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乃木坂46が舞台公演『じょしらく』で見せた、“アイドル演劇”の可能性とは?

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香月孝史

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 先週末に全日程を終えた乃木坂46の舞台公演『じょしらく』(6月18~28日、渋谷・AiiA 2.5 Theater Tokyo)は、乃木坂46が自ら手がけるものとしては、初めての“素直な”演劇公演だった。

 時折語られることだが、乃木坂46は「芝居ができるアイドルを確立する」という目標を掲げている。シングルCDリリースの際に収録される個人PVなども、そうした経験値を積む一環になっているが、演技という観点で見る時、特にこのグループが意識的に取り組もうとしているのは舞台演劇である。デビューの2012年から毎年の恒例イベントとなっている舞台公演『16人のプリンシパル』はその基盤になるものだ。たとえば『16人のプリンシパル』で安定的な演技力を見せてきた若月佑美は、昨年から今年にかけて前田司郎の代表作『生きてるものはいないのか』のキャストや、2.5次元舞台『ヴァンパイア騎士』の主演に抜擢され、グループに在籍しながら広い振り幅の外部舞台経験を積んでいる。

 ただし、この乃木坂46の看板イベントである『16人のプリンシパル』は、舞台演劇を志すことだけを考えるならば必ずしも最適な企画ではない。『16人のプリンシパル』では、あらかじめ配役が決まっていないままメンバーはすべての登場人物の台詞と段取りを覚え、その日の公演ごとにオーディションを行なって観客投票で各公演のキャストを決め、演劇を上演するというスタイルをとっている。このシステムは、AKB48的な“民意”を介したエンターテインメント性と、乃木坂46自身の演劇への志向を融合させたものである。その構造特有の面白さが呼び物ではあるものの、一つの役に専心できないまま稽古期間、公演期間が過ぎてしまうため、まだ俳優としてビギナーの位置にいるメンバーたちが基礎を覚えるための場として考えるのは難しい。48的なエンターテインメント構造か、演劇志向か。過去三回の公演を通して、乃木坂46はその両者の間で揺れてきた。それとは対照的に、今回上演された『じょしらく』は、乃木坂46がごく自然に演技のキャリアを積むための企画として、『16人のプリンシパル』の構造では実現できない機能を果たすものになった。一人のメンバーが一つのキャストに専念して役を掘り下げることができ、固定した座組で公演を行なう演劇は、乃木坂46が手がけるものとしては初めてのことになる。冒頭で、初めての“素直な”演劇公演と書いたのはそのためだ。

 もっとも、この『じょしらく』という題材そのものは、オーソドックスな進行の戯曲にはなりにくい。原作の漫画作品自体が、明確な一本道のストーリーを持つものではなく、女性落語家たちの楽屋での「差し障りのない」会話で構成される。今回の乃木坂46版舞台も、比較的原作を忠実に参照したパートは多く、日常をつづるようなシーンの連続で進行する。その意味では、この舞台作品もまた一風変わった独特のテイストを持つものではある。ただし、各メンバーがそれぞれ一つの役のみに専念できること自体の効果は、やはり大きかった。今回の舞台化では、事前オーディションで選抜された15名のキャストを3チームに分けたトリプルキャストの方式をとったため、一人一人が出演できる回数は、全15公演のうち3分の1ずつに限られる。『16人のプリンシパル』に比べれば、公演期間中に舞台に立つ回数そのものはずっと少ない。それでも、役者としての安定感は『じょしらく』の方が数段上だったといっていい。上述したように『じょしらく』は強いストーリーで推進できるタイプの作品ではないだけに、出演メンバー同士で間やテンポを密に合わせた芝居をしなければ、途端に間延びしてしまいかねない。過去の『16人のプリンシパル』や『じょしらく』公開オーディション時から目を引く演技を見せていた伊藤万理華や衛藤美彩、井上小百合といった個人のレベルではなく、チームとしてその点をクリアできていたのは『じょしらく』の大きな収穫だったはずだ。それは脚本・演出を務めた川尻恵太との稽古期間に、充実した蓄積があったことをうかがわせるものだった。

     
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