BTSやLE SSERAFIMに波及し世界的ブームへ 「Dem Bow」に始まりプエルトリコ、アメリカ本土へと渡った“レゲトン”の歴史

 70年代の日本産ロボットアニメ『超電磁マシーン ボルテスV』は、なぜかフィリピンで「国民的アニメ」として愛され続け、この2022年、同国でテレビシリーズとして実写化される予定だ。これからもわかるように、一つの作品が文化圏や言語圏を飛び越えて他国に着地する時、そこにはオリジネイターが予想も期待もしていなかった化学反応が起こることがある。

 「デンボ〜、デンボ〜、デンボ〜」と繰り返す「Dem Bow」は、ジャマイカのダンスホール・レゲエ界で当時、超絶人気だったシャバ・ランクスが1990年に発表した曲だ。リリック面では、反帝国主義と同性愛差別を一度に表現するという離れ技を成し遂げた曲だったが、不思議なのは、この「Dem Bow」のリディム(ビート)に魅せられた人たちが、ジャマイカ以外に数多く出現したという事実である。特に、同じカリブ海域アンティル諸島内で距離こそ近いが文化的にはかなり違う地域、プエルトリコで。

シャバ・ランクス「Dem Bow」

“豊かな港”の特殊性

 プエルトリコ(Puerto Rico)は、独立国ではなく、州でもなく、「自治連邦区」という特殊な立場でアメリカ合衆国の一部となっている島だ。島民はアメリカ国籍こそ持つものの、大統領選の投票権はない。合衆国への納税義務はないが、「代表なくして課税なし」の原則通り、アメリカ下院のプエルトリコ選出議員は議決権なし。議会に出席はしても、重要な局面は傍観するのみのオブザーバーである。旧スペイン領で、住民のほとんどはスペイン語話者。つまり、シャバ・ランクスが発するジャマイカン・パトワはほとんど理解できなかったはずだ。

 そんな彼らプエルトリコ島民が「Dem Bow」リディムを熱愛するに至り、このリディムを基盤とした音楽ジャンルまで作ってしまったという異常事態。それがレゲトンだ。「レゲトンというジャンルに含まれる曲の80%は『Dem Bow』のリディムでできている」という統計もある。信憑性はよくわからないのだが。

 この「Dem Bow」リディム流入以前も、プエルトリコにはレゲトンの前身たる「Underground」という(なんとも単細胞な名称の)ジャンルが存在し、それが70年代から80年代のニューヨークにおけるヒップホップのように、持たざる者たちの表現の場になっていた。その「Underground」が「Dem Bow」リディムと出会ってジャンルのアイデンティティたるビートパターンを獲得した結果、レゲトンとなった、ということなのだと思う。こうして、今に至るまで1990年のリディム「Dem Bow」を基本とし、やはり英語とは違う味わいがあるスペイン語のラップや、あるいは哀感ただよう歌を乗せる、という我々が知るレゲトンが確立された。

 そして「レゲトン」という呼称自体が生まれたのは、1994年のとあるミックステープが発端のようである。そのミックステープの主宰者はDJ Playero、ラッパーはダディー・ヤンキーだ。レゲトンがレゲトンとして歩み始めた地点に、この男がいたことは記憶しておきたい。

アメリカへの飛び火

 レゲトンが、近くて遠いアメリカ“本土”でブレイクしたのは2000年代半ば。特に、2004年10月にノリエガ改めN.O.R.E.が発表したレゲトン曲「Oye Mi Canto feat. Daddy Yankee, Nina Sky, Big Mato, Gem Star」が決め手だろう。

N.O.R.E.「Oye Mi Canto feat. Daddy Yankee, Nina Sky, Big Mato, Gem Star」

 N.O.R.E.は、ハイチ系のカポーンとのコンビ Capone-N-Noreaga(通称CNN)で世に出たニューヨークのラッパーで、「ヒップホップ東西抗争」にも参加していた世代である。しかし、「父方のルーツであるプエルトリカン・カルチャーへのリスペクト」と「流行りものを嗅ぎ分けるアンテナ感度」が交わったのがレゲトンだった、ということか。

