菅田将暉の音楽に対する初期衝動が蘇るーー初ツアー映像に収められた“ライブ”に魅了される瞬間
菅田将暉の今の人気をもってすれば、もはや、大人数を収容することができるホールでも、なんならアリーナクラスの会場でもライブを行うことは可能だろう。だが、最初のライブとなったこの映像の時点から現在まで、彼のなかでは、ライブをするのなら“ライブハウスという場所で遊びたい”というこだわりが変わりなくあるようだ。その証拠に、彼は昨年のライブもZeppツアーという規模で行っており、当然のことながら、チケットは高い倍率となっていた。
当時の菅田は「音楽1年目の身でありながら、初めての単独ライブを東名阪ツアーでやらせてもらうだなんてハードルが高すぎた」とMCでも話していたが、そこからわずか1年後には米津玄師提供による「まちがいさがし」も大ヒット、2019年の大晦日には『第70回NHK紅白歌合戦』に出場したことでも注目を浴びた。
主演映画やドラマも多数抱え、どう考えても俳優として忙しい菅田将暉が、なぜ音楽活動を行うのか? 彼の歌手としての立ち位置が一気に確固たるものとなったこの2年を経た今となっては、そんなことはもはや愚問でしかないと笑われてしまいそうだ。だが、当時の菅田将暉はなぜバンドという形で音楽を始めたのか。その由縁について、最初はそこまで理解されていなかったように思う。まだまだ世間が“菅田将暉がどれだけ音楽と純粋に遊びたがっていたのかを理解していなかった頃”の、ほんの初期にしか味わうことのできない衝動にあるきらめきや、仲間と遊びながら音を奏でることの楽しさのようなものが、このライブ映像には詰まっている。誰かにやってみなよと言われたのではなく、多忙な合間を縫ってでもやってみたかった、“ライブ”という一回性の魅力に菅田が取り憑かれていく最初の瞬間を、ぜひこの機会に見届けてみてほしい。
■鈴木絵美里
1981年東京都生まれ、神奈川県育ち。東京外国語大学卒。ディレクター・編集者として広告代理店、出版社にて10年間勤務の後、2015年より独立。現在はWEB、紙、イベントを軸としたコンテンツの企画・ディレクションおよび執筆に携わる。音楽、映画、舞台、テレビ、ラジオなどエンタテイメントを広く愛好。