lyrical schoolが新作で示した「アイドルラップ」の可能性 再録曲に表れたグループの成長を読む

 2012年のT-Palette Records所属をきっかけにグループ名をlyrical schoolに改めて以降、アイドル中心のイベントに出演する割合もぐっと増え、グループアイドルシーンの中での存在感も加速度的に上昇していく。停滞しかねない危機でもあった、初期のボーカルを支えたmarikoや初代リーダーerikaの卒業も、新加入のhina、minanが継承し独自の色を添えることで昇華されていった。hina、minanはいつしかオリジナルメンバーのami、ayaka、mei、yumiと遜色ない存在の強さを獲得し、それぞれが競うようにフロウに独自のキャラクターを滲ませて、ますます楽曲に奥行きが増していった。今回リテイクされた初期曲は、ここまでの道のりを伴走してきた作品群であり、あるいはかつてと今との居場所の差を確かめるための作品群である。そして、彼女たちの歴史と現在を物語るのが、新たな代表曲になるはずの表題曲「PRIDE」だ。

 lyrical schoolはしばしば、「アイドルラップ」という言葉をシンボル的に用いる。女性アイドルがラップという歌唱法を効果的に使うことは、今ではごく自然なものになっているが、アイドルがラップを当たり前に武器にすることができる、そんな環境を舗装してきた開拓者としてlyrical schoolの名は刻まれるべきだろう。「アイドルラップ」とは、このグループの特徴を示すだけのフレーズではなく、開拓者としてなお進み続ける彼女たちの“PRIDE”を謳った言葉でもある。

 lyrical schoolの持ち味は、こうした自身の来歴や矜持を殊更に強調しないところにある。あからさまなセルフボーストや目配せによって己を誇示することよりも、常にその場にいる観衆と楽しさを共有することに専心してきたように見えるし、それが彼女たちの歴史になってきた。かつてとは比べものにならないほどにスキルを向上させながら、その清々しい立ち居振る舞いは何年経っても変わることがない。そんな彼女たちによって歌われる「PRIDE」は、だからこそ攻めの姿勢と誇りの表明が鮮烈で意義深いものになっているし、この曲を世に向けて放つ最適のタイミングを迎えてもいる。lyrical school自身が踏み固めてきた足場の上に立ち、ストレートに己の“PRIDE”をラップする姿に、見ているこちらまで誇らしい気分に溢れてくる。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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