ニューシングル『深呼吸』インタビュー
ハナレグミが映画『海よりもまだ深く』で再発見した 「音楽でずっとやりたかったこと」
第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、公式上映では7分間にわたるスタンディングオベーションを受け、5月21日の公開以来もロングランヒットを続けている是枝裕和監督の最新作『海よりもまだ深く』。この映画のサウンドトラックと主題歌を手がけ、その主題歌「深呼吸」をシングル・リリースしたハナレグミ=永積 崇に、この映画のこと、この映画の音楽に至るまでの自分のこと、そして至ってからの心境や近況などについて訊いたインタビューをお届けする。なぜこんなにも、映画と音楽のリンク度が高くかつ自然な、つまり理想的な結果になったのか、この仕事が彼の創作活動にもたらしたとても大きなこととは何か、あるいはこの仕事に至るまでに自身が経験した困難についてなど、いずれに関しても、とてもオープンに語ってくれた。ぜひ、じっくり読んでいただければと思う。(兵庫慎司)
「気がついたら、1年経っちゃったんですよ(笑)」
ーーこの「深呼吸」と映画の劇伴って、いつ頃作ったんですか?
永積:レコーディング自体はね、この間の自分のアルバム(『What are you looking for』/2015年8月19日リリース)よりも前なんですよ。実は是枝監督、『海街diary』よりも先にこの映画を撮ってたの。それで、映像だけもうできていて、僕に話がきて、僕がその作業をしている時に、『海街diary』が上映になって──っていうふうに、時間をかけて作られた映画で。だから、このサントラのレコーディングが終わってから、自分のアルバムの作業に入ったのかな。
ーーああ、立て続けに。じゃあすごく働いてたんですね。
永積:そう!
ーー言うと悪いけど、あんまりガシガシ働いてるイメージがないアーティストだから。
永積:いや、なんかね、3年前かな……ちょっと一回、全然活動をしないでみようかな、と思ったんですよ、(事務所の)社長と相談して。そうやって何もしない時間をいっぱい作ったら、曲がすげえ書けんじゃねえか、と思って。でも、気がついたら、そのまま1年経っちゃったんですよ(笑)。「あれ? 意外と何もしないでも大丈夫だ。ヤベえ!」ってなって。旅行に行ったりとか、家でボーッとしたりしてたら、全然1年すごせちゃって。「これはダメだ、制作する状況に自分をもっていかないと作り出せないんだな、俺は」と思って、そこから動き出そうと思ったような気がする。
ーーしかし、よく事務所がOKしましたよね、そんなこと。
永積:ねえ? あのー、時期的に、レキシ兄さんがブレイクしてたから(笑)。そのレコーディングを、シャカッチとして手伝ったりはしてたんだけど。ただなんか、すぐに自分のオリジナルっていう発想がなくて、それでまずカバー・アルバムを作ったんじゃなかったけな(『だれそかれそ』/2013年5月22日リリース)。人の言葉を歌う、っていうことにずっと興味があったから。それこそスカパラの曲に参加したり、フィッシュマンズのライブに出たりしたのもそうだし、冨田ラボさんで歌ったのもそうだし。人の言葉って歌い手に徹することができるから、それによってやれる歌はいっぱいあるな、っていうのはずっとあって。そういうアルバムは作りたいと思ってたから、それをまずやってみようと思って。震災のことも、すごく大きかったし。
ーーあ、それで曲が書けなくなったとこもあった?
永積:うん、すごいあった。僕、震災の年に『オアシス』を出してるんですけど(5thアルバム/2011年9月7日リリース)、あのアルバムのレコーディング中に震災があって。だから曲はもうあったんですよ。でも、一回止まって……今回の映画ともつながるんですけど、その震災直後に、砂田(麻美)監督の『エンディングノート』の音楽の依頼がきて。その映画のプロデューサーが是枝監督で、それが今回の道筋の最初になるんだけど。その時、震災後で自分の制作がしんどすぎて、人のアイディアとか人のモチーフに自分を捧げる、っていうことだったらやりたいと思って。それで自分のレコーディングを一回止めて、砂田監督の劇伴の制作に入ったんですよ。それを作ることができて、「あ、まだ俺、こういう音は出せるんだ」っていう確認をできたような気がして、それで『オアシス』の制作に戻ったんですよね。
「自己完結することにおもしろ味を感じてない」
ーーその砂田監督の映画音楽も、いろんなアーティストに曲や詞を書いてもらったり共作したりした『What are you looking for』も、人と一緒に何かをやるっていう創作でしたよね。今回の『海よりもまだ深く』の音楽も、それに近い?
