AL『心の中の色紙』インタビュー

AL、メンバー全員インタビュー!「ALの音楽を鳴らすためには、この4人がベストだと思った」

「知之の曲は昔から聴いていて、『一緒にやったらどんなことになるんだろう?』って想像していた」(藤原)

藤原寛(Ba、Cho)

――藤原くんは、andymoriが解散してしばらくしてから、そこに合流していくことになるわけですけど。正直、最初はどういう気持ちだったんですか?

藤原:ALをバンドのかたちでやりたいってことになって、そこで声をかけてくれたってことは、自分を友達としてだけではなくベーシストとして見てくれたってことだから、それは単純に光栄なことでしたね。自分には、素敵なバンドの中でいつも一生懸命ベースを弾いていたいって気持ちしかなくって。だから、ALに誘われたら、それを断る理由は何もなかった。知之の曲は昔から聴いていて、『一緒にやったらどんなことになるんだろう?』って想像していたから。

――2014年にandymoriが解散した後、小山田くんはSparkling Recordsというレーベルを立ち上げたじゃないですか。その中に後藤くんの名前はあったけど、藤原くんの名前はなかったから、その時は疎遠になったんじゃないかと思ったんだけど(笑)。

小山田:今もない(笑)。

藤原:レーベルに名前だけあるっていうのがよくわからなかったんですよ(笑)。バンドのメンバーとして誘われるというのとは違うから。自分はベーシストだから、バンドに誘われるっていうと、ピンとくるんだけど。

――後藤くんは、2010年の時点でandymoriを脱退していて。そこから今回のALまでに小山田くんとの関係性だけでも外側から見ると長いブランクがあるわけですが。今回こうしてまた一緒にやるようになった経緯を教えてもらえますか?

後藤:2010年にandymoriを辞めて、その後も「バンドは続いてるな」って思って眺めてたんだけど、さっきも話に出たように、この人(小山田)がダイブをされまして(笑)。

――そこは避けて通れないわけですね(笑)。

後藤:その時点で、自分は音楽を続けてはいたけど、ドラムはもうやめてたんですよ。でも、彼がダイブをしたまさにその日に、神聖かまってちゃんのの子くんから連絡があって、「今度自分が出すソロアルバムでドラムを叩いてくれないか?」って言われたんですよ。壮平のその話と、ドラマーとしての久々のオファー、その二つは関係ないんだけど、それがまったく同じタイミングで自分のところにきたことで、なんだか運命みたいに感じちゃって。きっと、彼がダイブをしてなかったら、そのドラマーとしてのオファーも引き受けてなかったと思うんですよね。

――あぁ、そうなんだ。

後藤:うん。で、その後に、たまたま壮平が自分のうちの近くに引っ越してきたんですよ。それで、近くの公園で久々に二人で一緒に飲んだりするようになって。

小山田:まだ療養中だった頃に、自転車で来てくれて、公園で一緒に飲んだよね。それはすごく覚えてる。

後藤:そういうことがあって、そこから今回の話につながっていって。

小山田:知之の「回送」(2011年『JUNKLIFE』収録曲)が好きだとか、そういう話もその時してたよね。

後藤:うん。

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