長渕剛が語る、命がけで表現するということ「本気でかかってくる者には、逃げるか、行くかしかない」

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 初のオールタイム・ベストアルバム『All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。』の発表と、同作を携えての日米混合バンドによるアリーナツアー。さらに12月20日、そのツアーの日本武道館公演を収めたLIVE DVD『TSUYOSHI NAGABUCHI “ARENA TOUR 2014 ALL TIME BEST” Live! One love, one heart』がリリースされる。長渕剛の2014年は、自身の音楽人生の集大成であり、新たな挑戦を果たした年であった。そして彼は来年8月22日、富士山麓10万人オールナイトライブという、前代未聞の大きな“山”に立ち向かおうとしている。今、長渕はアーティストとして、表現者として、そして人間として、何を考え、どこへ行こうとしているのか。長渕剛の生き様について直接本人に迫った。

「長渕剛のコンサートには、ファンとの間で“競技・闘い”が介在している」

ーー今年行われたアリーナツアーのLIVE DVD『“ARENA TOUR 2014 ALL TIME BEST“ Live! one love, one heart』を改めて見て、いつも以上に充実したように見える長渕さんの表情が印象的でした。

長渕剛(以下、長渕):理想的なステージをずっと追求してきた人間としては、恐らくこれ以上のロックショウとしてのパフォーマンスはできないんじゃないと思えるレベルまで表現できたと思っています。それが充実した表情として出てるんでしょうね。

ーー今回、日米混合バンドという新たな試みがあり、観る側として、どうなるか予想がつかない部分もあったのですが、実際目の当たりにして、“ソロアーティスト・長渕剛とバックバンド”という見え方よりも、一つの大きなバンドとして見えました。

長渕:バンドというのはバンドじゃなきゃいけないんです。同じベクトルを向いていなければならない。一喜一憂を紡ぐために仲間が集まるわけです。ですから、バックバンドという意識は僕にはないですね。日本とアメリカのミュージシャンたちが同じ目的意識を持ち、バンドとしてパフォーマンスする、ショウをやるというのは、僕が一番描きたかった表現方法なんで、それがやっとできたかなという感じです。

ーーこれまでの音楽人生を通して描いた、現在における一つの完成形であると。

長渕:僕がライブハウスで歌い始めたとき、お掃除のおばちゃんしかいなかった。「おばちゃん、聴いてよ」というところから出発したわけです。そこから10人、50人、100人、1000人と増えていき、日比谷野音6千、日本武道館1万、東京ドーム6万5千、桜島7万5千、そして今度は富士山麓10万という目標値を設定しました。そこに到達しなければ自滅してしまうんだぞ、ファンを一緒に心中させる気か、ということを自分に課さないと、表現者は生きらない、生きちゃいけないという持論があるんです。人間は命がけの表現、本気でかかってくる者に対しては、逃げるか、行くかしかないんですよ。

ーー長渕さんのコンサートには観客全員が本気で挑んでいますよね。長渕さんがコンサートにおいて特に重視していることは?

長渕:世界を見渡しても僕のコンサートのように、あるときは国旗が舞い、何万もの観客がひとつになって拳を突き上げる光景というのは見たことがない。このひとつになるエネルギーがあるうちに我々は、正しいと思うことを社会や国や世界に表現する必要があるんです。巨大なエネルギーっていうのは一夜にできたものではありませんね。僕とファンがずっと長い歴史をつむいでつくってきたものなんですね。それは、高みを目指して挑戦し続ける、一途の道を追求しつづけるという、あくなき表現者として完璧を目指すという強烈な欲求でもある。ファンが何を求めて僕のコンサートにやってくるかと言えば、自己を肯定して生きていきたいんです。「おれたち、結局頑張ってもさ… 」と、どこか自己を否定して生きている社会がある。だけど、「長渕のコンサートに行くとそんなもの払拭してくれるんだ」という、そんな彼らの声がステージ上の僕に突き刺さってくるんです。「わかった、だったらおれらも飛びかかっていくからな!!」と、そこに全力で応えていく。そういった意味で、長渕剛のコンサートには、ファンとの間で“競技・闘い”が介在している。その三時間の競技性を含んだパフォーマンスを作るためには日本人だろうが、外国人だろうが関係ないですよ。同じ仲間として一緒に走るため、労力を惜しみなく環境作りに馳せ参じ、自分の目で本物かどうか確かめて人選もして。失敗は負けですから。だけど負けても諦めないという気持ちを持って行くことで、今回のような満足の行くステージがやっとできた。

