荻野洋一の『甘き人生』評:巨匠マルコ・ベロッキオが描く“苦い”夢

荻野洋一の『甘き人生』評

 イタリアの異才マルコ・ベロッキオの最新作『甘き人生』の原題は “Fai bei sogni(ファイ・ベイ・ソッニ)” で、イタリア語で「良い夢を」という意味である。そしてそれは、9歳の主人公マッシモが寝静まったところに母親がやって来て、少年の耳元でささやく最後の言葉となる。映画の最初でマッシモとママの幸福なシーンがいくつも出てきて、観客は、その絵に描いたような幸福の描写ゆえにかえって、このあと自分たちが直面するのは幸福の喪失、母と子の別ればかりだろうと直感する。

 その直感は、先ほどの「良い夢を」という母親のささやきのあとのシーンですぐに図星となる。激しい物音と父親の悲鳴によって起こされた少年は、ママの急死という事件に直面する。どうやら母親は自殺したらしい。死因は少年にははっきりと説明されず、「心筋梗塞」とされる。少年にとっては「良い夢を」どころか悪夢である。死ぬ直前にママは、悪い冗談を息子に飛ばしたのだろうか?

 筆者が取材でたびたび訪れるスペインもそうだけれども、イタリアをふくむラテン諸国はおおむねマザコン社会だという。「なんといってもママの作るパエーリャはどんな有名レストランよりもおいしい」。マドリードやバレンシアでもよく聞いてきた言葉だ。そんなことをいい歳をした大人が平気で口にしてはばからないのが、ラテン社会である。しかし、本作の主人公が住む北西部トリノは、イタリア的というよりはピエモンテ的としか言いようがない独特な文化が花開いた都市である。観客は、主人公の住むアパートメントにナポレオンの胸像がいくつも並んでいることに気づくだろう。どうやら主人公の父親が蒐集しているものらしいが、なぜナポレオンなのか? 端的に言ってトリノを州都とするピエモンテ州はフランス文化圏に属してもいるからである。主人公マッシモが大人になってから記者として勤めることになる新聞「La Stampa(ラ・スタンパ)」は、19世紀なかばにトリノで創刊された。主人公はそのローマ支局に勤務し、戦禍のボスニア・ヘルツェゴビナに赴任したりもするけれども、トリノという母性空間のヘソの緒から切り離されたわけではない。

 父親の書斎で理科の宿題をこなすマッシモが、万有引力の法則を唱えながら、父親の蒐集するナポレオンの胸像をベランダから下に落とす。マッシモは聞き分けのない子どもとして育つが、誰もマッシモを排除しようとしない。マッシモが母親の不測の死から立ち直っていない悲劇の子として、街の人々から了解されているからだ。ただし母の死の真相を彼に告げないのは「子どもがかわいそう」というだけの理由ではないと、『イタリア現代史』(中公新書)の著者・伊藤武氏は映画プログラムで解説している。「映画の中で母の葬儀は、教会ではなく家で行われていました。当時“自殺”は社会的・宗教的にタブーで、教会での葬儀が認められないことも珍しくありません」。マッシモ自身もまた、真相を積極的に詮索しないままに、父の語る「心筋梗塞」説を信じ、あるいは「ママはまだ生きている、早く目を覚まして」などと口走りながら、現実よりも空想の中に自閉していき、学校の友やその父兄には、母親がニューヨーク在住だと嘘をつき通すことになるだろう。

 

 父親はマッシモを、ママの亡霊との口唇的な空想から遠ざけるため、ためしにサッカー観戦へ連れていく。いや、そもそもパパ=ママ=ボクが住んでいるこのアパートメントじたいがスタジアムの目の前にあるのだ。スタディオ・ベニート・ムッソリーニ。1934年ワールドカップ開催のために独裁者ムッソリーニが建設したスタジアムである。戦後はスタディオ・コムナーレ(市営競技場という意味)と改名し、2006年のトリノ冬季オリンピックのメイン会場として再整備されて、現在はスタディオ・オリンピコ(五輪競技場という意味)となった。サッカーはイタリアで「カルチョ」と呼ばれるが、カルチョこそ、イタリアの少年たちが母親の勢力圏から離脱するための便利な装置として機能してきた。

 興味深いのは、父親がマッシモを連れていくのが、トリノに本拠地を置く名門クラブ、ユヴェントスの試合ではなく、エンジ色のユニフォームが目を引くトリノFCの試合であるという点である。ユヴェントスは数多くのタイトルに輝き、時に「イタリアの恋人」の愛称で慕われる。そんなイタリアの象徴的なクラブではなく、セリエAとセリエBを行ったり来たりしつつも地元トリノ市内ではユヴェントス以上の支持を受けるトリノFC(愛称「トロ」)のエンジ色が、母親に変わって主人公マッシモの守護神となる。マッシモは長じてサッカー記者となり、文才が買われて「La Stampa(ラ・スタンパ)」に雇われる。彼はイタリア人である以前に、どこまでもトリノ人であり、ピエモンテ人である。

 また指摘しなければならないのは、トリノFCは1940年代の全盛期に飛行機の墜落事故で監督と選手をいっきに失い、そのシーズンこそ残り試合が少なかったためセリエAで優勝を果たすものの、その後は強豪に戻ることはなかったという点である。年老いた父親と記者となったマッシモが久しぶりに再会するのは、墜落事故で亡くなった名選手たちを顕彰する儀式においてである。墜落の記憶が共有されるという事実から、ここでも母の死因もまた「心筋梗塞」などではなく、墜落によるもの、つまりベランダからの飛び降り自殺であることは匂いすぎるくらいに匂わされる。それでも死因に気づこうとしないマッシモの精神がどれほど自閉しているか、そこが問題だ。

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