TohjiとLoota、コラボ作『KUUGA』の異質さとは何なのか 意表を突く表現の尖り

Tohji, Loota & Brodinski『KUUGA』

 3月末、TohjiとLootaが、フランス出身でアトランタを拠点とするプロデューサーBrodinskiとコラボレーションしたアルバム、『KUUGA』がリリースされた。TohjiとLootaはつい先日、Lootaの配信シングル「Love Sick」にTohjiが客演するかたちでコラボし、話題を呼んだばかり。そのタイミングで届けられた本作では、激しく変調されたふたりのラッパーの声と、カニエ・ウェスト『Yeezus』(2013年)への参加でも知られるBrodinskiによる硬質でざらついたインダストリアルなサウンドの組み合わせが、このうえないシリアスさを醸し出している。

Aegu

 とはいえ、それを「ビートとラップの組み合わせの妙」とだけ言って片付けてしまうのははばかられる。ビートとラップが一体になっている、という表現もちょっと違う。なにか意表を突くような表現の尖り方をしているのだ。オートチューンと深いディレイやリヴァーブに包まれたビートレスの「Aegu」で幕を開ける本作は、続く「Yodaka」や「Oni」に聴かれるように、バラエティに富む声や呼気をパーカッションのように配置してメロディやグルーヴを編み上げてゆく奇妙なボーカリゼーションによって構成されている。言葉以前の声――まさに「喘ぎ」――を思わせる。一方、あえてリズム的な表現は最小限に、ときにほとんど姿を隠してしまうBrodinskiのビートはきわめてミニマリスティックだ。しかし、ボーカルを含めて空間に漂うテクスチャーを巧みにコントロールすることで、トータルとしてはむしろマキシマルな作品に仕上がっている。

Yodaka

 きわめて身体的でときにセクシュアルなモチーフが滑り込んでくるリリックは、しかしエロティックというよりは即物的で、「Iron D**k」でラップされるように、機械と肉体の境界線すらあいまいになるようなところがある。――ということはつまり、性の境界線ごと問いに付されている、とも言える。あるいはラース・フォン・トリアーの映画『ニンフォマニアック』のタイトルを引用する「Errday」でも、刹那的なエロティシズムを打ち消すような反復(errday=毎日)が徹底されていく。

Errday

 とはいえ、それが単純に無味乾燥な荒涼とした世界を目指しているのでないことは、たとえば「Yodaka」に漂う陰影に富んだ哀感にはっきりとあらわれている(Tohjiのセカンドヴァースでシンプルな描写が〈君と指切り ナミダ きらり/羽が一枚〉というポエティックな2行にたどり着く様は、Lootaの言葉を借りれば〈感情のストリングス〉にびんびんに触れてくる)。