メジャーデビューアルバム『FRIENDS』インタビュー
Sugar's Campaignが語る、新世代のポップミュージック論「ポップを突き詰めると気持ち悪くなっていく」
「嫌いなものが好きになる瞬間って一回しか来ない」(Seiho)
――制作ペースに関しては、Seihoさんは次々に作っていって、Avec Avecさんは吟味して出すというイメージがありました。
Seiho:そうなんです。僕の制作ペースに関しては、“作ること”自体が好きで、多く出す大喜利っぽいスタイルで。二人でやっていて面白いと感じるのは、僕が好きなものとAvec Avecが好きなものが似ていても、見方が違うところですね。「そこ、そう読み解いて、面白く感じるんや!?」みたいな。センスは似てるけど、好きなものは違うというか。
Avec Avec:僕は過去の自分が好きだったものから延長して考えたりするんですけど、Seihoは何かを好きっていうことにこだわってないんですよ。
Seiho:作り終わったものに対しては、全然愛情がないんですよね。寿司屋にいっても同じメニューを10貫くらい食べて帰りたいんですよ。好きな食べ物をずっと食べたくて、他の物を食べたくない。でも、それが1ヶ月続いたら、もうその食べ物に興味が全くなくなるんです(笑)。
Avec Avec:めっちゃ嫌いやったものも急に好きになる。生き方も大喜利みたいなんですよ(笑)。
Seiho:瞬間瞬間で好きはあるんですけど、一瞬です(笑)。時間って戻らないじゃないですか。だからこそ、嫌いなものが好きになる瞬間って一回しか来ないから、めちゃくちゃ大事なんですよ。
Avec Avec:嫌いということ自体、関心があるということやからね。好きの反対は無関心というか。主観を捨てれてるんやと思う。
Seiho:トラップとかサウス・ヒップ・ホップも、曲調が一緒で、やってることも単純と思ってたんですけど、LOW END THEORYが来て、DADDY KEVが「アメリ」を掛けてるときに「あー、そういうことか!」って気付いたんですよね。ダサくても世の中に存在するものには、良さが絶対あってしまう(笑)。
Avec Avec:フュージョンとかAORも同じ感覚で、ダサいが50%、カッコいいが50%みたいに思えるんです。だから、Sugar's Campaignもダサさとカッコよさが半々なのを分かった上で主観を捨てたくて、主観の象徴である固定のボーカリストを置かず、メインの俳優を入れ替える劇団スタイルを取っています。それには、パーソナルな部分を捨てて、一つの物語をカッコ良くしていきたいという意味を込めているんです。
――カッコいいとダサいの中間を吟味するにあたり、丁度いい部分を取捨選択する明確な基準はあるのでしょうか。
Avec Avec:僕は「自分が好きかどうか」が基準で、「ネトカノ」は、自分が今聴きたいけど、この世界にない音楽を作ろうと思い、AORやエレポップなどを部分的に集めて最高のポップスを作ろうとしていました。
Seiho:僕は逆に「取ってきたもの」に良さが無いと思うタイプなので、全くなかった新しいところにいきたくなる。そのなかで過去の音楽を取捨選択する基準って「普遍的であり、シンプルであるかどうか」ですね。トランスでも、ハードテクノでも、「削ぎ落とされて作られている」か「上塗りされて作られているか」に分けれますし、僕の好きな構造は同じで、 紙に絵を書いていくというより、石像を彫っていって、そこに浮き出たようなものなんです。
Avec Avec:僕は上塗りするタイプで「この曲を弾き語りでできるか」と考えながら作ることが多いですね。自分が作る時もギターで弾いて「いいな」と思って貰えるかどうかを基準にします。
――録音の環境について、先に出たAORやハードテクノとSugar's Campaignの音楽にはどうしても違いが出てきます。その差異をどう解釈して楽しんでいるのでしょうか。
Avec Avec:やっぱり自分の持ってる機材や環境でやるほうが、“今の音”になるかなと思ってやってます。そうしないとバランスが崩れますからね。
Seiho:ボーカル録りの話になるんですけど、彼がやっていて面白いと思う手法があって。6畳のところで、隣の部屋を気にしながら録ってる感じにするんです。あと、ドラムの録りは全部自分たちでやったんですけど、スネアに布を被せて小さく叩いて、本来なら聴こえないくらい小さい音量のものを録って、後で持ち上げました。そうすることで、耳元でドラムを叩いてるようにしたんです。
Avec Avec:そっちのほうが、お客さんに作品が近くなるような気がして好きなんです。だからボーカルがボーカルらしいことをしたらNGにします。