Nulbarich、なぜ活動休止を決断? 休止前最後の武道館公演に寄せる想い

Nulbarich、活動休止の理由を語る

コロナ禍、L.A.の武者修行で変わった価値観

ーーミニアルバム「2ND GALAXY」(2019年11月)のときは、「デカい場所で鳴らすことをイメージしていた」と言ってましたよね。

JQ:うん。「いつかドームで鳴らしてやる!」みたいな想像をしながら作っていた時期もありますね。それは料理と一緒というかーー料理しないんだけど(笑)ーーシチュエーションによって、何を食ったら美味いかが変わってくるじゃないですか。割烹料理の店でプラスチックのケースに入った焼きそばを食べるより、やっぱり海で食うのがいいでしょ(笑)。WWWで鳴らすのか、Zeppでやるのか、アリーナでやるのかでは変わってくるし、ハコが決まってから「どういうのが合うかな」ってたくさん妄想して作ってましたね。

ーー2020年にL.A.に拠点を移したのも大きなターニングポイントです。

JQ:2019年からL.A.と東京を行ったり来たりしてたんですよ。知り合いもちょっとずつ増えて、「こっちはどう?」みたいな話もしてて。さいたまスーパーアリーナをやり終えた後は、こっちで武者修行だなと思ってたんですよ。行ったのが2020年の1月で……。

ーーすぐにコロナ禍がやってきて。

JQ:アメリカの“ア”の字も味わえなかったですね、最初は。とにかく外に出られなかったし、スタバ(スターバックス)やスーパーの店員さんがアメリカ人だなって思うくらいで(笑)。ただ、僕はもともと人に話しかけたり、グイグイ行くのが苦手なので、ちょうどよかったのかも。ちょっとずつ外に出られるようになって、慣れていく感じは自分に合ってた気がしますね。Black Lives Matterを肌で感じられたのも大きい経験になりました。プロテストが暴動に変わっていって、車が燃えていたり。それが目の前のメインストリートで起きたんですよ。人種のことやカルチャーがすごく見えた体験でしたね。

ーーそれはすごい体験ですね……。

JQ:アメリカは“楽しいときは楽しいって言う”“悲しいときは悲しいって言う”というのがはっきりしてるんですよ。それはたぶん“いつ死ぬかわからない”と心の底で思ってるからじゃないかなと。L.A.に行ってすぐ、コービー・ブライアントがヘリコプターの事故で亡くなって。午前中の事故だったんですが、昼には街中がコービーのグラフィックで溢れていたんです。みんなコービーのユニフォームを着てるし、広告パネルもバスの行き先の表示でもコービーに哀悼の意を示していて。その日はグラミー賞のイベントがあったんですが、急遽、コービーの追悼セレモニーが組み込まれてたんですよ。グラミーは半年くらいかけてリハーサルを重ねているはずなんだけど、おそらく午前中から台本などを書き換えたんでしょうね。とにかくすべてがコービーで埋め尽くされていて、そのパワーはすごいなと。日本ではできないじゃないですか。

ーー広告を替えるとかは無理でしょうね。

JQ:むしろ追悼の意思を示さないと叩かれちゃうから、全員が当たり前のようにやるんです。そういう土台から生まれたエンターテインメントと、日本のエンターテインメントでは成り立ちが違うんですよね。どっちがいいとかではなくて。Black Lives Matterもそうですけど、いい意味で主張が強い人たちがたくさんいる国だなと肌で感じられたし、日本のこともより好きになりました。

ーーというと?

JQ:僕は海外に憧れを持ち続けた日本人だったんですよ。初めて一人暮らしをしたときも、部屋のなかでも土足で過ごそうとしたり(笑)、焼酎ではなくて、ワインとウイスキーしか飲まなかったり。でもアメリカで過ごしていると、どうしても自分のオリジナリティを見せないとダメなんですよね。スモールトーク(雑談)でもまずは「どこ出身?」「何が好きなの?」みたいな話になるし、そこで主張できないと向こうの人とは会話できない。逆に自分が育ってきた環境だったり、そこでは普通だったことを話すとみんな面白がるし、トピックが生まれるんですよ。僕も日本をさらに俯瞰するようになりましたね。

ーーその経験はNulbarichの活動にも影響を及ぼしたんでしょうか?

JQ:まず、良くも悪くも視野が広がったんですよね。Nulbarich自体も俯瞰で見るようになって、プロデューサー的な目線が強くなって。その後に出したアルバム(『NEW GRAVITY』)は初めてフィーチャリングをたくさんやったんですよ。それまでは「群れないほうがいい」という感覚があったんだけど、だいぶ角度が変わりました。あとはライブができなかったことがいちばんのフラストレーションになっていたんですよ。

ーー仲間と集まる場所だったはずが、集まれなくなった。

JQ:そうなんです。そのために組んだバンドなのに、「配信ライブでお願いします」とか「声は出せません」とか。当時は「ふざけんじゃない」と思ったし、わけわからなかったですね。よくやってたなって思います、今振り返ると。

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