PKCZ®連続インタビュー企画:DJ DARUMA
DJ DARUMAが語る、“ヒップホップ”でつながるPKCZ®の強み「全員のグルーヴが合っている」
EXILE HIRO、DJ MAKIDAI、VERBAL(m-flo)、DJ DARUMAによるユニット・PKCZ®が、1stデジタルシングル「PLAY THAT feat. 登坂広臣,Crystal Kay,CRAZYBOY」のリリースをきっかけにしてさらに活動のスピードを上げている。8月2日には1stフルアルバム『360° ChamberZ』のリリースも決定。なんとこのアルバムには、伝説的なラッパーであるメソッド・マン(Wu-Tang Clan)、スヌープ・ドッグが参加しているという。それ以外にも国内外のラッパー、DJ、トラックメイカーなどが参加した本作は、日本の音楽シーンに大きなインパクトをもたらすことになりそうだ。
PKCZ®連続インタビュー企画の2回目は、DJ DARUMA。ヒップホップ、エレクトロを中心にクラブシーンで名を馳せ、ファッションデザイナーとしても才能を発揮し続けている彼に、これまでのキャリアとPKCZ®の現在の活動について語ってもらった。(森朋之)
PKCZ®連続インタビュー1回目:DJ MAKIDAIが語る、クラブミュージックの醍醐味「新しいものと古いものをつなげることができる」
「マッシュアップ~エレクトロの流れは絶対に来る」って確信があった
――DARUMAさんがDJとして活動をスタートさせたきっかけから教えてもらえますか?
DJ DARUMA:高校生のときからヒップホップのレコードが好きで、友達同士のパーティなんかで回したりはしてたんですけど、DJとしてはバイトにもなってなくて。本格的に取り組むきっかけになったのは、97年あたりに始まったビッグ・ビートのムーブメントですね。僕はもともとダンスをやっていて、当時は「とにかくノリノリで踊りたい」という感じだったんですが、96,7年ぐらいはヒップホップのメインストリームが女の子と向き合って踊るようなメロウな曲が主流になった気がして、イケイケでダンスするにはフィットしないなと思ってたんです。でその頃、現在LDHでも一緒に活動している先輩のBOBBYさんから「ヨーロッパが凄いことになってる」という情報を聞きまして。「ビッグ・ビートという新しい音楽が流行っていて、The Prodigy、The Chemical Brothers、Fatboy Slimのような新しいタイプのアーティストが凄く活躍している。ダンスフロアではビッグ・ビートでブレイカー(ブレイクダンスのダンサー)が踊っていて、かなりヒップホップを感じる」という話だったんですけど、僕自身もヒップホップ的なものを求めてビッグ・ビートに飛びついたんですよね。
――ビッグ・ビートはロック、テクノ、ヒップホップなど、様々なジャンルを融合させた音楽でしたからね。DARUMAさんがヒップホップの側面からビッグ・ビートを捉えていたのは、凄く興味深いです。
DJ DARUMA:ヒップホップは雑食的に様々な要素を取り入れて発展してきた音楽だと思うんです。ビッグ・ビートが出て来たことによって、ブレイカーがテクノを聴いたりしてるのもおもしろかったし。それまで僕は「NY産のヒップホップこそがホンモノだ」って思ってるイタい若者だったんですけど、音楽の聴き方のレンジも広がったのとファッションも凄く変わりました。The Prodigyのファッション・スタイルを見たときとてつもない衝撃を受けたんです。パンクだし、ヒップホップもテクノも入ってるし、とにかくカッコいいと思って。そこらへんからですね、DJに本格的にのめりこんだのは。当時はタワーレコードのカフェでバイトをしてたから、毎日CDをチェックしまくって。既にビッグ・ビートが激流行りしていたから、それを買いまくってDJするときにかけていたら、日本にその手のDJがほとんどいなかったせいもあって、少しずついろんなところから声をかけてもらえるようになったんです。だから音楽が仕事というかバイトになってきたのは98年くらいかな?
――当時の日本のクラブシーンにも、ビッグ・ビートの波は来てましたよね?
