レジー×佐々木俊尚が語る、“音楽の価値”と“コミュニティ”の変容 『夏フェス革命』発売記念対談

レジー×佐々木俊尚『夏フェス革命』記念対談

ファンコミュニティとプラットフォーム

佐々木:前に大規模なフェスに行ったら、ステージにバンドが出てくると熱狂的なファンが前方に集まっていました。そうすると、後ろにいる我々は冷めて見えてしまうという構図になる。熱狂してるファンと、そうではない方法でフェスを楽しみたいファンが分離して、お互い相容れないみたいな不思議な空気を経験したことがありました。その分離は今の音楽の業界にも通じるもので。ミリオンは出てるけど、一方でリリースしたけど1万枚も売れないみたいな人は山ほどいるわけです。その中でみんなどう続けているのかというと、音楽の世界でここ数年よく目にするのは、ファンコミュニティを作って、そこでマネタイズしていくというやり方。例えば月額会員制にして月1500円払うと年に2回のライブに優先的に行けるとか、一般的な発売日より前に配信やCDで先に手に入れられるとか。そういうやり方だったら、大きな事務所に所属しているようなアーティストじゃなくてもできますから。こんなふうに、ファンコミュニティのモデルを作っていく流れが起きているんだけど、一方フェスというプラットフォームでは、そのファンコミュニティが否定される。その逆振れの流れは一体なんなのか、個人的には興味があるところですね。

レジー:ファンコミュニティをベースにしたビジネスモデルが機能していくと、結果として個々のミュージシャンが影響を及ぼせる範囲は小さくなっていきますよね。そういう状況において、ミュージシャンの集まる場を提供するフェスというものの力ばかりが強まってしまうということもありえると思うんですが、どうでしょうか?

佐々木:ここ最近、コンテンツマーケティング界では、二つの方向が考えられるようになっています。一つはいわゆるロングテールで、少数派向けのニッチなものが前よりも売れやすくなってるということ。それに従って、小さなコミュニティを作りやすくなっています。一方で、ロングテールは儲からないという否定的な意見が出て、結果的にビジネスの分野で成功すると言われているのが、ブロックバスターです。実際にInstagramで何百万とフォロワーがいる人に情報を投げると、拡散されて一気に売り上げが上がる。そういうSNS時代の新しいマスモデルが出てきていますよね。大規模なフェスはブロックバスターの戦略の一つとして捉えることができるのではないでしょうか。

レジー:なるほど。僕が特に気になっているのはプラットフォーマーとコンテンツの関係性なんです。フェスは当然ミュージシャンがいないと開催できない、つまりプラットフォームビジネスを展開するにあたってはそこにコンテンツを提供する人たちがいてこそという構造があると思うんですが、今の状況が続くとプラットフォーマーばかりが強くなっていって、コンテンツを提供する側が先細っていってしまうんじゃないのかなと。そうなったときに、今度はプラットフォームも存続できなくなってしまう。そういう「結局最後は共倒れ」みたいなことにならないのかな、というのが自分の問題意識としてあります。

佐々木:難しいところですよね。握手会をやっているAKB48とかLDHだけが売れて、それ以外は、超マイナーな音楽の共有、たとえばソマリアの70年代の音楽を細々聞いてる人しかいないというのはあまりにも不健全(笑)。そうするとその中間的な、ファンコミュニティほど小さくないし、プラットフォームほど大きくもない、緩やかな文化圏みたいなのがあってもいいんじゃないかな。プラットフォームは水平的に展開するものなんですよね。例えば流通でいうと、Amazonや楽天、イオンはプラットフォームですよね。でも、そこには文化が存在しないんです。一方、たとえばファッションでも、Amazonで服を買ったからAmazonらしいとは誰も言わないんだけど、でもZOZOTOWNで買うとZOZOっぽいというのはありますよね。やっぱりZOZOには文化があるわけです。食の世界にも、イオン文化なんてないけど、成城石井っぽい文化はある。だから全てのビジネスが全部プラットを目指す必要はなくて、よりバーティカルに、垂直に特定の文化に切り込んで深めていく空間もあるわけで、それを支えるビジネスが今後必要なのではないでしょうか。

レジー:そうですね。この本では4大フェスを中心に論じていて、ビジネスとして大きくなっていっているがゆえの負の側面みたいなものにもフォーカスしているんですが、今佐々木さんがおっしゃったような「中間」にあたるレイヤーをいかに作るかというのは文化としてすごく重要なポイントだと思います。

佐々木:でも、4大フェスの功績は実はすごく大きいですよ。僕はもともと山登りやアウトドアが好きで。日本にオートキャンプ文化が根付いたのは、90年代だと思うんです。富士山の麓で開催された1997年の初回フジロックは、みんなキャンプのスキルもツールも持ってないから、Tシャツ1枚で行って震えてたという。それから20年経って、今はみんな本当にフェス慣れして、独自のフェスファッション文化が生まれている。その下地を作るインフラとしての巨大フェスの功績というのは、すごいと思います。実は「山ガール」とか「登山ブーム」の背景にはフェスがあったんじゃないかと。

レジー:アウトドアの文化とフジロックの関係は密接ですよね。主催者の日高さんの思想が一つのカルチャーとして結実しているように見えます。一方で、この本においてメインで取り上げているロック・イン・ジャパンに関しては、日本一の規模を誇っているわりにはフジロックのような「特定のカルチャーを育てて、根付かせた」というような感じはあまりないです。

佐々木:ロッキング・オンにはロッキング・オン文化があるじゃないですか。そこは継承してない?

レジー:あくまで僕の印象ですが、アーティストの思想や生き様を伝える「ロッキング・オン文化」は活字の中で完結したもので、フェスで行われていることとは隔たりがあるように思います。音楽をフィジカルに楽しむフェスという場と、そのアーティストのすごさを小難しい言葉で表現する文化はとても相性が悪いというか。なので、文章表現によってある種のブランドを築いていたロッキング・オンという会社がロック・イン・ジャパンというフェスを始めたこと自体が一つのパラダイムシフトだったんだと思います。ただ、一方でロッキング・オンはもともとは読者の投稿をベースに作られる雑誌だったので、企業のDNAと「参加者が一緒に作っていくフェス」というものはマッチしていたのかなと。

佐々木:物語性の強さでメディアを作ってた会社が、フェスに移行した瞬間に、ユーザー エクスペリエンスを非常に重視するフェス企業になったという、その飛び越え方も激しいですよね。ロック・イン・ジャパンをはじめとしたこの4大フェスの業界は、今後変化の兆しはあるんでしょうか?

レジー:大きいフェスについては、当面は今のまま続いていくんじゃないでしょうか。夏の週末に行われるフェスを中心とした音楽業界やエンタメビジネスのあり方、そしてリスナーの聴取スタイルはある程度固まってきてますよね。ただ、それに息苦しさを覚える人たちもいるはずなので、その受け皿として、先ほど話題に挙がったような4大フェスと小さなフェスの中間的な立ち位置のイベントだったり、あるいはもう少しローカルに寄ったフェスがもっとたくさん出てきて、かつそういうものに参加する敷居が下がるといいなと個人的には思っています。

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