宮台真司の『二重生活』評:あり得たかもしれない演出を考えることで、普遍的寓意へと到達できる

宮台真司の『二重生活』評

25年前から尾行について書いてきた

 今回は『二重生活』(岸義幸監督/6月25日公開)と『シリア・モナムール』(オサーマ・モハンメド監督/6月18日公開)について共通のテーマを論じます。2つの映画をつなぐキーワードは「言葉」。共に「言葉が作る社会」とはどういうものかを考えるヒントを提示してくれます。

 『二重生活』は小池真理子の同名小説を原作に、門脇麦演じる大学院生が、リリー・フランキー演じる担当教授に勧められ、既婚男性への“哲学的尾行”を実践するという内容です。「尾行」というテーマ設定は、僕の著作では25年前から扱ってきたものです。最初の記述から自家引用します。

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それ[荒木経惟の写真が表現する「酷薄な偶発性」]は、街で偶然見かけた見知らぬ女をこっそり尾行するだけで得られる、その女の見知らぬ関係性自体ーー誰に会い、どこへ向い、何に手を触れるのかーーが醸しだす底知れぬエロスに似ている。「無害な概念」と「酷薄な偶発性」との差異ーー。
    『サブカルチャー神話解体』(1993年)第4章第2節、但し連載初出は1992年

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「無害な概念」と「酷薄な偶発性」との差異

 引用の文脈を少し説明します。学園闘争が象徴する<若者>の時代は1973年に終わり、相手が若者だというだけで分かり合えた気分になる<相互浸透モード>がメディアから消え、かわりに、相手が若者だというだけでは何者なのか皆目分からないという<不透明モード>が一般化します。

 最初に少女漫画が代理体験ならぬ<関係性モデル>を提供するものに変じます。一流スポーツマンや平安京の女官など自分とかけ離れた憧れの存在を代理体験するかわりに、性愛コミュニケーションの不透明と不全感に悩む主人公に「これってあたし!」と共感するように一斉に変化します。

 主人公の周囲の世界を、自分から見える世界の解釈に用いる<関係性モデル>が、提供されるようになったのですが、4年遅れで青少年漫画に拡がります。<関係性モデル>は、当初「ドジでダメな自分」を指示したのが、77年以降「性愛の自由へと乗り出したのに不幸な自分」に変わります。

 この変化は同じ年(77年)に早くも青少年漫画に伝わります。少女漫画の“カワイイ”で言えば、「ロマンティックからキュートへ」「ヨーロピアンからアメリカンへ」「“白いお城と花咲く野原”から“撥ねる明るさ”へ」の変化です。男女を問わず、この77年は<性と舞台装置の時代>の幕開けでした。

 湘南(サーフィン)ブーム・ディスコブーム・テニスブーム・高原ペンションブームなどが相次いで訪れ、『ポパイ』等の雑誌は恋愛マニュアルとデートマップで埋め尽くされます。並行して、渋谷公園通りのような「カップルに在らずんば人にあらず」的なスポットも拡がって行きます。

 こうしたナンパ系的なものの強迫的な席巻を、スルーするためのシェルターとして、77年の劇場版『ヤマト』シリーズ以降、オタク系のメディアも拡大します。それに伴う「オタクの誕生」は、日本のサブカルチャーで何度も繰り返されてきた、<埋め合わせ>現象として理解できるでしょう。

 『ヤマト』ブームを背景に、77年以降『OUT』『アニメージュ』『ファンロード』が立て続けに創刊。79年からは、その2年前に始まったコミックマーケットが、高橋留美子人気を支えにブームになります。かくて83年、中森明夫が『漫画ぶりっこ』の連載で「おたく」と命名するに到ります。

 オタク系メディアは、ナンパ系を遮断するシェルターとして機能しましたが、ナンパ系は、今紹介した始まり方ゆえに、当初から[記号系/渾沌系]が分化していました。始まり方というのは、メディア上の<関係性モデル>(カワイイモードや恋愛マニュアル)のゲタを履いていたことです。

 この分化は、フォト表現で言えば[隣の女の子(篠山紀信)/大股開き(荒木経惟)]の対立に対応します。これは、同時代のくらもちふさこの少女漫画や柳沢きみおの青少年漫画が描き出した通り、現実の性愛生活に於ける[モード(フェチ)の戯れ/ダイヴの渾沌]の対立にも照応します。

 この対立が、先の自家引用で、《「無害な概念」と「酷薄な偶発性」との差異》と述べたものです。オタク系がナンパ系からの退避だったのと同型的に、同じナンパ系でも記号系のそれは、渾沌系のそれからの退避だったのです。さて、この対立が80年代半ばに決定的な事態を迎えます。

出会い系バイトで身を持ち崩すのは尾行と同じ

 世界初の出会い系メディアであるテレクラが85年から、NTT伝言ダイヤルが88年から、恐るべきブームとなり、若年女子が一挙に性愛行動に乗り出した結果、80年代に高3女子の性体験率が倍増したのです。その結果<こんなはずじゃなかった感>が蔓延し、以降の性愛文化を方向づけます。

