10-FEET TAKUMA×G-FREAK FACTORY 茂木洋晃、バンドマンとして貫く在り方 苦難の時代に再認識した“ライブで伝える意義”

 1997年に結成した、10-FEETとG-FREAK FACTORY。パンクにレゲエなどを加えたミクスチャーロックをかき鳴らし、それぞれ地元の京都/群馬でロックフェス(『京都大作戦』と『山人音楽祭』)を主催しながら全国のライブハウスを回り続け、今年ともに25周年を迎えた。さらに昨年末〜今年にかけて、フロントマンのTAKUMAと茂木洋晃がソロデビューを果たしたことも踏まえると、運命的と言っていいほど共通点の多いバンドである。今回は、10-FEETの25周年を祝福すべく10アーティストが参加したコラボレーションアルバム『10-feat』の発売を記念し、G-FREAK FACTORYの茂木と、TAKUMAによる対談が実現。誰よりもこの世代の(そして以降の世代にとっての)手本のようなロックバンドである両者だが、誰よりも泥臭く想いを綴り続けてきた歴史を持つからこそ、華々しいアニバーサリートークではなく、“今直面する最大の関心事=コロナ禍”へと話題はシフトしていった。だが、そこから逃げずに打開策を見出し、未来に可能性を繋げていくことこそ、ロックバンドの真価であり、10-FEETとG-FREAK FACTORYの26年目の闘いである。一言一句、目を離すこと勿れ。(編集部)

10-FEET - コラボレーション・アルバム 「10-feat」全曲トレーラー

「苦しくてもどれだけ未来に想いを残せるかに賭けたい」(茂木)

ーー盟友と呼ばれることも多いお二人ですが、どんな心境でバンド結成25周年を迎えていますか。

TAKUMA:25周年とはいえ、この2年間のコロナ禍のインパクトはとても大きかったと思っています。改めて自分の生活の中で、ライブがどういうものやったのかが明確になったというか。滅多なことでは中止や延期になることがなかったけど、開催できるかどうかわからない状態が2年以上も続いて、一本一本のライブをより大事にしようと思いました。ライブが減った分、曲作りに気持ちが入った部分もあるし、コロナ禍の最初にバッと曲がたくさんできたんですけど、この生活がだんだんスタンダードになってきて、「今度はどういう曲を絞り出せばいいんだろう?」っていう時期を経て、今に至る感じですかね。

茂木洋晃(以下、茂木):俺らはふわっと25周年に入ったなと思っていて。全く活動できていない時期が何年もあったから、25周年と言っていいのかなというのは正直あるけど、コロナ禍でみんな一斉に横並びのリセットを食らって、そこからリスタートを切ることになったとき、バンドとしてのストーリーをひとつでも多く持っていて良かったなとは思ってる。だから、ソロを始めたことも、だらっと25年続いたことも、今の状況に対して「上等だ」って言い切れるいいカードになっているなと。止まっていた時間も、この2年のコロナ禍も、活動しながら全て正解にしていかなきゃいけないからさ。

ーーそんな茂木さんから見て、2022年現在の10-FEETはどういうバンドに映っていますか。

茂木:リスペクトするバンドであるのは当然のこと、一生のつき合いの中で、この先どんなことをやってくれるんだろうなってワクワクしてるよ。同世代のバンドも含めて、昔に比べたらロックバンドも長く続けていい世の中になったじゃない? 続けることで、それぞれのバンドが“新しい味”を手に入れているわけだけど、直球を投げられないピッチャーが、変化球を豪速球に見せるために技を磨くようなことも時には必要になってくる。10-FEETはそこに対して、すごく柔軟なバンドなんだよね。直球を25年投げ続ける美学もあるんだけど、ライブやフェスを見ていても10-FEETが投げる変化球の幅の広さには、あっぱれとしか言いようがない。ユーモアも含めて、若いバンドに見て欲しいなって思うよ。

TAKUMA(10-FEET)

ーーTAKUMAさんは、今のG-FREAK FACTORYをどう見ていますか。

TAKUMA:こういう時代にこそ、ホンマにG-FREAKを観たいなって思います。コロナを忘れさせてくれたり、あるいは思いっきりコロナと向かい合わせて、みんなで乗り越えていくようなライブをしてくれるから。

茂木:せっかくバンドをやってるから、ワンワードでいいから何かを残したいんだけど、災害や疫病が起こったからそうするんじゃなくて、ずっと続けてきたからこそ「ほら、こういうときに役に立つ」って思えるものをいくつも持っていたい。だから、中止や延期に慣れてきている中で、それでもバンドを続けるモチベーションとして、まずはライブをやることを約束しないといけないと思うんだよね。(コロナ禍が)明けたらそのうちやるんじゃなくて、今の苦しい状態でも約束をひとつひとつ果たして、どれだけ自分の想いを未来に残せるか、その可能性に賭けたいなと思ってる。現在から逃げたら、未来には絶対伝えられないから。

ーー25年間、様々な境遇で同じように残し続けてきたからこそ、今そう思えていると言えるんじゃないでしょうか?