 その「Oye Mi Canto」、当初はテゴ・カルデロンらをフィーチャーしたバージョンが出回ったが、これはテゴの過去曲からラップパートのみをブレンドしたもので、それ自体がテゴ当人のあずかり知らないところで行われたものだったらしい。というわけで、ダディー・ヤンキーが目立つバージョンに差し替えがあり、大ヒットに至った。

 ちょうど同じ年にリリースされたダディー・ヤンキーのソロ曲「Gasolina」も、相乗効果でヒット。ここ日本でも、翌2005年から横浜ベイスターズ所属(当時)のマーク・クルーン投手のテーマ曲として「Gasolina」が使われた結果、甲高い声で発せられる「ガッソリ〜ナ!」というサビが頭から離れなくなってしまった人も少なからずいたようだ。そのせいなのかどうか、CDショップ店頭のレゲエコーナーを「レゲトンコーナー」と呼ぶ女子高生を見かけた記憶がある。瞬間的であれ、レゲトンの浸透度が相当なものだったということだ。

Daddy Yankee - Gasolina (Video Oficial)

 アメリカの話題に戻る。この2005年には早くも、大きな括りでは「ラティーノ/ヒスパニック」とはいえ、プエルトリカンではなくメキシコ系アメリカ人R&Bシンガーのフランキー・Jのヒット曲にレゲトン・リミックスがあり、R&Bリスナーとしては興味深く思ったものだ。2007年には、ラティーノではないオマリオンが主演したレゲトン映画『Feel the Noise』があった。ニューヨークのハーフ黒人/ハーフ・ラティーノな青年(という設定)が、まだ見ぬ父(ジャンカルロ・エスポジート)を訪ねてプエルトリコに行き、レゲトンに魅了される……というストーリー。新しく珍しい外来文化を自分たち(アメリカ人)の目を通じて描く、典型的な外野視点の映画だったが、プロデューサーの一人がジェニファー・ロペス(プエルトリコ系)なので、少なくとも当事者関与作ではある。

USチャートを離れて

 ただし、ブームというものは到来しては去っていくさだめ。アッシャーがやけにエレクトロなシングルを連発していた2010年前後になると、R&Bにしろヒップホップにしろ、EDMとの融合が常態化していくように見えた。そのEDMの隆盛と入れ替わるように、レゲトンはフェイドアウトしていった感がある。我々の目にはそう見えていたのだ。

 だが実際には、英語圏でのブームが一段落しただけであり、我々のアンテナが及ばない地域ではまだまだレゲトンは元気。それどころか、プエルトリコだけでなくスペイン語圏の中南米諸国で愛されるパン・ラテンアメリカンな音楽に成長しつつあったのだ。

 とにかく、そんなアメリカでの不遇期にも、粘り強くレゲトンと近しい関係を続けてきた映画シリーズがある。それが『ワイルド・スピード』こと『Fast & Furious』シリーズだ。2009年の第4作『ワイルド・スピード MAX』では、主人公 ドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)がドミニカで組む犯罪者グループの一員として、先述のテゴ・カルデロン(役名はテゴ・レオ)と、彼と仲がいいレゲトン界の人気シンガーであるドン・オマール(リコ・サントス役)が出演。その後も折に触れて顔を出し、リュダクリス&タイリース・ギブソンのアメリカ黒人コンビと出会った瞬間から揉めたりして、いい味を出している。

 同シリーズのサウンドトラックでもレゲトンの存在感は強い。それどころか、件の『ワイルド・スピード MAX』にとって前日譚にあたる20分のショートフィルム『Los Bandoleros』(通称『ワイルド・スピード3.5』)は、そのタイトル自体が、ドン・オマールとテゴ・カルデロンによる2005年曲(ドン・オマール「Bandoleros feat. テゴ・カルデロン」)に由来するものだ。最新第9作『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』ではレオ&サントスの若き日が描かれ、そこでサントスを演じたのが「ニュー・キング・オブ・レゲトン」ことOzuna(オズナ)。どうあっても“キープ・イット・レゲトン”なのだ!

ドン・オマール「Bandoleros feat. テゴ・カルデロン」

 なお、『ワイルド・スピード』シリーズと混同されがちな『トリプルX:再起動』にも、これまたレゲトン界のベテラン、ニッキー・ジャムが出演した。やはりキープ・イット・レゲトン!

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