Lucky Kilimanjaroが『TOUGH PLAY』で表現した“好き”を追い求め続ける強さ 「革命としての音楽は作っていない」
Lucky Kilimanjaroからフルアルバム『TOUGH PLAY』が届けられた。「踊りの合図」、「楽園」、そして「果てることないダンス」と、前作『DAILY BOP』以降届けられたシングル群の充実っぷりにアルバムの期待値は高まっていたが、こうしてアルバムを通して聴いてみると、この1年でバンドが如何に自らのグルーヴを追い求め、言葉を研ぎ澄ませ、そして何より、音楽を楽しみまくってきたかが心底伝わってくる……そんな大充実作だ。
アルバムのテーマは「好き」の追求。他の誰かに理解される必要なんてない、あなたがひとりきりで抱えている最高の「好き」を、この世界に解き放ってみないか?ーーそんな提案が本作1枚を通して鳴らされている。アルバムのトーンはこれまでの作品に比べても軽やかで明るく、説明を省いて本質をポーンと突き付けてくるようなダイレクトさがある。そして過去最高に、熊木幸丸という作家のパーソナルな部分が表出しているアルバム、という感じもする。全体を通してシリアスになりすぎず、しかし、軽薄にもなりすぎないバランス感覚が見事だが、このバランス感覚は、時代に切実に向き合いながら、しかし時代に飲まれることなく「日々」に向き合いながら音楽を紡ぎ続けてきたラッキリだからこそ得ることができたものだろう。熊木幸丸に、アルバムについてじっくりと話を聞いた。(天野史彬)
歌のあるダンスミュージックにしかできないコミュニケーションがある
ーー新作『TOUGH PLAY』、前作からたった1年で、バンドがまた新しい場所に辿り着いたことが伝わってくる、鮮烈な作品だと思いました。この壺がパンチされているアートワークもインパクトがあるし、アルバムにすごく合っているなと感じたんですけど、これはどういったコンセプトで?
熊木幸丸(以下、熊木):これは、宮下サトシさんという陶芸家の方にお願いしたんです。今回のアルバムには「いろいろなものに邪魔されたり、いろいろな障壁があるなかでも、自分の好きなことを続けていこう」というコンセプトがあって。この「壺にパンチされているけど大丈夫」っていう感じが、まさにアルバムにピッタリだなと思ったんです。
ーー確かに、今回のアルバムからは人それぞれが持つ「好き」という感情を肯定しようという意志をすごく感じました。そうしたアルバムのコンセプトや全体像はいつ頃見えましたか?
熊木:振り返ると『DAILY BOP』は、コロナ禍もあり、いろいろな混乱があるけど、そんな生活の中でも日々を踊らせようっていうことを伝えたかったアルバムで。じゃあ、次にどんなメッセージを打ちだそうかと考えたときに、新しく出会う人が増えたり、大きなライブに呼んでもらったり、聴いてくれる人も多くなったりする中で、Lucky Kilimanjaroとしてのスタイルをもっとちゃんと面白い形で前に出したいなという気持ちがあったんです。「踊りの合図」の頃からかな、「変だけど面白い感じにしたいな」と考えるようになりました。
ーー「踊りの合図」はまさにそういう曲でしたね。
熊木:自分の中の「偏っているけど面白いな」と思える部分を、Lucky Kilimanjaroの音楽として出していくのがいいんじゃないかと思い始めたんですよね。「自分はこういうものが面白いと思う」というのは、前作もそうですし、ずっと出してきたものではあるんですけど、技術的なアップデートもあって、よりそれができるようになってきたんだと思います。筋トレをしていたら、変なポーズを取れるようになった、みたいな(笑)。
ーーなるほど(笑)。では、今作の曲の中で、熊木さん自身の「偏り」を音楽として落とし込んでいくという面で、ご自分にとって象徴的な曲を挙げるとすると?
熊木:「踊りの合図」を作ったときは「こうやって自分の音楽を自分の好きなように作れるんだ」という手応えがありましたが、その先で「いろいろなことを試せたな」と感じたのは1曲目の「I’m NOT Dead」ですね。アルバムコンセプトにも合致しているから1曲目にしたんですけど、この曲は50~60年代頃の感じのドゥーワップを自分で作って、その素材を自分でサンプリングしてハウスミュージックに落とし込むという作り方をしていて。要は、自分でサンプリングネタまで作ってしまうっていう。こういう曲を自分で作れるし、許せるようになったのは大きかったと思います。
あと、「I’m NOT Dead」は、オリンピックで平野歩夢選手がThe 5.6.7.8`s の「Woo Hoo」で滑っているのを見て、「なんて痛快なんだろう」と感動したのも大きくて。すごくカッコよかったんですよね。他の人がどうとかじゃなくて、自分のスタイルで、自分のことを説明している感じがして。ああやって自分のスタイルを出していくことが今一番面白いし、今一番カッコいいなと思ったんです。そういうものが、世間的にも今は求められているんじゃないかって。
ーーまずドゥーワップというところでいうと、例えば『DAILY BOP』の「MOONLIGHT」などにも50~60年代くらいの音楽的なエッセンスは入っていたと思うんですけど、熊木さんの中にそうした時代の音楽に惹かれている部分は大きいと思いますか?
熊木:そうですね、やっぱり歌が好きなんですよ。あの時代のようなボーカルグループって、今はいないじゃないですか。今ああいうことをやるとちょっと綺麗過ぎちゃうんだけど、50~60年代くらいの頃って、時代背景もあると思いますし、あの頃の機材だからこそっていうのもあり、歌の明るさやパワーをすごく感じるんですよね。50年代、60年代のソウルやドゥーワップを聴いていると、有無を言わさない良さを感じる。そういうものを自分も欲しているっていうのはありますね。あとは、今回のアルバムは自分の声をサンプリングしたり楽器として使っている曲が多いんですけど、やっぱり音楽って、「声」が入ることによって「これは自分の音楽だ」と思える部分が大きいんですよね。「声」という要素が、オリジナリティへの憧れを満たしてくれる。そういう部分も大きいなと思います。
ーー「歌」や「声」が、音楽をその人固有のものにするという側面はありますよね。ただ、ダンスミュージックには歌がないものもたくさんありますよね。そういう中で、なぜ、自分たちはダンスミュージックをやりながら歌を求めるんだと思いますか?
熊木:歌のあるダンスミュージックにしかできないコミュニケーションがあるなと思うんです。僕はダンスミュージックの力も信じているし、歌の力も信じている……優柔不断なので、どちらかには絞れないっていうことなのかもしれないですけど(笑)。でも、今の日本で、このふたつの要素を混ぜ合わせることでできる、誰かへの表現が絶対にあると思っていて。そこに日本のポップミュージックの可能性がまだまだあるなと思っています。