茂木:とはいえ、必ずしもバンドで成功してきたわけじゃないから、何をもって正解とするかは慎重に考えてるんだけどね。この2年間は誰に訊いてもわからないことだらけだし、メンバーの中でもコロナに対する価値観は常に変わってきていて。例えばワクチンひとつ取っても、打つこと/打たないこと、今となってはどちらもリスペクトだと思う。打ったことによる副反応には誰も責任を取らないし、打たないで感染したとしても誰も責任を取らない。要は自分で考えて、決めて、それを信じるしかないわけだよね。メンバー間でも「お前はどう思う?」って聞いて、その価値観をリスペクトしながら、あとは信じられるようにちゃんと生きろという話をよくしていて。コロナも戦争も、撹乱させるような情報が無差別に流れてくるけど「俺はこれを選んで信じる」って思える気持ちがないと、この先も一生、誰かのせいにしながら生きていかなきゃいけなくなるから。けど、よく考えたらそれっていろんなことと同じで、個人、バンド、チームとか、単位が変わればそれぞれ決定事項も変わるので、確実にこうだとは1つも言えない。俺がソロを始めたのは、バンドでその価値観が若干ズレていたので、ちゃんと話し合って、リスペクトした上でやったことなんだよね。

茂木洋晃(G-FREAK FACTORY)

TAKUMA:茂木が今言ったことと全く同じ想いがあるんですけど、例えば「コロナをインフルエンザと同じ5類(感染症)に分類しましょう」っていう一方で、「いやいや、コロナはインフルエンザとは違うし、ワクチンも打って厳しく対策して、それを広く普及しなければならない」っていう意見も当然あって、お年寄りとか基礎疾患がある人とか、いろんな立場によって意見は違うわけじゃないですか。そんな中でG-FREAKは「お前が信じるものを信じてやればいい」という想いを持っているわけだけど、それってバンドマンだからこそ、ライブだからこそ言えることなんですよね。仮に政治家がテレビで、「みんな好きなように選んだらいいんですよ」とか言ったら、「ボヤッとしたこと言ってるな」と思ってしまうけれども、僕らバンドマンはボヤッとしたことを豪速球でステージから投げてナンボな人たちで。それによって「私はやっぱりこう思うな」みたいに、観ている人それぞれが納得して持って帰れるから、結局ぼやけてないんですよね。それをしっかりやれるのがG-FREAK FACTORYやと思っているから、今こそ観に行きたいんです。

ーー本当にその通りだと思いますし、そこは10-FEETのライブにも通ずるところですよね。

TAKUMA:そうありたいとは思ってます。コロナ以前から、震災復興のときに偽善とか売名行為とか言われて誹謗中傷があったりとか、意見の相違によって叩かれている現状に対して、必ずしも悪気があるものではないにせよ、僕らは一旦絶望しているんですよね。そもそもバンドを始めたときから、常に何かに絶望し続けているんですけど、そこに絶望することなく、想いを持ち帰れる場所がライブハウスだなっていうことを今も信じているというか。

茂木:うん、やっぱり絶望から始まるよね。腕相撲で言ったら、手がつく寸前ぐらいまで追い詰められてから、「さあ、ここからどうする?」っていうのが見せ場だと思っていて。だから俺らの敵はやっぱりコロナじゃない。追い詰められたところで、どういう曲やメッセージ、立ち振る舞いやライブを見せていくか。そこが一番の敵なんだと思う。

TAKUMA:まさに。在り方の問題なんだよね。

茂木:そう。俺たちはライブに依存している人たちにたくさん救われてきていて、もちろんバンドマンもライブに依存しているし、ライブがないと何をやってもなんか違う。結局ライブじゃねえかよって思うんだよね。それがお客さんにもあると思っていて、時間とお金をかけて行っていたライブがなくなったとき、代わりに新しい時間の過ごし方を手に入れて、違うことでバランスを取るようになったと思うけど、そういう人たちも「やっぱりライブじゃなきゃ」と思って、またライブハウスに戻ってくるはずなんだよね。でもそのときに、制限だらけで筋肉のないバンドのライブになり下がっていたら、「なんでこんなものに興じていたんだろう?」っておそらく思われてしまう。そうならないために、今こそ「やっぱりライブだよな!」と思わせることを、バンドマンはライブハウスで束になってやらなきゃいけないと思うんだよ。「コロナだからしょうがない」っていう妥協が続くと、バンドやライブそのものが痩せ細っていくと思うけど、もう一個ギアの上がった何かを見つけられれば、いざ健康な状態に戻ったときにもっと良いライブができるはず。そういう意味での「在り方」に今チャレンジしているんだよね。割引させずに見てもらえるバンドにならなきゃいけないと思うと、一気にモチベーションが上がるんだよ。

