ぜんぶ君のせいだ。ソロインタビュー第7弾:如月愛海
ぜんぶ君のせいだ。如月愛海、ひとりではないと実感した6年間 「人生に深く関わって一緒に生きる気持ちが芽生えた」
ぜんぶ君のせいだ。が7人の新体制となり、本格的な再スタートを切った2021年。2020年夏にメンバー脱退や活動休止という大きな節目を経て、一時的にグループは如月愛海と征之丞十五時の2人だけに。そこへ甘福氐喑、もとちか襲、雫ふふの3人が加入し、同年11月には新5人体制でのお披露目ライブを行った。さらに今年に入って、新たにメイユイメイ、个喆の2人が加入し、現7人体制でのぜんぶ君のせいだ。が誕生した。
編成は大きく様変わりしたわけだが、グループの本質は驚くほど変わっていない。孤独で居場所のなかったメンバー同士で支え合い、患い(ファンの総称)一人ひとりと目を合わせながら全身全霊で前へ進んでいく、その姿勢はますます揺るぎないものになっているのだ。7人の声は『Q.E.D. bi』でのインタビュー(※1)にも掲載されているが、各メンバーのキャラクターやグループでの役割をさらに深く探るべく、リアルサウンドでは7人へのソロインタビューを行ってきた。
最終回となる第7回目は、如月愛海(きさらぎめぐみ)が登場。感情を全方位的に解き放つパフォーマンス力、小説『縁罪』の執筆に表れているような独創性、そしてグループの核を体現するリーダーシップを合わせ持ち、唯一のオリジナルメンバーとして、ぜんぶ君のせいだ。を6年間支え続けている。その奥には、何があってもぜん君。を背負って行こうという揺るがぬ意志と、一人ひとりのファンと交わしてきた“果たさねばならない約束”があった。彼女のコドモメンタルとの出会いや、ぜん君。が始動してから今日までの歩み、メンバーへの想いや未来のことまで。如月とじっくり語り合った。(編集部)
ぜんぶ君のせいだ。結成前の様々な経験
ーー如月さんはもともと女優業をやっていたところから、ぜんぶ君のせいだ。のオリジナルメンバーになったという流れでしたよね。
如月愛海(以下、如月):女優といってもエキストラくらいでしたけどね(笑)。ぜん君。が始まった時はオーディションを受けたわけじゃなくて、まずSNSで見つけてもらって、声をかけられたんですよ。コドモメンタルがまだ会社になっていなくて、インディペンデントの極みみたいな時期でしたけど、そういう方が楽しいだろうなと思ってました。
ーーぜん君。自体は、如月さんの声で生まれたわけではなかったんですよね?
如月:ないですね。女性グループに入るなんて想像もしていなかったです。歌もダンスもやったことなかったし、カラオケにも数回行ったことあるかどうかで、音楽で何かしようなんて考えたことなかったので。女優志望でしたし、誘われた時も「MV出たいな」くらいの気持ちでした。
ーーそれでもコドモメンタルに入ったのはきっかけがあったんでしょうか。
如月:それこそ大きな会社じゃなかったし、社長もあまりいろいろ説明する方じゃないから、手掛けてきていたもの自体を私が知らなかったこともあって、大丈夫だろうと(笑)。でもお母さんには、「コドモメンタルっていうところに入るけど、もしかしたら全裸になる仕事が来るかもしれない」みたいなことは言いました。
ーー(笑)。ご両親はそれを聞いてどうでした?
如月:親は放置型なので、「大変ねぇ。自己責任でやりなさい」みたいな感じで、特に何も言わなかったですね。「全裸になったら、応援できるかはわからないわ」とも言われましたけど(笑)、それでも体当たりでやってみようっていう気持ちだったんですよ。
ーー音楽で何かしようとは思わなかったということですが、如月さんの心の支えになっていたものは何だったんですか?
如月:うーん……仕事かな。ぜん君。に入る前は社員として普通に仕事をしていましたし、休みがあっても結局仕事のことを考えちゃうので、とにかくずっと外にいて働いてましたね。特に好きだったのはコンビニ店員なんですけど、コンビニってお客様を選べないから、自分が出会ったことないタイプの人に出会えることが楽しくて。都内でもトップクラスに忙しいコンビニで働いていたので、クレームも多かったですけど、人生経験としては楽しくやっていました。
ーー下積みとして働いている期間が長かったんですね。ぜん君。メンバーは、みんな「ぼっちだった」と言いますけど、如月さんはもともとどういうところに孤独を感じていたんですか。
如月:私が育ったのは本当にど田舎の村で、小さい噂とかも近所にすぐ知れ渡るし、幼稚園から中学校までずっとクラス替えなく一緒に過ごして、いじめとかもループして起こるようなところだったんですね。それでも、もはや学校にいるほうが楽だなっていうくらい、私は家にいるのが嫌いだったんです。上に2人お兄ちゃんがいて、一番上のお兄ちゃんは元気ハツラツと学校に行ってたんですけど、2番目のお兄ちゃんがある日から学校に行かなくなったんですよ。その2人をどちらも見ていて、まだ学校に行くほうが世間体的に言われることも少ないんだなっていうことがわかったので、一応学校には行っていました。
ーー家にいるのが嫌いだったのは、どうして?
