「テレビが伝える音楽」第14回

『テレ東音楽祭』プロデューサーに聞く、“バラエティ脳”の発想で生まれる企画 MC 国分太一の魅力も

 音楽の魅力を広く伝えるメディアとして、大きな機能を果たすテレビの音楽番組。CD全盛期に比べて番組数が減少する中、それぞれ趣向を凝らした番組づくりが行われている。そんななかでも、注目すべき番組に焦点をあてていく連載「テレビが伝える音楽」。第14回では、今年で8年目を迎える『テレ東音楽祭』(テレビ東京系)プロデューサー・星俊一氏を迎えた。遊び心あふれたオープニングやバラエティとコラボした企画など、毎回他の音楽特番とは異なるカラーを見せる同番組。奇抜なアイデアが生まれる経緯、番組の強み、そして第1回からMCを担当する国分太一の魅力までを聞いた。(編集部)

『テレ東音楽祭』の目線と国分太一のキャラクターや人柄がリンクしている

星俊一氏

――まず、星さんがテレビ業界に入った経緯を教えてください。

星俊一(以下、星):僕は大学時代哲学科で周りは大学院に進む人が多かったんですけど、僕の一番仲良い友達が就職活動を始めたんです。その頃僕はサークルでバンドをやっていて、将来何をやるかはまだ決めていなかったんですけど、その友達の影響もあって就職活動をはじめました。当時はテレビ局が一番早く採用活動が始まっていたし、子どものころからバイオリンをやっていて音楽が好きだったので、どうせやるなら音楽に絡んだ仕事ができたらいいなと思ってテレビ局を受けました。

 でもいざ受けてみると、他局はことごとく落ちちゃって、「これはもう本腰を入れてやらなきゃダメだ」と。そう思ったタイミングでテレビ東京の入社試験を受けたんですけど、他局では「音楽番組をやりたい」と言ってたら落ちてしまって。テレビ東京は当時アダルト系の番組が多かったから、「エロと哲学的なことを一緒にしたような番組をやりたい」と言ったら通った形ですね。

――幼少期から音楽に深く関わっていたんですね。

星:母親が小学校の音楽の先生で、実家がピアノ教室をやってたんですよ。学校から家に帰ってくると、晩御飯の時間まで生徒さんがずっとピアノを弾いていたり、教材のレコードをよく母が流していたりして、音楽が刷り込まれていたというか。姉と僕も楽器を習っていたし、そういうベースはありましたね。

――学生時代はどんな音楽を聴いていたんですか?

星:小学校まではクラシックが中心だったんですけど、中学校に入るとロックとかJ-POPを聴き始めて、The Beatlesとかの洋楽も聴いていましたね。友達と一緒に中学校の音楽室にあったクラシックギターでThe Beatlesのコードを弾いてコピーしたり、中学校か高校の頃には友達3人と初めてスタジオに入ってThe Beatlesの曲を演奏しました。

――当時聴いていたのは洋楽が中心だったんでしょうか。

星:邦楽と洋楽を並行して聴いていましたね。邦楽だと、サザンオールスターズや松任谷由実さん、竹内まりやさん、山下達郎さん、今井美樹さんとか。洋楽だと、The BeatlesやNirvana、Guns N' Rosesですね。高校生ぐらいからは渋谷系が流行り始めたのでその辺も聴いたり。当時僕の周りでは“なるべく他の人が知らない音楽を聴いている方が偉い”みたいな風潮があったので、「ミスチル(Mr.Children)もいいけどこんなのもあるんだよ」とあまり知られていない洋楽を友達にカセットで貸して、「かっこいいじゃん」と言われるみたいな。CDもバンバン売れていた時代でしたが、王道とは別であまり知られていない洋楽を探るのがかっこいいというか。当時はそんな感じだったと思います。

――音楽好きな青年だったんですね。

星:そうですね。2000年前半に会社に入ってからは、給料をもらってCDがいっぱい買えるのが嬉しくて、毎週HMVやタワーレコードに行ってました。学生時代は3カ月に1枚くらい、選びに選んで買ったものをずっと聴く感じだったので、何でも買えるのが幸せで。今はサブスクもあるし、CDをベースにする時代でもないですけど、入社した当初はそんな感じでしたね。

――星さんは『モヤモヤさまぁ〜ず2』や『二軒目どうする?〜ツマミのハナシ〜』などバラエティ番組も担当されてきたそうですが、どのようなキャリアを歩んできたんですか?