「違う意見でも抱き合えるのが、音楽が本来もたらすピース」(TAKUMA)

ーー『山人音楽祭』ができなかった2020年を経て、昨年末に2日間ホールで開催したというのは、まさにG-FREAK FACTORYの在り方を示したんじゃないでしょうか。

茂木:そうだね。そう思わないとやっていられないところがあったんだと思う。ホールでフルキャパでやれたことが今となっては奇跡に近いじゃんか。フェスにはたくさんの人の協力と入念な準備期間が必要で、「来週やります」と言っていきなりできるものじゃないから、「このご時世でできるわけない」というのが正論だし、本音なんだよね。でも、ステージに上がる前から「できないからやめた」と言ってたらもう終わりだから、「どうしてもやりたい」「どうやったらできるんだろう」って言い続けてたよ。

ーーTAKUMAさんは、先日行ったバンド初のホールツアー(『10-FEET “アオ” TOUR 2021-2022』)をどう振り返りますか?

TAKUMA:ホールなので座って観る人がいたり、声を出せない制限も当然あったけど、ライブの良さに関しては再確認できるツアーでした。ここで言う“ライブの良さ”っていうのは………僕や茂木に限らず、バンドマンが「ここでみんなマスクを外しましょう」とか、「コロナを5類感染症にしましょう」とか、仮にそういうことを熱いライブをしてるときに言ったとしても、「そうは言ってるけど、そう簡単じゃないことくらい、あの人はきっとわかってる。それでも今叫んでいるんだ」と思わせてくれる気がするんです。あくまで例えですけど、それが紛れもないライブの良さ、ライブの力やなって。音楽を介さないネット上での発言になると、「この人はわかってる上で言っているんだ」というのがわからない。だから「それは違う」っていうように燃え上がっていくわけで。だけど対面していれば、表情や声のトーン、場の流れでそういう誤解も解けたりするから、ライブにはやっぱりその力があるなということを再確認しました。

ーーなるほど。

TAKUMA:誰にだっていろんな考えや選択肢があって、どれも大事だよねとわかっている上で、それでもあえてそこで話すわけです。それを聞いて「私も同じ気持ちになった」とか「俺は考えが違うな」ってそれぞれ思うわけだけど、違う意見を持ちながらも、音楽を通して盛り上がることができるのが、本来のささやかなピースだったはずなんですよ。けど、ネットでみんながいろいろ言えるようになってから、分断が強く表面化したんじゃないかなと。ライブやと、勝敗はついたけど抱き合うサッカーの試合の後みたいな、ある種の爽やかな状態に汗と音楽がしてくれるじゃないですか。それは政治家にはなかなかできないけど、なぜなら彼らに求められていることはそれじゃないから。

茂木:コロナみたいな疫病って見えない空気だから、モラルでどうにかできることではないと思うんだよね。悲しいことに、ルールを決めないといけない。では、ルールを作るのがこの人でいいのかっていうところにみんな着目し始めて、政治に対しても考え方が一度変わるはずだったんだよ。そこからの総選挙で、全然変わってねえなとは思ったけど。

TAKUMA:そうやね。

ーー炎上や誹謗中傷がはびこる一方、ネットやSNSも駆使しなければ生きづらい世の中で、お二人はどう折り合いをつけているんですか。

茂木:架空の世界とはいえ現実でもあるオンラインと、アナログで現場主義なライブっていう空間の良さ、俺らはその両方を知ってる世代だけど、震災以降の10年間って惜しみなくネットでのやり取りが活発化したじゃんか。今はコロナが決定打になって、次から次へとオンラインに移り変わっていくけど、管理社会になりすぎることへの息苦しさはめちゃくちゃ感じていて。俺はバンドで一発、でっけえ音と声を出しながら「これで本当にいいのか!」と言ってる人間でありたいと思う。両方のいいところを使い分けられる世代として、「これはオンラインでやるべき」「これはオフラインでやるべき」ということをちゃんと未来に教えてあげられる存在でなきゃいけないし、そのためには両方を知らないといけないわけだから。

TAKUMA:オフラインでやることの面白さも絶対にあるからね。伝え続けていけば、オンラインだけにはならへんと思う。

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