンマン公演は素晴らしいライブだった。

熊木幸丸
熊木幸丸
大瀧真央
大瀧真央

 フェスやイベントのようにフードブースやフォトスポットがあったり、バンドロゴのオブジェが飾られていたり、歴代のアーティスト写真が飾られていたりと、入口からライブ会場までの導線はラッキリらしい楽しさとカラフルさに染め上げられていたが、ステージやフロアは極めてシンプル。その簡潔さにも、「自分の人生の主役は、自分自身なんだ」と伝え続けてきたラッキリらしさが表れているように思える。派手な装飾はなくとも、音が動き、人の体や心が動く、その余計なものを纏わない原初的な“動き”こそが空間を色彩豊かに彩るはずだ、というバンドの信念を感じる。

松崎浩二
松崎浩二
柴田昌輝
柴田昌輝

 開演の約15分前、ラッキリのワンマンではお馴染みの大瀧真央(Syn)のアナウンスがまずは会場を盛り上げる。そして開演時間が来て、客電が落ち、ステージの暗闇にメンバーたちのシルエットが見えると、最初に印象的に響いたのは“声”だった。熊木幸丸(Vo)の声を中心に豊かなハーモニーが響き渡ると、次に強烈なドラムのキックがズンズンと鳴りはじめ、1曲目「一筋指す」がはじまる。ラッキリのダンスミュージックが、体だけでもなく、心だけでもなく、“体と心”の両方に訴えかけるものであることを改めて意識させるライブのはじまりだった。ライブ序盤の熊木は、隅から隅まで、奥の奥まで、まるでフロアに集まった全員一人ひとりに歌を届けようとするように、ステージ上を走り抜けながら歌っていた。その姿には“絶対に届ける”という彼の気迫を感じた。「ダンスは自由です。自由に踊ろう!」ーー彼は何度も繰り返しそう言ったが、幕張メッセという大会場で、その“自由”を生み出すために、彼らは全身全霊だった。

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