千秋、YouTubeでの歌声披露にリアルタイム世代が歓喜 ポケットビスケッツの楽曲が今なお求められる理由

視聴者も一緒に達成感が味わえる『ウリナリ』の番組構成

 1990年代、バラエティ番組発のユニット結成や楽曲リリースがブームになった流れも、ポケビのヒットの要因に挙げられるだろう。1995年、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)をきっかけにダウンタウンの浜田雅功が小室哲哉と組んだH Jungle with t。1996年、『進め!電波少年』(日本テレビ系)でのユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気者になった猿岩石。1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(日本テレビ系)の番組スタッフととんねるずで結成された野猿。お笑い芸人が一流ミュージシャンとコラボし、本格的な楽曲を大真面目に歌う姿は良い意味でギャップがあった。

 当時の音楽チャートは、TKファミリーの大ブレイク、モーニング娘。の誕生、MISIAや宇多田ヒカルらR&Bのテイストをまじえたミュージシャンの登場、Dragon AshなどヒップホップもまじえたミクスチャーバンドやHi-STANDARDやSNAIL RAMPらメロディックパンク勢の人気など、とにかくいろんなジャンルが混在していた。そういった状況に後押しされて、バラエティ番組発のユニットや楽曲も幅広く受け入れられていたのではないか。

 『ウリナリ』の番組の方向性もヒットに結びついた。ポケビはグループ存続を賭けて試練に何度も立ち向かった。もともとポケビは、後藤次利プロデュースのMcKeeの結成を受けて内村が提案し、同ユニットのオーディションに落選した千秋を引き入れてスタート。まずMcKeeと、デビュー曲のチャート対決が繰り広げられた。その後は、ライバルユニットのブラックビスケッツとバトル。ブラビとの対決に敗れて新曲「My Diamond」のリリースがかなわず、マスターテープを破壊することになったとき、千秋はカメラの存在を忘れたかのようにショックを隠しきれなかった。千秋は、各所のインタビューでも当時について「悔しかった」と振り返り、「My Diamond」に代わってリリースされたブラビの代表曲「Timing」を聴くのが嫌だったと話している(ちなみにその後、再び同曲のリリースを賭けた対決で勝利し、シングル『Days/My Diamond』としてリリースされた)。

「My Diamond」

 同番組は、ほかにも「ウリナリ芸能人社交ダンス部」、「ドーバー海峡横断部」などの人気企画があった。多忙な人気タレントが努力を重ねて実力を向上させ、レギュラーを目指し、誰かがピンチに陥ったら全員で励まし合って困難を乗り越える姿が視聴者の感情を揺さぶった。

 ドキュメンタリー的な内容で視聴者も応援しやすくなり、一緒にゴールに向かっていく感覚があった。出演者だけではなく、視聴者も達成感が味わえる番組構成がポケビのヒットの追い風になったのではないか。

 千秋の動画のコメントには、ポケビ復活を願う書き込みが多数あった。2018年には『24時間テレビ41 愛は地球を救う「人生を変えてくれた人」』(日本テレビ系)で一夜限りの復活を遂げたが、今後、熱望の声がさらに集まれば、新しい展開があるかもしれない。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter

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