永積:キャッチボールっていう意味では近いですね。それがいちばん僕は好きかな。ハナレグミを始めてからしばらくの間は、ずっと、自分の中から出てきたもので音楽を作ってたけど、やっぱりバンドのおもしろさも知ってるから。ひとりだけで作りきるっていうこともおもしろいけど、そればかりじゃないじゃん、っていうのはずっとあるし。人と一緒に作って、「そうやって解釈するんだ?」とか、「俺が思ってたのと全然違っちゃったな」みたいなことが、やっぱり必要だし。そうなった時に自分はどう歌えばいいのかな、っていうことが、やっぱりおもしろいというか。今は、自己完結することにあんまりおもしろ味を感じてないのかもしれない。
よく旅を歌のテーマにするのも、その土地とセッションしてるみたいなところもあると思うし。なんか、自分ひとりで完結するほどのことは……メッセージとして「俺を見よ!」みたいなものは、SUPER BUTTER DOGの頃から一貫してないですね。あと、今回大きかったのが……映画があった上で、それに向けてエンディングテーマを書くっていうことをしたのは、これが初めてだったんですよ。だから、最初はすごいドキドキした。ヘタな曲書けない、映画を台無しにしたら怖いなあと思ってたけど。
ーー曲はすぐ書けました?
永積:うん、意外と。話をもらった時点で、ほぼ映画の映像が完成していて、監督から「この部分とこの部分とこの部分に音がほしいです。で、エンディングテーマをください」っていうぐらい、はっきりしてたんですよ。僕は映画を何度も何度も観て作ることができたから、ヒントはいっぱいあったし、判断もすごく早かったっていうか。 それに、映画を最初に観た時に、自分と重なるものがいっぱいあって。舞台が清瀬……北多摩の団地で、自分の地元の隣町みたいなもんだし。だから、あの映画の中で流れてる日常の空気感って、ものすごいジャストだったんですよ。あと、誰もが知ってるであろう何気ない日々の空気感、っていうのかな。家庭内とか、家族との間で交わすであろう会話が、はじめから最後までずっと流れてる映画なんですよね。映画を観ているうちに、大半の人がそのセリフ1個1個に自分を重ねるんじゃないかな、って思うような映画なの。「ああ、こういうことっておふくろ、言うよなあ」とか。
ひとつ好きなシーンがあって……主人公の良多っていう40すぎの男が、嫁と別れて、子供とも離れて、ウジウジしてて、久しぶりに団地に帰ってきて。おふくろさんはダンナさんを亡くしてひとりで公団に住んでるんだけど、ふたりでベランダでしゃべってて──良多が子供の頃、拾ってきた種から生えたミカンの木がベランダにあって、「花も実もつかないんだけどね、あんただと思って水やってんのよ」みたいなことを言うわけ。「そういうことって言うよなあ、おかんって」っていう、そういう時間がいっぱいある映画なわけ。
だから、そういう1個1個のセリフとかシーンに、自然と自分が重なっちゃって。「ああ、もうこれ、絶対書けるな」って思ったんだけど、すぐ書かなかったんですよね。詞を書くのは最後の最後にした。できるだけ何度も時間をかけて、映画と距離をとったり近づいたりしたほうがいいな、と思って。だからいっぱい観る時期もあったし、逆に劇中歌を作る時はちょっと映画から距離をとったりとか。あの映画の深淵というか、漂ってる空気感を説明しちゃうと、却って映画と距離ができてしまうんだろうな、みたいなことを思って。そうじゃなくて、できるだけ自分のことにしたほうがいいような気がして、そういう意味で歌詞をフィニッシュするのをあせらなかった。すげえ映画だなと思ったから、僕は最後にそこに一滴色を落とすことができればいいんだ、とよくわかったので。できるだけ自分を通す時間を持った、っていうことかな。途中で、歌詞をのせてないハミングの状態で、監督に聴いてもらったんですよ。そしたら「このメロディ、いいですね! もうハミングだけでもいいですよ」と言ってくれて、「いや、歌詞も書きます書きます」って(笑)。