『いきものがたり』出版記念インタビュー
いきものがかり水野良樹が、J-POPに挑み続ける理由「今はない“みんなで聴くもの”を目指してきた」
いきものがかりは“音楽シーン”ではなく“世の中”に曲を投げる――デビュー10周年を迎え、充実した活動を見せる同グループのリーダー・水野良樹はそう語る。彼がこれまでのキャリアを振り返ったエッセイ『いきものがたり』には、今はファンタジーになったとも言える“みんなで聴く音楽”=J-POPをあえて標榜し、奮闘してきたいきものがかりの歴史が克明に記録されていた。稀代のポップメーカー・水野は変わりゆくシーンをどう眺め、どんな決意で音楽活動に臨んでいるのか。そして、最新シングル「ラストシーン/ぼくらのゆめ」に込められた思いとは――。リアルサウンドでは初となる、水野良樹のロングインタビューをお届けする。(編集部)
「普通のものがポッカリと抜けていると感じた」
――ツイッターから始まった自伝的ノンフィクション『いきものがたり』が、こうして本としてまとまった率直な感想から聞かせてください。
水野良樹(以下、水野):自分が書いたものが本になるのは初めての経験なので、売り場に本が並んでいるのを見てうれしかったですね。最初にCDを出して、大きなCDショップにそれが並んでいるのを見たときの感覚を思い出します。少し気恥ずかしくもあって(笑)。
また、周りの方々がかなり読んでくださって、“本というのは、感想をいただけるものなんだな”とあらためて思いました。「こんなことがあったとは知りませんでした」みたいに、具体的な感想をいただけるのは、CDとはまた違った面白さがあります。
――本作は水野さんと山下(穂尊)さんが、ゆずの影響で路上ライブを始めたところからスタートします。ゆずといきものがかりには、確かに王道感、多くの人に届くポップネス、リスナーの心を優しく鼓舞するような音楽性に共通点を感じますが、いわゆる“ゆずフォロワー”的な部分からの離脱もかなり早く、当時から水野さんが客観的に音楽シーンを眺めていたことがわかりました。当時をあらためて振り返っていただけますか。
水野:ゆずさんが僕ら世代へ与えた影響として何が一番大きかったかというと、やはり路上ライブを誰にでもできることにしてくれたことです。それまでは、ハートに強いものを持ったアーティストのフォロワーが、かなりの気合いを持って立つ場所――つまり路上ライブは今よりずっと敷居が高かったのですが、ゆずさんがああやってポップな形でやってくれたおかげで、当時の僕らのような高校生でも気軽に駅前に立つことができた。自分たちにとっては、表現の場所を与えてもらったような気持ちでした。
そうして遊びでスタートして、だんだんと音楽でご飯を食べていけるようになりたいと真剣に考えるようになるほどに、“ゆずさんの後ろを追いかけて行くと、勝負することはできない”と思うようになって。弾き語りデュオというスタイルでゆずさんに勝てるような強みがあったら、その背中を追いかけることもあったかもしれませんが、僕らは自分たちのスタイルを見つけなきゃいけない、と思ったんです。
――そうして友人にバックバンドを頼み、ボーカルに吉岡(聖恵)さんを迎えました。
水野:むしろ、ゆずさんとは逆のことをやろう! という意識が、生意気なんですけど、当時はあったのかなと思います。ライブハウスに出てみようとか、サウンドを変えてみようとか。もちろん、ゆずさんの音楽も幅広く、いろんな形で広がっていきましたが、僕らはまず、吉岡が自由に歌える体制というものを考えてやっていった感じです。
――NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』主題歌「ありがとう」をめぐるエピソードで、「自分の表現への自己満足なんてどうでもよくなった」「そのひとしか知らない大切で強い感情を、安心して重ねることのできるやわらかな器のような歌を自分はただ愚直に目指し、つくればいい」という記述が印象的でした。もともといきものがかりはJ-POP、大衆音楽というものに自覚的に、正面から取り組んできたバンドという印象がありますが、水野さんはJ-POPというものをどう捉えてきたのでしょうか。
水野:僕らが高校生の頃はCDバブルと呼ばれた時代で、ヒットチャートがキラキラしていて、テレビをつければ音楽番組がたくさんやっていて、共通の話題になる“みんなの音楽”というものが成立していました。けれど大学生になり、デビューするくらいの時期にもっと真剣に考えるようになると、その頃にはジャンルは多様化し、バラバラになっていることが肌感覚として分かって。つまり、“みんなが聴くもの”というJ-POPのイメージが、どんどんファンタジーになっていっていることを理解したんです。そして、そんな音楽の世界で自分たちがご飯を食べていく、あるいは自分たちの音楽で何かアクションを起こすのならば、“みんなで聴くもの”という、今はないものを目指すことなんじゃないかな、とぼんやり考え始めて。
ライブハウスに出ると、“自分がどう他と違うか”ということをアピールするミュージシャンがすごく多かったんです。もちろんそれは否定すべきことではなく、そのなかで独特の輝きを持って前に出る方はたくさんいます。ただ、やっぱり“みんなで聴くもの”という、本来真ん中にあった、普通のものがポッカリと抜けているように感じられて。なおさら、そこを背負える人になれたらいいな、と思いました。僕らはすごく個性の強い3人でもないし、それぞれの足りない部分を補い合いながら、なんとかグループでやっているので、普通で、真ん中にいることの方が合っているんじゃないかと。