山口美央子、デビューから40年経っても沸き続ける創作意欲 ワールドワイドに支持されるサウンドメイクの裏側
「決断力、自分の選んだものを好きになることが大切」(松武)
ーー当時はYMOや土屋さんなど、国際的に活躍している人たちの方が日本的な要素を大切にしていましたね。
山口:確かにそうですね。私もいつもそう考えていました。やはり自分のアイデンティティは日本人ですから、海外の人と同じことをしても仕方ない。私は特にアルファレコードから作品を出していた横倉裕さんを尊敬していたんですけど、あの方もロサンゼルスに単身で行って、デイヴ・グルーシンとかとアルバムを作っていて和楽器を作品の中で多用していてそれに憧れていたので、その頃から私も色々意識していました。
松武:当時、日本のカルチャーを世界に広めたいという気持ちは確かにありました。僕の先生の冨田勲さんも同じで、ライブで尺八や琴を使っていましたから。外国の方と対等に「闘う」ということではなくて、自分達が持ってる武器を「磨く」という考え方ですよね。
ーーそして『月姫』といえば、コーセー化粧品のCMソングにもなった「恋は春感」がヒットしました。
山口:元々「恋は春感」は『月姫』を作っていた時にはなかった曲で、このアルバムは「夏」のインストバージョンで終わるはずだったんです。でも、それだと地味ということで、当時のレコード会社があまり良い顔をせず……。そんな時に当時の事務所がすごく頑張ってコーセー化粧品のCMを取ってきてくれたので書いた曲なんですね。それでシングルを出したところ、曲が一人歩きしてくれて。
ーーやはり一人歩きという感覚はあったんですね。
山口:そうですね。「さても天晴 夢桜」から、突然「恋は春感」が出てくると、あまりにも曲調が違うのでびっくりする方が多かったと思うんですけど、それを好いてくださって私を知ってくれた方もいるので。『月姫』のオリジナルはこういう不思議な形にはなりましたが、私も「恋は春感」は好きですし、とても大事な曲です。
ーー今回、ニューバージョンとして新たに手を加える上で、気をつけたことなどはありますか?
山口:ディスク1とディスク2に同じ曲が入るので、差別化しないとダメということですね。元の土屋さんのアレンジがとても素晴らしいので、このままでいいのではないかと思う曲もあったんですけど、今回はすべて変えて。それもチャレンジでした。
ーー変える勘所というのは、今風の音にアップデートするということでしょうか?
山口:はい、そうですね。(松武氏に)オリジナル「月姫」の時のシンセはアナログでしたよね。
松武:そうです。当時はデジタルが出始めたぐらいの時だったから、オリジナルではデジタルは一切使いませんでした。今回は新たに、今の技術……AIの技術を使うとか、いろんなこともやりましたけれど、何よりも「新しいアナログの音色の提示」をどういう風にしたらいいかを考えました。当時使っていたシンセがまだあるので、それをもう一回作り直したらどんなことになるのかな、と。マスターをデジタルにトランスファーして、2週間以上、頭から一日中聴いて、いろいろ思い出して。じゃあシンセの音、こうだったのかなとか。懐かしさと共に新たに勉強したみたいな気持ちになりました。
ーー当時は松武さん、猛烈に忙しい時代だったと思いますが、音を聴くと思い出すんですね。
松武:まあ、キューシートに音はすべて書いてあるんですけどね。これは明らかにタンス(Moog III-C)で作った音だなとか、そういうのは聴いてすぐにわかりました。あの時代は土屋くんもそうですけど、現場で試行錯誤することが多くて、スタジオが実験場のような感じでしたね。やってみないとわからないことも多くて。今はパソコンが記憶してくれますから、家でやったものと同じものができるわけですけど。
ーー昔のレコーディング方法と今の方法では、出来る音楽も変わってきそうですね。
松武:簡単に言ってしまうと、こんなにトラック数はいらないなと思うんです。今は無限じゃないですか。だから決断力、自分の選んだものを好きになることが大切なわけです。トラック数が多いと「とりあえず録っておく」ことも多いですけど、結局最後にはわけがわからなくなって「どれとどれを繋ぐんだっけ?」みたいなことになる。だから今回もそんなデジタルの便利さは一回置いておいて、彼女がどういう音にしたいのか、どういう世界にしたいのかということから、「じゃ、こんな音はどう?」という風に提案して進めていきました。そういうやりとりをすれば沢山録る必要はない。要は決断力です。自分がそれを好きになるってこと。多分ね、YMOの3人もそうだったと思うんですけど、この曲のイメージにはこの音が合っていると決める力が大事なんですね。
ーー山口さんはその決断力は早い方ですか?
山口:早いです(笑)。好き嫌いがはっきりしてるので。