坂本龍一はラップとどのように向き合ってきたか 荏開津広氏に聞く“音楽”とは異なる捉え方
坂本龍一が、3月28日に逝去した。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)としての活躍はもちろん、ソロでも数々の名作を生み出してきた彼について、各メディアで様々な功績が語られている。映画『戦場のメリークリスマス』メインテーマ「Merry Christmas, Mr. Lawrence」に代表される名劇伴から、忌野清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」といったポップスのプロデュースまで幅広い音楽を手がけてきた坂本。長きにわたる活動において、様々な気鋭アーティストとのコラボや新たな音楽ジャンルを取り入れてきた。その中で韓国のMC Sniperを迎えた「undercooled」などラッパー/ヒップホップアーティストとコラボした楽曲はメッセージ性が強いものが多いように思う。坂本はこれまで、ラップ/ヒップホップにどのように取り組んできたのか。ライター/DJの荏開津広氏に話を聞いた。
坂本は自身が音楽活動を始めたのとほぼ同時期に生まれたラップ/ヒップホップを、当初から取り入れてきたという。
「坂本龍一さんが最初の作品を出したのが1976年。そして1978年にYMOが結成され、ソロとしてもアルバム『千のナイフ』をリリースしました。『千のナイフ』の1曲目は毛沢東の演説がそうとはわからない形で取り入れられた、ラップではないけれど話された言葉で、ラップの成り立ちの歴史を考えると原型のようなものです。1980年にリリースされた初のシングルに収録された『WAR HEAD』、『LEXINGTON QUEEN』でも歌ではなくラップのような演説のような声を聞くことができます。後者は六本木の同名のナイトクラブをモチーフにした楽曲でした。坂本さんは歌ではなく、ラップの原型であるスポークン・ワーズ(話された言葉)が政治的な側面を持ちながら享楽的な場所で機能することを体感していた世代に属すると思います」
1980年代に入り、本格的にヒップホップ/ラップが盛り上がり始めたころ、YMOはアメリカで黒人向けの音楽番組『ソウル・トレイン』に出演していた。こうした活動や、YMOの「Firecracker」や坂本のソロ作「Riot In Lagos」がヒップホップの創始者とも言われるアフリカ・バンバータなどに影響を与えていく。荏開津氏は「イメージだけだと一見遠いように見えるYMOのような音楽とヒップホップですが、実は従来の楽器ではなく新しいテクノロジーだったコンピュータを使って音楽を作る“複製”についての考え方で似ているところがあると思います。そのあたりの話はドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』でも言及されています」と振り返る。