星:テレビ局に入って音楽番組を作りたいってなると、関門がいくつかあるんです。まずは制作局に配属されるか。制作に入らないと音楽番組もできないので。20人くらい同期がいたんですけど、制作に配属されるのは3人でしたね。入社してから1カ月くらい研修を受けるんですけど、研修の最後に一人ずつ配属先が発表されるんですよ。僕は無事に制作に配属されたんですけど、次のハードルは何の番組を担当するかですね。当時は『ASAYAN』からモーニング娘。が出てきて、『ハロー!モーニング。』というモーニング娘。メインの番組も始まっていたので、そういう番組に配属されたら友達にも自慢できるし、音楽にも関われるからいいなと思っていたんですが、最初はみのもんたさんの『愛の貧乏脱出大作戦』というバラエティ番組に配属されました。

 その番組もすごく勉強になったんですけど、「音楽番組をやりたい」という希望もあり、次は演歌番組に配属されました。ちょうど氷川きよしさんがデビューしたタイミングでした。テレビ東京って、演歌が非常に強いんですよ。『演歌の花道』という番組を大正製薬の提供でずっとやっていて、それが終わった後も演歌のレギュラー番組が続いたので。その演歌番組と並行して、今も僕が担当している深夜の音楽番組『MelodiX!(現在はプレミアMelodiX!)』のディレクターもやり始めました。さらにそこからバラエティ番組をやりながら、YAMAHAがスポンサーのジャズやクラシックを取り上げる番組をやったり、今のHey! Say! JUMPやNEWS、Kis-My-Ft2のメンバーが当時ジャニーズJr.として出ていた番組をやったり、ミュージシャンに密着する番組をやったり。色々なパターンの音楽番組をやりましたね。2010年、2011年くらいからは音楽番組メインになって、今に至ります。

 演歌って若い人だと聴きなじみがないこともあるし、僕も中学高校で聴いていたわけじゃないんですけど、番組で携わるようになってずっと生で触れていると、良い音楽だからこそファンがいることを実感しましたね。そういう体験ができるから、今はどのジャンルの音楽を聴いても良いものは良いなと感じます。色々なジャンルの音楽を番組で取り上げられるのはありがたいですね。

――2014年から『テレ東音楽祭』(2011年〜2013年には前身番組『プレミア音楽祭』がオンエア)が放送されるわけですが、スタートしたきっかけを教えてください。

星:2011年の震災後に大型の音楽特番がすごく増えてきたんですよね。テレビ東京では、2011年に演歌系の番組『木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~』が始まったんですが、他局ではJ-POPの長時間特番が始まっていたので、テレビ東京も何かできないかということで、テレビ東京が開局50周年を迎えた2014年に第1回目の『テレ東音楽祭』が始まりました。その時は、一部が『木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~』をベースにした演歌、二部が国分太一さんMCのJ-POPと半々に分かれていたんですよね。そのときは本当にお祭り的な感じで、関ジャニ∞とテレビ東京の社員200人が局内で一緒にパフォーマンスしたこともありましたね。演歌は他の特番もあったので、2回目からはJ-POPオンリーでやることになり、そこから放送時間も伸びて今の形に落ち着きました。

――第1回目からMCを務める国分さんの魅力はどんなところだと思いますか?

星:『テレ東音楽祭』のバラエティ寄りの目線というか、たまに他の局ではやらないような企画をやる遊び心は、国分さんのキャラクターや人柄とリンクしていますよね。国分さん自身が、他の音楽番組との違いや、見ていて楽しめる雰囲気をすごく大事にしてくれていますし、ご本人自ら色々な企画のアイデアを出してくれるんですよ。最初は何もないまっさらの状態で「今年はどんな風にします?」って話し合いながら進めるんですけど、国分さんが「こういう感じのことしてみたらどうだろう」とか言ってくれて。スタッフと同じ気持ちで番組のことを考えてくれているので、国分さんは本当に素晴らしいと思います。

――国分さんからもアイデアが出てくるのは驚きですね。

星:今年もご本人のアイデアを形にできるように、今色々準備しているところです。『テレ東音楽祭』はオープニングでちょっと変わった登場の仕方をするのが恒例なんですけど、番組の冒頭って始まったばかりだから決して視聴率が高いゾーンではないんですよね。そういうところでも事前に色々な仕込みをしています。たとえば一昨年のオープニングは、国分さんが天王洲スタジオ前の運河でアクアボードに乗って登場して、最後は水に落ちるというものだったんですが、あれのために国分さんはわざわざ車で二時間くらいかけて海に行って、本番通り海辺でスーツを着て何時間も練習してくれたんです。そんなこと普通してくれないですよ(笑)。しかもそれをあえて番組で言わない。そういうところがまたいいんですよね。

関連記事