 86年に岡田有希子が投身自殺し、死体の頭蓋が割れて流れ出た脳漿が歩道に飛び散る様が写真誌に掲載されました。その後一年ほどの間、周囲が悩みの存在を想像したことすらない少女らが、雑誌『ムー』のお便り欄で前世の名を手掛かりに仲間を募り、屋上から飛び降りました。

 僕は83年からナンパをするようになり、当初からテレクラ・伝言ダイヤルにハマっていたので、女の子らとのピロートークから自殺念慮を多く聞き出しました。僕はそこで、<性愛に乗り出せないがゆえの悩み>が<性愛に乗り出したがゆえの悩み>にシフトしたことを、理解したのです。

 歌手の岡田有希子は30歳以上離れた男との恋に破れて自殺したというのがマスコミの解説でしたが、僕が出会った子らは、失恋にではなく、誰よりも容姿と才能と人気に恵まれた彼女が、父親よりも年長の男に焦がれざるを得なかった「性愛の不毛」にこそ、鋭く感応していました。

 容姿に恵まれない子が、代替リソースとしてのオマジナイに思いを託したのが79年創刊『マイバースデー』でしたが、85年秋以降、どんな子でも電話一本で60分以内に誰かとセックスできる状況になると、同じ79年創刊『ムー』のお便り欄が自殺仲間を探す子で溢れるようになりました。

 この背後にあるメカニズムについて、同じ『サブカルチャー神話解体』(1993年)第4章第2節で、僕は次のように分析しています。お読みいただければ分かるように、これは尾行することが一部の人たちに精神的変調をもらたすメカニズムについての、詳細な解説にもなっています。

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 ここ[=性的に自己操縦できなくなること]にはさらに[=地元性からも都会性からも二重に疎外された郊外性以外に]「電話風俗」に固有の「浮遊化」のメカニズムも見いだされる。テレクラに始まる「電話風俗」は、88年以降の伝言ダイヤルブーム、90年以降のQ2ツーショットブームへと受け継がれたが、私たちが90年に取材したQ2ツーショットのバイト嬢たちの証言は、このメカニズムについて興味深い事実を明らかにしてくれる。

 当時新参だったQ2ツーショットは、その多くがバイト嬢を使っていたが、彼女らは求人誌等で「テレフォンオペレーター」「ホテルの交換手」といった募集に応じて面接に来たところが、「それもあるけど、もっといい時給(1500~2000円)の楽なバイトがあるよ」の類の勧誘を受けたものだった。多くは自宅の回線を利用して日中から仕事をできるのと、「どーせ電話だ」という安心感から、私たちが調べた範囲でも東京六大学や一流女子大に在籍する女の子が珍しくなかった。

 ところが「いい大学」の「身持ちの堅かった」子が、バイトを始めてから突然精神的な「変調」を来し「生活を乱し」てしまうケースも少なくなかった。そのストーリーは不思議なほど一致する。ーーそれまでは何ともなかったものが、いろんな電話を受けていると耐えられないほど寂しくなり、寂しくなってプライベートにQ2を利用するようになるが、電話をすればするほど寂しくなって、ほどなく相手の男の子と逢って性的交渉を持つようになり、それがかえって寂しさを募らせて結局は不特定の相手と交渉を持つにいたる…。

《私のお父さんと同じような年齢の人とか、60歳のおじいちゃんとか、16歳の高校生とか、本当に色々いて…。それでただハアハアしてたり、私を誘ったりして…。何か今まで知らなかった世界に触れた気がしたの。私は本当に世間を知らないんだなって》ーー茨城大学4年(当時)のバイト嬢の証言

 一方で「どんな男の人にも、知らなかった裏の顔がある」という強烈な実感が「自分には世の中が分かってない」という「不透明感」を急上昇させ、それまでの「自己信頼」を喪失させる。他方で「一秒遅れれば違う人に繋がったハズ」という、電話コミュニケーションで突如直面した過剰な〈関係の偶発性〉が人間関係一般に敷衍され、「現実の手触り」が喪失する。「自己信頼」の弱体化はただでさえ手応えのない「現実の手触り」への希求を高めるから、喪失感はますます触媒されざるを得ないーー。
 こうした論理関係ゆえに、低年齢ないしオボコかったりで〈関係の偶発性〉に対する免疫力の小さい人格システムほど、抜けられない循環へと吸引されるという皮肉な結果になるのだ。
    『サブカルチャー神話解体』(1993年)第4章第2節、但し連載初出は1992年

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 要は「無害な概念」に埋没していた年少者らが、テレクラや伝言ダイヤルのブームがもたらした同調圧力によって強制的に「酷薄な偶発性」に晒されることを通じて、現実感覚が失調して自己操縦ができなくなり、巨大な<こんなはずじゃなかった感>に打ちのめされるようになったのです。

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