椎名林檎の歩みにも通じる“越える”というテーマ 円堂都司昭『アダムとイヴの林檎』評
先月発売された椎名林檎トリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』の冒頭に収録され、同作の目玉ともなっていたのがthe ウラシマ‘S「正しい街」である。これは、椎名のデビュー作『無罪モラトリアム』のアレンジ、ベースを担当して以来、その後に組まれたバンド、東京事変にも参加して彼女を支えた亀田誠治がプロデュースしたスペシャルバンドによるカバーだ。草野マサムネ(Vo/SPITZ)、鈴木英哉(Dr/Mr.Children)、喜多建介(Gt/ASIAN KUNG-FU GENERATION)、是永亮祐(Ba/雨のパレード)という錚々たるメンバーによって演奏されている。
このトリビュートではLiSAの歌った「NIPPON」でも、ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)、岡本悠佑(黒猫チェルシー)、小春(チャラン・ポ・ランタン)などが参加し、やはりスペシャルなメンツになっている。また、原曲はビッグバンドのゴージャスなサウンドだった「都合のいい身体」を、田島貴男(ORIGINAL LOVE)がハモンドオルガンとギターが活躍するトリオ編成で歯切れよく聴かせている。そのようにロックのバンドサウンドの見せ場があるアルバムではある。
一方、『アダムとイヴの林檎』リリースの前週、5月15日の朝日新聞が若者のロック離れやエレキギターに関する記事を載せた。アメリカの楽器メーカー、ギブソンの経営破綻に伴う記事であり、そこで掲載された椎名林檎の談話が興味深かった。彼女は、エレキギターに担ってほしい役割は「いらだち」、「怒り」、「憎しみ」、「やり場のない悲しみ」といった「負の感情」であり、それらを表現するのにひずんだ音色、ノイズが必須だという。すると声も共鳴して「エレキ声」になるのだと。曲作りでは、この楽器を「軋轢役」でしか登場させないとも語っていた。
彼女の談話の記憶が新しいうちに『アダムとイヴの林檎』を聴いたから、まずギターに注目したが、すぐに感じたのはエレキギター成分が意外に少ないということだった。
1998年にデビューした椎名林檎は、3rdシングル『ここでキスして。』(1999年)のヒットから『無罪モラトリアム』、『勝訴ストリップ』(2000年)という2作のアルバム発表へと、その人気が現象になるほど高まっていった。当時の彼女はささくれたグランジ的なサウンドを基調とし、ロック寄りのイメージだった。ブレイクの起点となった「ここでキスして。」のビデオには、ギターを弾きながら歌う姿が映っていたし、エレキギターの比重の大きい曲が多かったのである。巻き舌、ブレスのしかた、声のかすれから切迫感が伝わるボーカル、猥雑であったり暴力的であったりする言葉が選ばれた詞も、ロック的な印象を強めた。あの頃の彼女は「負の感情」を歌う、それこそ「軋轢役」を担うシンガーソングライターにみられがちだった。
しかし、その後の椎名は、東京事変というバンドの結成や多くのアーティストへの曲提供などを経て、多彩な曲調を操って娯楽を提供する音楽家であることを証明してきた。その過程でロック的な「軋轢」やエレキギターは、彼女の音楽の中心ではなく一要素へとシフトした。
そのような椎名林檎の歩みを反映してか、『アダムとイヴの林檎』では「世代を越える・ジャンルを越える・国境を越える・関係を越える」と4つの「越える」がテーマとされている。椎名作曲「おとなの掟」(2017年)を歌った松たか子が同様のクラシカルなアレンジで「ありきたりの女」をカバーし、椎名『三文ゴシップ』(2009年)のゲストだったレキシがファンキーなサウンドで「幸福論」を歌い、同じく『三文ゴシップ』客演のMummy-Dが今度はRHYMESTERとして「本能」でラップする。そうした過去のコラボの返礼的な顔ぶれに加え、大先輩の井上陽水、アイドル界から私立恵比寿中学、アニソンで活躍するLiSAなど、「越える」を感じさせるラインナップになっている。
このトリビュートでもうひとつ特徴的なのは、東京事変は除きカバー対象をソロ作品にしぼったなかでも、目立って初期曲の比率が高いことだ。全14曲中、『勝訴ストリップ』までに発表されたのが9曲。デビュー20周年記念作品の第1弾と位置づけられた本作では、初期3年間の曲が6割を占める。椎名林檎が現象と化し、本人には納得できない方向へイメージが肥大していた頃の曲だ。この時期の「軋轢」の色が強かったオリジナルに比べると、『アダムとイヴの林檎』では、むしろキーボード主体のアレンジのほうが多い。「軋轢」よりポップが志向されているといってもよい。
亀田誠治は、本作で「正しい街」以外にも木村カエラ「ここでキスして。」でプロデュース、アレンジ、ベースを担当している。こちらではリズムの組立てを変えた以上に、ギターレスにしたことがオリジナルとの大きな違いだ。かわりに曲を盛り上げるのは、東京事変の同僚だった伊澤一葉が弾くピアノである。木村は原曲とは色あいの違う、伸びやかで健康的な歌いかたをしている。
また、オリジナルでは悲鳴に近い部分もあるボーカルとかき鳴らされるエレキギターで激情に満ちていた「罪と罰」を、本作ではAIがR&B的な包容力の感じられるボーカルで生まれ変わらせた。ハーモニーが重ねられ、ギターが寄り添うアレンジは、まろやかな響きになっている。