「ゴジラのテーマ」との出会いが始まり 伊福部昭、黒澤明&早坂文雄……Salidaレーベルの歩みに迫る
日本が世界的に誇る映画監督・黒澤明。そして映画『羅生門』『七人の侍』などでコンビを組んだ作曲家・早坂文雄。その両者が交わした貴重な会話の数々を収録したCD『黒澤明と早坂文雄の対話』が12月20日にリリースされる。企画・制作および発売元は、レアな邦人クラシック作品の商品化に精力的に取り組んでいるSalida(サリーダ)。インディーズながらも、2004年以降、池野成、小杉太一郎、山内正、伊福部昭とその門下の作曲家を中心に数々の埋もれた作品を世に問うてきた気概溢れるレーベルで、コアなファンから熱い支持を受けている。今回、レーベルを主催する出口寛泰氏にSalidaのこれまでの歩みと邦人作曲家への熱い思い、そして制作秘話の数々を聞いた。(トヨタトモヒサ)
伊福部昭との交流秘話
――まずは邦人作曲家に興味を抱いたきっかけからお聞かせください。
出口寛泰(以下、出口):小学校高学年の頃に、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)がテレビ放送されたんです。ちょうど『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)が公開される直前ですね。当時、ゴジラのことは全然知らなくて、たまたま観ていて。それで、これは今も忘れられないんですけど、ゴジラが三原山から現れる場面で、あの「ダダダン・ダダダン……」が出てきたんです。
――そこでいわゆる「ゴジラのテーマ」が流れると。
出口:ええ、この時に生まれて初めて聴いたんですけど、それに感動したというか、とにかく衝撃を受けました。テレビ放送ではエンドロールもなかったし、作曲者が誰なのかも分からないままだったんですけど、あの「ダダダン」をなんとかして聴きたいと思って、小学生なりに知恵を絞って「じゃあ、『vsビオランテ』のサントラを買えばいいのか」と探して、CDを買ったんです。
――でも、『vsビオランテ』の「ゴジラのテーマ」は、オリジナルスコアを再演奏したアルバム『OSTINATO』(キングレコード)からの選曲なので……。
出口:そうなんですよ。当時発売されたサントラに収録されていたのは、すぎやまこういちさんの曲だけでした。CDのライナーに説明が一言でも入っていたら良かったんですけど、それで「一体どうすれば聴けるんだ?」と大混乱して(笑)。その後、元ヒカシューのメンバーでもある井上誠さんがカバーした『ゴジラ伝説』で「ゴジラのテーマ」を聴くことができたんですけど、当時はサントラのことなどよく知らないですから、これがあの「『ダダダン』のオリジナルなのか?」と思ってしばらく聴いていた時期もありました。その後、数年かかりましたが『OSTINATO』も無事に買えまして、当時は毎年ゴジラ映画をやっている時代で、『vsキングギドラ』や『ゴジラvsモスラ』(1992年)と観るようになり、サントラの解説には、伊福部昭先生の御名前も出ていますし、そうやって伊福部先生の存在を認識するようになりました 。
――その伊福部先生とお目にかかる機会もあったそうですね。
出口:ちょうど高校1年生だった1995年に、「戦後50年」というテーマで、有名人に戦後50年をどう思うか聞いてくるというクラスの課題が出たんです。私の中で有名人と言うと、真っ先に思い浮かんだのが伊福部先生で、当時は著名人・文化人の人名辞典で調べると住所と電話番号が載っていたんですよね。今では考えられませんけど(笑)。それで、まず先に手紙を差し上げてからお電話をしたんです。最初は断られました。でも、お話しているうちに「あなたはどこに住んでいるんですか?」と聞かれたので、「三重県の桑名というところです」と答えたら、「ああ、“その手は桑名の焼き蛤”ですね」と急に態度が180度変わられて(笑)、「じゃあ、いつがいいの?」と、お目にかかれることになったんです。
――10代にしてものすごい行動力ですね。当時、お目にかかった際のエピソードもありましたらぜひ。
