Lucky Kilimanjaro、音楽×ダンス×雨が交差する歓喜の瞬間 日比谷野音に広がったドラマティックな光景
買ったばかりの文庫本がリュックの中で水浸しになったのは、土砂降りの春の雨の中で音楽を聴いていたからだった。4月4日、日比谷野外大音楽堂で開催されたLucky Kilimanjaroのワンマンライブ『YAON DANCERS』を観に行ったのだ。天気はいわゆる「生憎の雨」に見舞われたが、私はあの日降り注いだ雨を憎くなんか思わなかったし、むしろ雨と音を思う存分浴びたあの日の開放感を、なにかが浄化されていくような心地いい体験として、あれから数日たった今も記憶している。眼鏡のレンズが雨に濡れて視界はおぼつかなかったし、コンビニで買っていったレインコートは、上半身は守ってくれたが下半身は守ってくれず、ズボンはずぶ濡れだった。でも、そんなことはどうでもよかった。濡れたものは、どうせ時間が経てば乾くのだから。ぐしゃぐしゃになっていく靴も、体に張り付く服も、まったく気にならなくなるくらい、降り注ぐ音と雨は爽やかで、気持ちよかった。ああああ、洗われていく……そんな感覚。日比谷野音という都会のど真ん中にある森林で、ダンスミュージックを聴く。これは現実逃避?ーーまさか。私は現実をより鮮明に観て、明日からまた足を踏みしめて日々を生きるために、あの日の音を、雨を、清々しく浴びたのだ。
開演前に会場に入るとSEではジーン・ケリーの“雨に唄えば”が流れていて、それは数日前から雨の予報が出ていたこの日の天気を見越した演出だったのだろう。“雨が降るなら踊ればいいじゃない”というのは、ラッキリの新作『DAILY BOP』に収録された曲のタイトルだが、それがただの言葉遊びではないことをラッキリはこの日のライブで示そうとしていた。その他にも会場のSEではプレイボーイ・カルティの「F33I Lik3 Dyin」やUKハウスの大御所、ピート・ヘラーの「Big Love」なんかが流れていて、それらの選曲は、歌においてもサウンド面においても「リズム」の世界を探求することでより豊潤な身体性と饒舌なポエジーを獲得した『DAILY BOP』の音楽世界に通じるものだった。
『DAILY BOP』リリース時に私がリアルサウンドで取材させてもらった際に、熊木幸丸はケイトラナダなどの名前を上げながら、「このコロナ禍においてこそ、自分はよりシンプルに踊れるダンスミュージックを追求しようと思った」と語った。そして、「“祈る音楽”の先にある“動く音楽”を作ることは、自分たちだからこそできることなのだ」と。私にとって彼のこの言葉は、『DAILY BOP』の素晴らしさの裏付けになっていた。朝から夜へと至る人間の1日のバイオリズムを、アルバム1枚を通して描く。そうやって生まれる「生活」に隣接した詩情を、綿密な肉体性を持った「動き」のあるリズムや旋律と接続する。そうすることで、聴き手である私たちがそれぞれの視覚を通して眺める日々に、新たなレイヤーが生まれるーー。それは、2020年以降、塞ぎ込みがちな毎日を送る私たちの日常に、新たな発見と祝福をもたらすために生まれたようなアルバムだった。そんな『DAILY BOP』の収録曲は、この日、野音で全曲演奏された。
雨、雨、雨と冒頭で書いたが、ライブが始まった頃の降り具合は小雨程度で、むしろ1曲目の“太陽”が始まったとき、祝祭感あふれるトライバルなリズムと節回しで〈雨のち晴れのち曇りでまた夜と忙しない〉〈太陽をこぼさないよう 雨よけの歌で踊れやほい!〉と歌われる最中に徐々に雨が上がっていったのはとても感動的な光景だった。あの日、あの瞬間の「太陽」は本当に「雨よけの歌」だったのだ。しかしながら、5曲目に「雨が降るなら踊ればいいじゃない」が演奏される頃にはまた雨が降り出していて、その音楽と大自然の一致ぶりというか、演奏される曲の歌詞に呼応して天候まで変わっていく様子を見ていると、まるでステージ上のラッキリの6人がシャーマンの集まりのように思えた。で、そんな「雨が降るなら踊ればいいじゃない」の熱演が功を奏したのか、ライブが進むにしたがい、いつしか空は、私たちに、たっぷりと癒しの雨を与えてくれたのだった。