DJ DARUMA:そうですね。ビッグ・ビート自体が世界的にも大きなブームでしたからね。ただSNSの流行前夜といった感じだったので日本ではまだまだ一部の人が聴いて楽しんでいる印象でした。
――その後の大きな波として2manydjsに代表されるようなマッシュアップの文化だと思うのですが。
DJ DARUMA:そうなんですけど、流行は感じていましたがフロア自体は世界の流れに比べるとまだまだ様々なジャンルに細分化されていたと思います。僕自身は2manydjs的な混ぜ方がすごく好きで、「これなら自分にもできる」と思ってDJ MAARを誘ってDEXPISTOLSを始めたんですけど、最初の頃はぜんぜん理解してもらえなかったです。“ヒップホップのあとに同じBPMでテクノをかける”みたいなやり方も受け入れられなかったし、Justiceをかけたら耳を指でふさいで出て行っちゃうお客さんもいたり。ただ、自分たちのなかでは100%確信があったんですよね「エレクトロの流れは絶対に来る」って。当時は”エレクトロ”という呼び方もまだ定着してませんでしたが。実際、2007年くらいから一気に広がりましたからね。それまでの日本のクラブシーンってどうしてもディレイ感があったというか、海外のトレンドがメディアで紹介されて、少し遅れてから日本でも流行るという感じだったんですけど、インターネットやSNSが発達してきて、世界同時発生的な動きが起きるようになって。
――その最初のムーブメントがエレクトロだったと。
DJ DARUMA:そう判断しています。僕自身のことで言えば、15歳くらいの頃の音楽の聴き方に戻った感覚もあったんです。そのくらいの年齢って、何でも聴くじゃないですか。洋楽・邦楽とかジャンルに関係なく、Bon Joviもハードコアテクノも聴くし、ブルーハーツもカッコいいっていう。エレクトロが広まったことによって、自分自身もそういうテンションをフロア持ち込めるようになったんです。その頃の活動でいちばん印象に残ってるのは、2007年のフジロックのレッドマーキーですね。“大きなフロア全体をひとつに出来ている”という手応えが凄くあったし、僕自身あれを超える瞬間はなかなかないと思います。フジロックのお客さんはロックのリスナーの方がメインですけど、JusticeやKLAXONSみたいなアーティストが登場したこともあって、エレクトロに対して「ここには熱がある」ということを察知してくれてたと思うんです。あの時期の熱気は本当に凄かったですね。
――DARUMAさんは音楽活動と並行して、ファッションのシーンでも活躍されていて。「CREPEMAN」「FULL-BK」などのブランドも展開されていますが、デザインやブランド運営に興味を持ったのは何がきっかけなんですか?
DJ DARUMA:いちばん大きいのはスケシン君(SKATETHING氏/TOKYOを代表するグラフィックデザイナーの1人)に対する憧れですね。「好きなものを集めて新しいモノを作ることで、仕事につなげる」ということを見せてくれたので。じつは野外イベントの現場で、スケシン君がたまたま隣にいたことがあって。そのときのルックスにThe Prodigyと同じような衝撃を受けたんです。パンク、テクノ、トランス、ヒップホップの要素が全部あって、足元はナイキ。素直に「マネしたい」と思ったし、あの人の個性にとても興味が湧きました。
――ライフスタイル、音楽がファッションに表れているっていう。
DJ DARUMA:はい。それもストレートな表現じゃないところがカッコいいんですよね。それで自分の場合は、やっぱりソコにヒップホップの魂を感じるかどうかが大事なんですよ。70年代だったらソウルやファンクだったかもしれないし、80年代だったらテクノだったかもしれないけど、僕が若いときに影響を受けた音楽がたまたまヒップホップだったので。ヒップホップが大きくなっていく時期を体験しているし、「このシーンの一端を担って、盛り上げているんだ」という実感もあったので。
――音楽や服など、自分の表現を通してヒップホップをもっと広めたいという気持ちもありましたか?
DJ DARUMA:当時はありましたけど、いまは「みんな好きにすればいいんじゃない?」と思うようになりましたね。ヒップホップの精神もそれぞれ捉え方が違うし、自分の考えをゴリ押しするつもりもないので。時代によって解釈も変わってくるじゃないですか。音楽性やスタイルはどんどん変わっていくけど、ヒップホップはずっと生き残っているわけで。この前、おもしろいコラム(FNMNL:ヒップホップは破滅をくりかえし生き続ける)を読んだんですけど、“新しいジェネレーションが出て来ると、その前から聴いているリスナーはなかなか理解できない”という話で、すごく納得できたんです。新しい世代のアーティストに対して、オールドリスナーが「これはヒップホップなのだろうか?」と悩むっていう(笑)。
――なるほど(笑)。それはどんなジャンルにも起き得ることですけど、特にヒップホップ、ダンスミュージックは刷新のスピードが速いかもしれないですね。
DJ DARUMA:新しいアーティストもチェックしますが、「このスタイルが(ファッションを含め)ヒップホップと呼ばれる時代がくるなんて、まったく想像できなかった」と思うこともありますからね。