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菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第16回

菊地成孔の『密偵』評:「日帝時代」を描くエンタメ作が凄い勢いで進化している現在って?

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「坂本龍馬が教科書から消える」について

 龍馬末梢肯定派にも、否定派にも等しく、<歴史教育は近現代史からやるべき説>を唱え、あたかもリベラルなコメントをしてやったりで、したり顔を決め込む人々が多いが、筆者の考えでは、この説は、単なる、物わかりの良いライト左翼、ライトリベラルであって、何せ正反対な両派から出てくる説などというものが脆弱でないわけがない。

 この、そこそこの賢者の物言いでもあるかの如き言説は、第二には坂本龍馬らを歴史の教科書から消すべきかどうかの議論と無関係であり、第一には、独立した有効性すらも低い。というより、数学的に成立しえない構造になっているのは言うまでもない。

 完全な無知という状態から「目の前の、今のこと」を学ぶには、その前提となる近過去の理解が必要であり、それを学ぶには、その前提的な、、、と無限軌道の果てに「やっぱ起源から」という、これまた極めて有効性の低い方法が導き出される可能性が高いのは、ほとんど自明である。

 「歴史の授業は近現代から」と発言して満足している者は、既に「目の前の、今のこと」を、ある程度、あるいは完全に理解している者たちであり、完全な無知である者たちの立場に立っているつもりが、上からになっている、という、非常にありきたりな権力構造の罠にはまった善意に満ち、自説を疑わない。

 では、ならば、とばかりに、ここで修正B案が導かれる。「適度な近過去から現在までを繋ぎ、それを全て理解したら、もうワンブロック過去へ」。しかしこれもどうだろうか? 県政と都政と国政の違いが全くわからない者に対し、まあとりあえず廃藩置県から行こう。といったやり方を設定する。しかし、県政と都政と国政の違いがわからない者の多くは、衆議院と参議院の違いもわからない。国債や公定歩合についても完全な無知であろう。全て、どこが適度なスタートポイントとなるのか? 予想されるのは混乱ばかりだ。

 食い下がられ続けた賢者は面倒になってアナーキーに振る舞う。「だったらもう20世紀で切ればいいよ。あらゆるコンテンツを1世紀ごとバッサリいくしかないでしょ」。言っている本人のアティテュードが既にアナーキーなのだから、もう訴追は無駄である。20世紀を知るには19世紀を知らねばならない。話は元に戻る。

 しかし、この方法は、コンテンツを個別に扱って良しとする、ならだが、期限が偶然にも世紀あたまにあるコンテンツに対しては、そこそこの有効性もないとは言えない。

 曰く印象派から始まる近代美術、曰くフロイドから始まる精神分析学、曰く世界大戦というイベントを中心とした戦争学、調性の破壊を旨とする近現代音楽学、これらは皆、20世紀初頭もしくは19世紀末に起源があることによって、20世紀史としてまとめられ、デイケイドごとに分節して理解することが比較的容易だ。

そして、その一つが「日帝時代」について。である事は間違いない

 何故なら、それは1910年から始まっているからである。この年の8月22日、日本と朝鮮半島の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印された。朝鮮半島側は全ての統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲渡し、518年続いた朝鮮王朝は滅亡し、日本の植民地体制が始まった。いわゆる「日帝時代」の開始である。

 「そもそもなんでそんなことになったの?」という、一問手前のエッセンシャルな問いを一旦完全に無視してしまえば、あとは「1919年に最初の大きな独立運動」→「朝鮮総督府(大雑把に日帝)によって徹底的に潰される」。「これを受けて30年代には中国の上海に<大韓民国臨時政府>が作られる」→「日帝に追いかけられて中国国内を転々と」。「41年、太平洋戦争が勃発」→「45年の終戦=日本の敗戦、を受け植民地支配から解放」。と実に分かりやすく流れがまとめられる。<日帝時代。は35年間だった>。これだけでも、おおおおおおおおと思うK-POPファンは多いだろう。

本作「密偵」の時代設定は

 作品の性質上(実在の人物が出てこない=歴史ものとしては不透明)明確には設定されていないが、<20年代>である。19年3月1日に起こった「3/1独立運動」が弾圧されたばかり、まだまだ独立運動家による熱量が荒々しかった時代である。

 そして、当連載で過去に扱った『暗殺』(参考:菊地成孔の『暗殺』評:「日韓併合時代」を舞台にした、しかし政治色皆無の娯楽大作)は、<30年代>、臨時政府も上海から逃れて杭州に移っている。『お嬢さん』(参考:菊地成孔の『お嬢さん』評:エログロと歌舞伎による、恐ろしいほどのエレガンスと緻密)は、日帝時代終了への秒読み段階である<40年代>のデカダンが、19世紀末デカダンと二重写しになるような歌舞伎的なパースペクティヴが作品を律していた(『隻眼の虎』(参考:菊地成孔の『隻眼の虎』評:おそらく同じソフトによって『レヴェナント』のヒグマと全く同じ動きをする朝鮮虎)」はかなり象徴的なファンタジックで、何十年代か判別がつき辛い)。

 そして、『暗殺』のレヴューで紹介した通り、「韓国の若きスピルバーグたち」の一人であるチェ・ドンフン(46歳)は明言するのである。「私は、この時代について、一切何も知りませんでした。だから図書館やインターネットを使って調べ上げたのです」。冒頭に登場した「歴史教育は近現代史から」派の残念な賢者が現れるに憚りはない。

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