栗原裕一郎の『「ビートルズと日本」熱狂の記録』評:ビートルズ来日前後を追体験できる“大変な本” 

記録と記憶

 武道館ライブに関する報道で面白いのは、大手新聞がまったくのデタラメを載せていたりすることだ。6月30日の第1回公演について、『東京新聞』は次のように書いた。

「おはこの「プリーズ・プリーズ・ミー」「ヘルプ」そして最後の「ツイスト・アンド・シャウト」まで35分間、工事現場のエアハンマーの真下で、オートバイを乗り回しているような反響音だけ」

 だが、この記事にある曲は、実際にはひとつも演奏されていない。

「本当にライヴを観ていたのかすら疑わしい。事前に配られていたであろう演奏予定曲目を元に”やっつけた”様子が強く感じられる。信じられないが、本当にこれが新聞に載ったのだ」

 メディアが記録として残した”事実”が必ずしも”真実”とは限らないことを示す端的な一例である。

 大村がこの本の意図として強調するのは、「記録と記憶」を摺り合わせて”真実”を残すことの重要性だ。

 記憶というのは、改変されたり捏造されたり失われたりするものである。ビートルズの受容については神話化がほぼ完成していることもあり、リアルタイムに体験した人たちでも記憶が改竄されている可能性は高いだろう。記録によって記憶を補正すること。

 逆に、記録された”事実”が”真実”と限るわけではない。記憶によって記録を修正すること。

 記録を提示することで、ビートルズを体験した人々のうちに眠っている、当事者しか知りようのない記憶を喚起し記録することも期待されている。

「記録は後からでも調査は可能だが、記憶はそうはいかない。そして、悲しいことにその最終期限は迫りつつある。遅かれ早かれ、ビートルズを直接体験した人は世の中からいなくなってしまう。(…)リアルタイム世代の方々は、どんな些細なことでも構わないので後世のためにご自身の体験を残して頂きたく思う」

 記録のアーカイブというと、無味乾燥なデータの羅列のように思われるかもしれないが、読んでいる最中は、まるでビートルズが、今まさに来日する! した! 帰った! みたいな臨場感・没入感があったことを書き添えておこう。序文を寄せている広島の中古レコード屋ジスボーイのオーナー菅田泰治がいみじくも「活字によるドキュメンタリー・フィルム」と評しているように、当時を知らない者が、あのときを追体験できるノンフィクションにもなっている。

 今現在起こる事件についてだって、われわれは、テレビやニュースサイトなどから情報を仕入れ、ツイッターやフェイスブックで他の人たちの感想や意見、論評などを追いかけ、それらの情報を総合するという具合にメディア越しに体験しているわけだ。

 ビートルズ現象についてクロニクルに当時のニュースを読み、雑誌の記事を読み、ファンの声や投書を読むという追体験と、現在の事件を体験する仕方とに、いかほどの違いがあるか。そんなことも思った。

 繰り返すが、これは大変な本である。著者のあてどもなかった発掘の旅が報われんことを。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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