出口:世田谷の尾山台に伊福部先生のご自宅がありまして、最初はご家族の方が対応してくださって、玄関を入って右側にある書斎に通されました。誰もいないその部屋に座って待っていたら、ご家族と一緒に先生がいらして、話を聞かせていただくことなるんですけど、録音する旨をお伝えしたところ、「僕は年を取って“耳が大きい”から、声を大きくしてください」と、おっしゃるんですよ。でも、「耳が大きい」って、表現がおかしいじゃないですか。そうしたら、ご家族の方が「それは“耳が大きい”じゃなくて“耳が遠い”でしょ!」「あ、そうか」なんてやりとりがあって。つまり私の緊張を和らげるために、わざと惚けたことをおっしゃってくださったんですよ(笑)。そんな優しい心遣いを感じました。
――それは素敵なお話ですね。
出口:それから伊福部先生の書斎にはラウテが置いてありますよね。
――伊福部先生が愛用されていたリュートを模した楽器ですね。
出口:ええ。そうしたら、お話を伺っている最中に先生自らそのラウテで「ゴジラのテーマ」を弾いてくださったんですよ。しかも「ダダダン・ダダダン」で終わりかと思ったら、その後も続けてフルで弾いてくださったんです。「さすが作曲者だなあ」と感動したんですけど、その演奏を録音できていなかったのが、今もって人生最大の不覚です。
――しかも、サントラだけでは飽き足らず、純音楽作品にも興味の幅を広げていくわけですよね。ここが結構な分かれ道で、今で言うところの「沼」の入り口だと思いますが。
出口:最初にCDで聴いた純音楽は、「二十絃箏とオーケストラのための『交響的エグログ』」です。「物云舞」とカップリングでしたか。
――ユーメックスから出た井上道義指揮、京都市交響楽団のCDですね。
出口:はい。ただ、最初は全然ピンとこなかったんですね。どうしても映画音楽の印象が強くて。ゴジラ映画で聴いた音楽と似たメロディが出てこないかと期待したり、もう次から次へとエキサイトする音楽が展開されるのかと思いきやそうでもない。もちろんそういう伊福部作品もありますが、「交響的エグログ」はそういう傾向の作品ではない。そういった知識も当時は全くないですし、そもそもクラシック音楽をろくに聴いたことがなかったので音楽を聴く力がなかったんですね。ですから、次にフォンテックから出ていた「交響頌偈『釈迦』」を聴いたのですが、これもやはり最初の印象はピンとこなくて。でも、色々な作品をチェックして聴いて行く中で、「この『交響譚詩』という曲はいいな」とか、徐々にあれもこれも好きになっていった感じです。
――コンサートには?
出口:1997年に札幌で開催された『伊福部昭音楽祭』が伊福部先生の作品を生で聴いた最初ですね。その前に、伊福部先生から、キングレコードが「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」をレコーディングする話をお聞きしたものですから「見学させていただいてよろしいですか?」とお願いしたんです。そうしたら伊福部先生からお許しがいただけたので、全く面識はなかったんですけど、キングレコードの松下久昭さん(当時の音楽ディレクター)にお電話を差し上げてレコーディングを見学させていただきました。松下さんはそのことを覚えておられないと思うんですけど、もう本当に困ったマニアでした(笑)。そして、そのレコーディング当日に『音楽祭』に関係されていた勇崎哲史さんもいらしていて、全く初対面だったんですけど、「出口くんも行く?」と『音楽祭』に誘っていただいたのがきっかけですね。
――勇崎さんは、伊福部先生の甥御さんですね。
出口:ええ。それで行くことになったんですけど、『音楽祭』が開催されるのが土曜日だったんです。前日の金曜日に三重県を出発しないと間に合わないというスケジュールだったんですが、当時は高校生で、何かの事情で金曜日に学校を休めなかったんですね。それで一計を案じまして、その頃祖父はまだ元気だったんですけど、「亡くなった」ということにして、家族に学校へ電話してもらって、無事に抜け出すことができました(笑)。
――(笑)。伊福部作品を起点として、映画から純音楽、さらには門下の作曲家にも興味の幅を広げていった感じですか?
出口:そうです。伊福部先生のインタビューを読むと、「お弟子さんの池野成さんが映画音楽の手伝いに来てる」とたびたび書いてありますよね。
――久しぶりにゴジラ映画に復帰した『vsキングギドラ』で、新しく「ゴジラのテーマ」を作曲しようか考えていた伊福部先生に「ファンから殴られますよ」と言ったあの池野成さん(笑)。
出口:そうです。この池野成って人に話を聞けば伊福部先生のことがもっと分かるんじゃないかと思いまして。再び人名辞典で調べて手紙を書いて、お目にかかったんです。