真部脩一が考える、“相対性理論”以降のポップミュージック「やり残したことがあると感じている」

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「複製される中で劣化されない要素のほうに興味がある」

――真部さんがこれまで作ってきたものは、結果として既存のゲームを変えるきっかけになってきたと思います。ご自身ではどう分析しますか?

真部:クライアントや別にリーダーが存在するワークスは置いておくとして、相対性理論に関しては、僕がやろうとしていたこととかけ離れすぎてしまいました。自分がほんとうにやりたかったこと、こうなれば面白いと思っていたことは、3割も実現できていません。

 確かに、客観的に考えると、相対性理論はエポックだったと思いますし――作り手がこういうことを言うのを許してもらえるのだったら――それまでのシーンを変える力はあって、J-POPに新しい波を作ったとは思います。でも、自分としてはずっとやり残したことがあると感じているんですよね。

――“やり残したこと”は、今後の活動で実現していくのでしょうか。

真部:多分、そのうちの半分以上は、当時の相対性理論が持っていたフォーマットじゃないとできないことだった。ただ、残りの半分くらいは「今でもできるな」と思えることだし、面白がってもらえるかなと考えてはいます。

――言葉にするのは難しいと思いますが、初期の相対性理論のエポック性はどのあたりにあったと捉えていますか。

真部:“被批評性の高さ”というか、語られる場が変容していくというイメージがあったかもしれません。

――なるほど。その“被批評性の高さ”ゆえに、相対性理論の作品は後進のバンドにも大きな影響を与えていると思いますが――。

真部:そういうバンドの音楽を聴いて、「似てるね」って言われると「似てるな」と感じるし、「声がまんまじゃん」と言われると「そうだな」と思う。「パターンを研究しているな、この人たちは」と感じることもあります。でも、“フォロワー”という感じはしないんです。それは恐らく、僕とはまったく違う面白さを追求しているからなんじゃないかと。たぶん、そういう人たちが相対性理論を聴いて魅力に思う要素と、自分が魅力だと思っていた要素は、あんまり噛み合わないと思うんですよ。まあでも、それはかつて同じ環境にいた人たちですら共有できていなかったことなので。良し悪しの問題じゃないですし。ただ、「影響」と言われると、少し不思議な感覚はありますね。

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――「音楽をマーケットに乗せて届ける」というテーマについては、前回Vampilliaのインタビューで伺いました。その時はリーダーとともに、「パッケージ化できる再現性、これこそがポップスの鍵だ」という発言がありましたね。今のシーンはライブの一回性に重心を置いていると捉えることもできると思いますが、いかがでしょうか。

真部:そもそも音楽って、特に複製を必要としないものだと思うんですよね。昔から純粋な音楽ファンの方で、ライブじゃなきゃ音楽じゃない、という人はたくさんいますし、回り回って、複製による劣化をアイロニックに楽しむようなアートもある。でも僕は、どちらかというと、複製される中で劣化されない要素のほうに興味があるんです。この意見自体はすごく前時代的だと思うんですけど、ドラマツルギーを用いて、一回性の持つ感動を、複製に耐えうる形でパッケージするというのが自分の中の課題なんです。実現できるとしたら、叙情的な要素と、テクニカルな部分のバランスを見極めつつ、楽しめるものにしたいですね。

――その表現の伝え方としては、ライブと録音物のどちらでもあり得ると?

真部:そうですね。ライブで再現するというか、“ライブをきちんと商品化する”というところにつながってくるような気がします。自分がやりたいのは、商品、ショウビズとしてのライブであり、何度繰り返されても必然性が失われない、という感覚が得られるものですね。

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