椎名林檎の歩みにも通じる“越える”というテーマ 円堂都司昭『アダムとイヴの林檎』評

 曲を変身させることは、椎名自身も行ってきた。例えば、『無罪モラトリアム』の「丸の内サディスティック」はギターレスでキーボード中心の演奏だったが、曲名の「サディスティック」や詞の一節の「殴って」などに暴力的なニュアンスがちらつき、やさぐれた歌いかたも本人いうところの「エレキ声」的だった。それを彼女は、『三文ゴシップ』収録の「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」ではアカペラで始まるコーラス主体の曲調に変身させた。同曲に関しては今回、以前から椎名と交流のある宇多田ヒカルが、小袋成彬とのデュエットでカバーしている。ファルセットを駆使する小袋と宇多田の声の繊細な絡みあいは、オリジナルより「EXPO Ver.」にインスパイアされたように感じられる。

 また、同曲は日本語詞だったオリジナルに対し、「EXPO Ver.」ではアレンジだけでなく、詞も英語を多用したものに変えた。椎名は『Switch』2009年6月号のインタビューで「英語詞か日本語詞かっていうのは、メロディ優先というより、浮かんだメロディに対する発音の早さを優先しています」と語っていた。彼女は初期から意味より響きを考え、何語でもないフレーズを歌ってもいた。それに対し今回は、レバノン出身でロンドン育ちのMIKAが「シドと白昼夢」をラテンのリズム、フランス語詞で歌い、もとのロック色とは異なる響きにしている。

 このようにみてくると、『聖書』に記された人類のはじまりの神話から名づけられた『アダムとイヴの林檎』では、林檎現象の後に本人が選んだ音楽家としてのスタンスと呼応するような形で、はじまりの頃の曲がリメイクされたことがわかる。

 本作には、それぞれ方向性を定めてサウンドをまとめた力作が並ぶ。自分の流儀を貫くことで、既存イメージとは別の場所へ行くのが面白い。「越える」の実現である。なかでも、本人とはまるで異なるボーカルスタイルで、椎名の楽曲としっかり対峙した木村カエラ、AI、松たか子、藤原さくらなど女性シンガーたちのカバーには聴きごたえを感じた。多彩な曲調を繰り出して娯楽を提供する、ポップの楽園のごときトリビュートだ。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。

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