Juice=Juice 宮本佳林は、光と影を内に抱える少女だったーー卒業公演とともに振り返る“アイドル人生”
思えば正式にデビューする前から、宮本は常にファンの間で話題の中心にいた。それもそのはずで、活躍の機会が圧倒的に多かったのだ。研修生の定期公演で歌割を多く任されていたことはもちろんのこと、ミュージカル『リボーン〜命のオーディション〜』などの舞台作品、ドラマ『数学♥女子学園』(日本テレビ系)や映画『星砂の島のちいさな天使 〜マーメイドスマイル〜』といった映像作品にも大抜擢。
中でもコピンク名義で出演した『ピンクス』『コピンクス!』(静岡朝日テレビ)は宮本のキラキラしたアイドル性が存分に発揮された当たり役といえるだろう。宮本が歌うテーマ曲「カリーナノッテ(feat.コピンク)」を含むミニアルバム『コピンクス!メロディーズ〜star chart〜』は、その魅力を知る最良のテキストなのでぜひ聴いていただきたい。
しかし、華やかな活躍の一方で辛酸を舐めることも多かった。デビューがなかなか決まらなかったからだ。モーニング娘。9期メンバーのオーディションを皮切りに、同10期、スマイレージ2期などに次々と落選。このあたりのことは現在、新設された個人ブログで本人が生々しく振り返っているが、「重すぎる」「想像もつかないようなずぶずぶのネガティブ沼」と記されているように精神的にはどん底にあったようである。
最終的に小田さくら1人が加入することになったモーニング娘。11期オーディションは一般枠と研修生枠が別枠で進められたのだが、宮本は研修生枠でエントリー。現場で密着取材していた私は、宮本が高レベルの歌やダンスを披露しながらもあえなく途中離脱したことに到底納得がいかなかった。オーディション終了後のコメント取材時、勢い余ってプロデューサー・つんく♂氏に「なぜ宮本さんじゃダメだったんですか!? これ以上、何を研修させるのですか!?」と詰め寄ってしまったほどである。いずれにせよ、宮本は光と影のアンビバレンツな要素を内に抱える少女だった。
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2回目となるMCで、リーダー・金澤朋子は「Juice=Juiceの単独公演は今年2月のライブハウスツアー以来であること」「大会場での単独公演という点では、昨年11月の代々木第一体育館以来になること」「このように人前で歌えることに改めて幸せを感じていること」を述べていく。そして「でも、今日の主役は宮本佳林さん。佳林にしっかり花を持たせてやりたいと思います!」と苦楽を共にした同僚に笑顔を向けた。
中盤のメドレーコーナーでは、宮本と各メンバーが1人ずつデュエットで熱唱していく。昨年6月に加入した工藤由愛との「アレコレしたい!」や松永里愛との「背伸び」では、先輩らしくパフォーマンスでリードする一面も。最後は金澤、宮本、高木紗友希、植村あかりのオリジナルメンバー4人で「大人の事情」を披露。NEXT YOU名義で発表された、ドラマ『武道館』(フジテレビ系)の挿入歌だ。
宮本は「噛みしめましたね。この曲のときはこんなことがあったよな、と考えながら歌わせていただきました」と感無量の表情でコメントしていたが、その気持ちはファンも同じだろう。Juice=Juiceとして歩んできた7年間がいかに濃厚だったかは、なによりも楽曲が雄弁に物語っていた。
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宮本がJuice=Juiceのメンバーに選抜されてデビューを果たしたのは2013年2月のこと。ちょうど中2から中3に上がるタイミングだった。小4からハロプロエッグ(ハロプロ研修生の前身)で活動していた宮本は、「中2が終わるまでに結果が出せなかったら、アイドルは諦めて学業に専念する」と両親に約束していた。まさに崖っぷちのタイミングだったのである。
6人体制でスタートしたJuice=Juiceは民主的な傾向が強く、明確なセンターを設けない方針を採っていた。昔も今もそのことは一貫しており、メンバーや運営サイドもしばしば「Juice=Juiceは全員が主役」と公言している。だが、ファンの見方は違った。どう考えてもJuice=Juiceのエースは宮本であり、グループの顔として注目度は段違い。人前に立つ仕事をする者として恵まれたことではあるが、「グループを牽引しなくては……」というプレッシャーが宮本を徐々に追い詰めていく。
もともと高いプロ意識を持っていた宮本だが、ストイックさに磨きがかかったのはこの頃からだ。大事な撮影の前はフラフラになるまでジム通いとダイエットに励み、足を骨折した状態でもステージで踊り続け、心身ともに満身創痍であっても笑顔を振り撒き続ける。まさに「アイドルサイボーグ」。自らに対し絶対に妥協を許さないため、「そこまでしなくても……」と周囲からは言われることも多かったが、宮本は口癖のように「私には頑張ることしかできないから」とつぶやいた。たかがアイドル、されどアイドル。宮本にとってアイドル活動は生半可な気持ちで続けられるものではなかった。殉死する覚悟でステージに上がり続けていたのだ。