ーー他には類を見ない、長渕剛のコンサートならではの気迫があると思います。

長渕:僕のライブパフォーマンスは“生きる”そのものであって。“死にたいほど生きる”、「おまえら、死にたいほど生きてるか」ってことなんですね。そんな厳しいこと言わないでよ、という人もいっぱいいると思うけど、でも「ゴメンネ、おれ学芸会やってるんじゃないんだよ」と言いたい(笑)。

ーー長渕さんにとって、ファンとの関係はどのようなものだと感じていますか?

長渕:ファン、僕らにとってステージに足を運んでくれる人たちというのは、極端な言い方ですけど、何をやっても喜んでくれるんですよ。下手でもダサくても、一流じゃなくとも何だっていい。恋人ともいうべき、相思相愛という前提があるんです。でも、その許された仲で“ごっこ”をやり続けるのが一番嫌なんです。何をやってもいいという相互関係だったら、最初からステージには立たないです。逆に許された仲だからこそ、自分が挑戦していくということはどういうことなのか? 本物とは一体なんなのか? 進化し続けることっていうのは? 生きるとは? 泣くとは?という様々な問いを投げかけていく。それをこの30数年、ファンとの中で一緒に作り上げてきた、これは僕と、長渕剛ファンの自負です。

ーー予定調和はいらない、と。

長渕:結局、間違っちゃっても頭掻けば許してくれるし、ヒット曲をたくさん歌えばたくさんの拍手がもらえるって、表現者にはどこかそういう思い上がりがあるんですよ。だけど、そうじゃない。1つのヒットがあったときに、それを10年歌わない覚悟が自分にあるかどうか。それを上回る拍手をもらうために何が必要かを考えますね。

ーー以前、長渕さんが仰っていた「ファンは共感してくれてるか解らないけど、共鳴はしてくれてると思う」という発言が印象に残っています。

長渕:強制はできませんから。僕の歌で人生が変わったと言われても、本当にいいの?とも思うし。数万人の人間を引っ張るというのは、ある意味、宗教的なところに似てるんで、ぞっとするときがあるんです。そんなときは、自分が弱い人間であるということを、恥ずかしいけど歌わないと生きていけない。ファンという仲間を増やすために歌ってきて、強者にも弱者にも自分の弱さをぶつけてきた。今、残っていただいている、好きになっていただいている仲間というのは、「そうだ」と思ってくれている連中だと思ってます。だからこそ、「そうじゃないんじゃないか」と問いかける自分と「そうだろ」と同調する自分を常に持っていなければいけません。「これなのだ」と言い放った瞬間には「そうじゃない」という歌を作っていかなければならない責任があります。そのレスポンスを表現として、生涯貫いて生きていきたいんです。

ーー自分の中にある二面性、2人の人間をつくると。

長渕:老いて明日死ぬかもしれないというとき、たとえ皮と骨だけになっても、病床でギブソンのJ-45にヘビーゲージを張って、歌を歌いたい。この10年愛して止まなかったオマエに愛の歌を1曲と、絶対許さねぇ憎きアイツに1曲、という2曲を紅白歌合戦で歌いたいという夢があるね(笑)。それくらいやったら、ファンはもちろん、社会にも少しは「本気だったんだな」と思って頂けるのではないか。それくらい強いです、表現者としての欲求は。そうでなくては、桜島まで来いとか、10万人来いとか言えないですよ。今は長渕剛という表現者を最期まで貫き通す途中です、まだまだ途中。

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