龍雲丸は“もうひとりの直虎”だったーー『おんな城主 直虎』全50回を振り返る

『おんな城主 直虎』全50回を振り返る

 大河ドラマ『おんな城主 直虎』が最終回を迎えた。残された資料が少ない、そもそも本当に女性だったかも不確かな井伊直虎という人物を約1年通して描くことは、創作の力がより強く試されることになる。『おんな城主 直虎』の強みは、序盤に言われてきた「直虎?え、誰?」という声を逆手にとった、少ない史実という点と点を繋ぐストーリーラインの確かさで描かれた「もしかしたらこうだったのかもしれない」と思わせる1人の女性の一代記、そして彼女や市井の人々の視点からみた戦国の世の物語だったのだと思う。

 人々に愛され守られる姫であると同時に人々を愛し守り続ける殿であった直虎。直虎という1人の女性の人生が限りなくリアルに感じられるのも、森下佳子の脚本の妙であり、幼少期をハツラツと演じた新井美羽から繋いだ柴咲コウの可愛らしさと凛々しさの共存ゆえのものであった。

 『おんな城主 直虎』は、一貫して喪失と再生の繰り返しの物語であったが、最後に登場人物たちにのしかかってくるのは、「主人公自身の死」という喪失だった。直虎は、「徳川に天下をとらせ、戦さのない世を作る」という途方もない夢をニコニコと語りながら、その夢の途中であっけなくこの世を去る。

 この物語の締めくくりで、最も興味深いのは、柳楽優弥演じる龍雲丸である。彼は一体何者だったのか。直虎の死の前に、思い出を共有する幼少期の直虎・直親・政次の3人が井戸の傍で集結するのはわかるが、彼自身の少年時代の回想として26話に少しだけ登場した幼少期の龍雲丸も現れる。そこで生まれる時間と空間の不一致による違和感。単に「われより先に死ぬなよ」「そっちもな」という言葉の応酬が生むファンタジーであると流していいのだろうか。

 極論を言ってしまえば、架空の人物として自由に動き回る龍雲丸は、直虎の「もう1人の自分」だった。龍雲丸の人生は、自らの運命に従い、井伊谷の土地と人々を守るため、生まれたその地から離れることなく、そこに骨を埋める道を選んだ直虎が生きてみたかった、一所に止まらず、心のままに自由に生きるもう1つの人生だ。好奇心旺盛の彼女はそういった人生にも憧れたのではないだろうか。

 直虎と龍雲丸の2人はこれまで様々な悲劇に見舞われ、自分だけが生き残るという「見送る」役割を担わされてきた。1度は共に過ごした彼らはじきにうまくいかなくなり、それぞれの地で生きることを決断する。

 彼女が終盤追い求める夢「戦さのない世をつくる」は龍雲丸に最初に語った夢であり、忘れかけていた彼女にそれを再認識させたのも龍雲丸で、最終回を前に再会することで、彼女のその後の人生の充実を総括させたのも龍雲丸だった。そして彼自身も、現代で言う通訳として外国人と渡り合い、いよいよ船に乗って夢だった海の向こう、南蛮を目指す。「共に行きますか」と直虎に彼が尋ねたとき、彼女の意思はもう揺るがなかった。

 直虎と共に夢の途中だったはずの龍雲丸もまた「俺も連れてってくれよ」と直虎と幼なじみたちと共に集まり、みんなで井戸を覗き込む。龍雲丸は、海に漂着した小さな船の残骸と水筒2つを残して、直虎の死と共に、幻のように龍の形の雲となって消えるのである。

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