さやわか×宇野維正×柴 那典が2013年の音楽シーンを切る!(前編)
今、ボカロやアイドルをどう語るべきか 音楽ジャーナリスト3人が2013年のシーンを振り返る
さやわか:それはまさにそう。さっきのボカロ系の話と接続させて言うと、自然の敵Pとかの曲なんかは、まんまロキノン系の自意識というか、切ない若者の心情を描いた歌詞な訳ですよ。ただし、そこで苦悩している人物っていうのは、歌い手ではなくて、現実とは全然関係ない物語の登場人物、アニメキャラみたいなやつの話になっているわけです。そうやって、ボカロのシーンは過去の音楽シーンと切断されながらも、しかし連続していると言うことができる。そして、今の柴さんのお話は、今日のリスナーは聞き手の生活に寄り添うよりもそういうものを求めているということですね。感情移入の対象も態度も変化している。アイドルも同じですよね。ももクロなんかもよく売れているんですけど、ももクロが聞き手の生活に寄り添うかって言ったら、まったくそうじゃないですよね。
柴:『5TH DIMENTION』は「5次元」だし、『GOUNN』は仏教ですからね(笑)。AKB48も、基本的にはAKB48の物語の中で消費されている。
宇野:今、春になったら卒業ソング歌って、夏になったら夏の歌を歌っているのって、AKB48くらいですよね。それがまだ許されているっていうか。逆に言うと、あれくらいCDを売るためのシステムを総動員できないと、それが成り立たない。
さやわか:桜ソングみたいなことやるのって、さっきの話でいうと芸能的なことなんじゃないでしょうか。むしろその力の締め付けが弱まって、ある意味アーティストの自由意志みたいなもので音楽を作れるようになってきたように思います。
宇野:だからね、ああいうものが無くなったのって、すごく気分のいいことなんですよ(笑)。桜ソングは芸能っていうか、マーケティングですよね。もちろん未だに残っています。でも、実はここ数年、そういうものが減ったことで、音楽業界はすごく風通しが良くなっている。売れ行きうんぬんは別にしてね。音楽に関わっている人の表情も含めて、全体的な空気がちょっと澄んできたと感じたのが2013年。
柴:生活に寄り添うっていうのは、マーケティングで音楽を作らなければならないということですからね。「今の子達ってどんな気持ちなんだろう」「今の子達ってどんな不安や喜びを抱えてるんだろう」ってことを、マーケティング的に考えなきゃいけない。でも最近の「自分たちで物語を作ってしまえばいい」って風潮は、言ってしまえば、「自分たちが面白いと思うことをやればいい」ってことなんですよね。
後編に続く
■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter
■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』がある。Twitter
■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter