ゆず、『ゆずイロハ』で見せつけた“強さ” トレンドの変化に耐えうるミュージシャンたち

参考:2017年5月8日〜14日のCDアルバム週間ランキング(2017年5月22日付)(ORICON STYLE)

 ゆず強し! 20周年のベスト『ゆずイロハ』は、初登場1位で17万枚、次週は2位で約5万枚、そして今週は再び1位に返り咲き2万3千枚のセールスを記録。すでに15万枚は目前ですし、このまま20万枚くらいは行きそうな勢い。CD3枚組・全50曲というボリュームで、この数字を叩き出すのは本当に見事なものです。

 ゆずといえば、みんなに愛される国民的デュオ。もっといえば健全・安全・好青年みたいな、いかにも優等生のイメージが強いのですが、20年前に登場した時ははっきりと「異端」の存在でした。

 というのも、今から20年前のJポップはもっと洋楽志向だったから。渋谷系の存在は言うに及びませんが、レイヴ・カルチャーを持ち込もうとしたTK(小室哲哉)の勢いに少し陰りが見え始め、代わりにMISIAがデビュー。ブラックミュージックの空気をまとった「ディーバの時代」が始まろうとしていた(その後に来るのが、もちろん、宇多田ヒカルです)。またロック系はビジュアル系が全盛期を迎える中、裏ではくるり、NUMBER GIRL、SUPERCARなどがデビュー。洋楽に焦点を合わせたオルタナ系バンドが次々とメジャーのフィールドに進んでいった。そんな1998年に「夏色」でデビューしたのが、伊勢崎町の路上ライブから始まったフォークデュオ・ゆずだったのです。

 「今この時代にフォーク? はっきりいってダサい!」私も含めた多くのロックリスナーが、ゆずを見てそう思いました。朴訥とした二人の佇まいが逆に新鮮だったから売れた、という言い方も可能でしょう。もちろん曲がすこぶる良かったし、その後もいい曲を書き続け、アレンジの工夫を続けたからゆずは生き残っているのですが、初期の「地元の路上で楽しそうに歌ってる」インパクトは相当なものだった。みんな海外を見ているのに、この二人は地元の商店街のことを歌っているのか! 今よりずっと洋楽の影響力が強かった時代の話です。

 『ゆずの素』でインディーズデビューを果たしたゆずと同じく、1997年から始まったのがフジロック・フェスティバル。これまた今では考えられない話ですが、初期のフジロックは観客の洋楽信仰が強く、「日本人アーティストなんか出なくていい」という声が平然と囁かれていたものです。そんなフジロック第二回目に出演し、洋楽に負けないどころかタメを張る、むしろ洋楽よりすごいと言わせてやる。そんなふうに気を吐いていたのがチバユウスケでした。ステージで開口一番「俺たちが、ニッポンの、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだ!」と叫んでいた姿は今も忘れられません。

 1996年にデビューしたミッシェルは2003年に解散しますが、そのあとチバとクハラカズユキが始めたのがThe Birthday。結成から12年、アルバムは9枚目と、気づけばそのキャリアはミッシェルより長くなりました。そんなバースデイの新作『NOMAD』が、今週6位にランクインしています。

 ミッシェルとバースデイの違いは、ざっくり言えば、洋楽を意識しているかどうか、だと思います。細身のモッズスーツに身を包み、60年代のパブロックや70年代のパンクロックへの憧れを隠すことなくツッパっていたのがミッシェルなら、バースデイはもっと自然体だし言葉もフラット。サウンドの方向性も特に限定されず、それが反逆でも優しさであっても、自分たちの経験値で鳴らせばロックンロールになる、という感じです。特に新作『NOMAD』は今までになかったタイプの曲が多く、そろそろ50に近い年齢だとは思えないロマンティシズムも満載。今のチバユウスケは、ただ「自分の理想」だけを追い続けているのだな、と納得します。

 音楽シーンのトレンドは変わり続けるし、こと洋楽の価値や存在感はこの20年で驚くほど変わりました。ただ、1998年には対極の存在のように思えたゆずとバースデイ(当時はミッシェル)が、今も同じチャート圏内にランクインしているというのは、なかなか興味深い現象だと思えるのです。

■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。

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