堂本剛の生き方がジャニーズに与えた影響 ソロデビュー20年の歩みを辿る
5月29日にソロデビュー20周年を迎えた堂本剛。これまでジャニーズアーティストでは異例と称される数々のアクションを起こしてきた。彼がジャニーズ及び後輩達に与えた影響とは何なのか。20周年を迎えた今、改めて振り返ってみたい。
異例中の異例だったソロデビュー
2002年にシングル『街/溺愛ロジック』でソロデビューを果たした堂本剛。KinKi Kidsとしてデビューした後に、周囲の期待に応えたいと頑張りすぎた結果、心が壊れそうになっていた時期にジャニー喜多川から「音楽をやってみないか」と言われたことがきっかけだったという。実はその1年前に「ミュージカルをやってみない?」という提案に対して、堂本剛が「嫌です」と即答した経緯も踏まえた上での流れがあったそうだ。
当時のジャニーズはグループ活動が基本であった。ソロ活動は舞台やドラマ、映画などが主であった時代に、グループ活動と並行してソロアーティストとしての楽曲リリースは異例中の異例であったと記憶している。デビュー曲は自身の主演ドラマ『夢のカリフォルニア』(TBS系)の主題歌「街」。ジャニーズタレントとしては初となる自身が手がけた楽曲でのデビューということもあり、大きな話題を呼んだ。当時はジャニーズアイドルが作詞作曲を手がけること自体珍しかったため、「本当に本人が作っているのか?」など心ない言葉をかけられたこともあったそうだ。また、アイドルなのだからメッセージソングではなくラブソングを、という意見もあったそうだが、ジャニー喜多川からの「変化球を投げ続けろ」という言葉を信条として活動を続けていった結果、多くの人たちから支えてもらえるようになったという。
ファンクとの出会いがターニングポイントに
『堂本兄弟』(フジテレビ系)での共演がきっかけで交流が生まれたギタリスト・土屋公平から勧められたブルース、ファンクが堂本剛にとって大きなターニングポイントとなった。2005年にはソロプロジェクト・ENDLICHERI☆ENDLICHERIで本格的にファンクミュージックの道を進むことになった。2017年の“LI”を“RE”としたENDRECHERI再始動は、その後の音楽活動を見据えた自然体でのスタートであったように思う。
今年5月29日に発表した新曲「LOVE VS. LOVE」では、初全編英語詞に挑戦しているほか、自ら企画に参加したLINEドネーションスタンプ『堂本剛×ENDRECHERIスタンプ』も発売。またそれに先立ち、新プロジェクト『堂本剛プロデュース』もスタートしている。さらにオリジナルのファッションアイテムもプロデュースし、その様子やオフショットを、GYAO!オリジナル番組『つよしP』で配信するなど新たな試みにも意欲的である。ソロ活動を含め、こうした彼の姿はジャニーズメンバーの意識に大きな変化をもたらしたと言えるだろう。