如月:親とか周りにいる大人が、自分の都合で右往左往しているのが嫌いだったので、家に自分の居場所があるとは思えなかったんです。中学生の頃に書いた“20歳になった自分への手紙”に「あなたの嫌いな大人にならないように」と書いたくらい、とにかく自立しなきゃと思っていました。
ーーそこから本格的に上京する決意は、どのように固まったんですか。
如月:私が外にずっといて、しばらく家に帰ってこなかった日があったんですけど、母が「あの子の人生なんだから、あの子が責任持つでしょ」と言ったらしいんですよ。それを聞いて、自分で責任を取れるなら自由に生きていいんだと思って、とにかく村の外に1回出てみようと思ったのがきっかけです。
ファンの数が増えていったグループの変革期
ーー上京してから出会ったぜん君。メンバーの印象はどうでしたか。
如月:最初のメンバーをオーディションする時、私も全部見ていたんですけど、反骨精神がありそうな人が受かっていく形になりました。いろいろなことがあってぼっちを経験したけど、負の感情を負のままではなく、新しい形で外に出せる人。そういう意味での反骨精神に、私も共感していたのかなとは思います。
ーー今のぜん君。は何事にも全力なグループだと思いますけど、いざ活動がスタートした当時はどんな雰囲気だったんですか。
如月:やるからには売れたい気持ちがみんなあったと思うけど、グループで活動するのは全員初めてだし、コドモメンタル自体も初めて作ったグループだったので、手探りでしたね。今だから言いますけど、一番初めの「ねおじぇらす✡めろかおす」のMVなんて、ほとんど自分が準備しましたから(笑)。私も女優志望だったので、一応リーダーとしてやりつつも、グループが形になったら抜ける予定だったんですよ。でも、最初のワンマンライブからソールドアウトすることができて、1stアルバム『やみかわIMRAD』とか、『無題合唱』や『僕喰賜君ノ全ヲ』のシングルを出した時には、ついてきてくれる人がいるんだってことがわかったんです。守っていかなきゃいけない気持ちになって、そこからは全員全力でした。
ーーやっぱりその時期の曲は特別でしたよね。メンバーの皆さんもしっかり歌詞を解釈して、「こういうふうに見せたい」という思いを持ちながらステージに立っていたんじゃないかと思うんですけど、ライブで見えてくる景色はどんなものだったんでしょうか。
如月:その頃芽生えたのは、人ってすぐいなくなるんだなという気持ちですね。初めから応援してくれている人は今もいるんですけど、どうしても入れ替わっていくじゃないですか。当時は世の中の女性グループが増えていた時期で、この間まで私たちを見に来てくれていた人が、違うところに行ってしまうことも多かったんですよ。それ自体は全然悪いことだとは思わないけど、自分たちだけがファンの皆さんに選ばれるわけではないんだなっていうことは、強く実感しました。『僕喰賜君ノ全ヲ』くらいの時期になると、患いさんがめちゃくちゃ増えたんですけど、その分特典会(で一人ひとりと話す時間)も短くなってしまったので、近い距離が好きだった患いさんが「話せなかったからいいや」みたいに去ってしまったりとか。“推し変”とかもあったと思うし、そういうこと自体をグループとして初めて経験したのがその時でした。ファンの皆さんがいない最初の時期を知っていたこともあって、離さないようにしなきゃっていう気持ちが強かったです。
ーーそもそもその時期にファンが増えたのはどうしてだと思います?
如月:初期から楽曲を作ってくれている(水谷)和樹さんやsyvaさんの曲が好きって、ファンの方からずっと言われていたんですが、『やみかわIMRAD』まではその楽曲に自分たちが追いつこうとしていた時期だったと思うんです。そこにようやく表現や気持ちが追いついていって、「患いさんを離したくない」っていう思いを届けられたんだと思います。
ーー“ぜんぶ君のせいだ。の表現”が確立されたわけですね。1つ思うのは、もともと一人ぼっちだったメンバーの居場所としてぜん君。が機能していたからこそ、ファンに何かを届けることよりも、「メンバー同士で一緒にいること」が大事な時期も最初はあったんじゃないかと想像するんです。
如月:本当にそうだと思います。だから患いさんが増えて状況が変わっていった時、ぜん君。で続けるかどうかをみんな1回は悩んでいたんじゃないかな。私は悩んでないんですけど(笑)。現場にメンバーが突然来なくなっちゃった時も、家の前で待ちながら「何も伝えられない状態でいなくなっちゃうと、絶対に後悔すると思うよ」って言ってました。でも、仕事も何でもそうですけど、辞めたいとか、続けるかどうかの選択を迷う時期が定期的に来るじゃないですか。だから「後悔しないならその選択でいいよ」とも伝えていましたね。
ーー脱退は何度かありましたけど、その時期を乗り越えてグループが続いていることが、患いさんの心にも刺さっているんだと思います。
如月:全力が伝わっていたのかなとは思います。ツアーとかリリースイベントも全国を回るようになっていったんですけど、全国ツアーを全通する方もどんどん出てきたり、地方に行った時は周辺の土地の人たちもみんな来てくれたりして、帰る場所、待っていてくれる場所が増えたんですよね。あとは、大学を卒業して仕事を選ぶ時、私たちがツアーでよく回る場所を選んで就職してくれたりとか。私たちが患いさん一人ひとりの人生に深く関わっているんだ、一緒に生きていくんだという気持ちも、強く芽生えました。