宮台真司+小林武史が語る、2010年代の「音楽」と「社会」の行方

 社会学者・宮台真司氏と音楽プロデューサー・ミュージシャンの小林武史氏による『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』出版記念トークイベントのレポート後編。前編【宮台真司+小林武史が語る、音楽と変性意識「60年代の音楽はエモーションを丸ごと録ろうとした」】では、「変性意識状態」をキーワードに、60年代にはなぜエモーショナルで祝祭的な音楽や空間が生まれたか、また70年代以降にそれがどう変容したかについて語られた。後編では、宮台氏が「〈社会〉という檻の中での承認をユーザーが求めている」と位置づける現在において、音楽をはじめとするカルチャーはどんな状況にあるのか、またそうした時代に私たちはどう生きるべきか、広範なテーマについて議論が展開された。

宮台「90年代後半、社会全体がスーパーフラット化した」

小林:90年代の半ばくらいになると、そういう流れはだいぶ戻ってきていました。もしかしたら日本の中で多様な音楽の形が生まれていた良い時代だったのかもしれないですね。でも、90年代の揺り戻しがあったけど、結局もとの流れに戻ったのではないか。

宮台:揺り戻しの話からすると、80年代半ばにはアメリカとイギリスで似た動きが同時に起こります。アメリカではヒップホップの動きが、イギリスではセカンドサマーオブラブっていうレイヴの動きが、起こるんです。
 背景は、レーガンノミクス(アメリカ)とサッチャリズム(イギリス)です。要は新自由主義によって郊外やストリートが空洞化=〈クソ社会〉化したので、街を我々に取り戻そうという〈我有化〉の運動が起こったんです。
 それが日本に波及したのが90年代に入る直前で、クラブムーブメントに繋がります。集った連中は〈クソ社会〉から退避するためにクラブに籠ったので、かつてのディスコブームのような社会の中の祭りとは別ものでした。
 クラブに集う連中は不良じゃなく、パンピー(一般人)がハメを外しに来るわけでもない。〈クソ社会〉から逃げるために来ていたんです。80年代末から90年代前半まではそんな感じでした。
 だから〈クソ社会〉の中で自分をアゲアゲにするアッパー系とは別に、〈クソ社会〉から退避する音楽がありました。僕のような60年代文化に影響された者にとっては「やっと来た!」っていう感じでした。
 それもあってストリートで援交などをフィールドワークしていたんですが、90年代後半に入ると途端に変性意識状態から見放され、社会全体がスーパーフラット化していきます。
 例えば、援交ブームがピークを過ぎる96年頃から、性愛に過剰な人が「イタい」と思われるようになり、少し遅れてオタク界隈でもウンチク競争する人が「イタい」と名指されるようになります。
 結果、性愛系の人たちもオタク系も人たちも、過剰にハマることを回避して、「戯れ」によってコミュニケーションを繋ぐことを優先するようになります。今日までずっと続いている傾向です。
 考えてみれば、インターネットが拡がって人と人がピンポイントで繋がれるようになると〈島宇宙化〉が過剰になります。それを跨いで繋がるには、何事につけ過剰さを避けるのが合理的です。
 それが「KY(空気読めない)」に象徴されます。過剰だと思われないよう自己規制しながらコミュニケーションするので、友達にも恋人にも腹を割らないし、昔の飲み会みたいにハメを外すこともありません。
 となると、音楽との関わりも、セックスとの関わりも、〈社会〉の枠内つまり、変性意識ならぬ通常意識状態に閉じ込められます。日常の損得勘定を越えた動機に基づくコミュニケーションが難しくなるんです。
 僕は、損得勘定に留まる動機を〈自発性〉、損得を超えて内から湧き上がる力を〈内発性〉と呼びます。そこら中から〈内発性〉が消えて〈自発性〉が専らになった社会が〈クソ社会〉。僕らの周囲に拡がっています。
 ところが、僕らと違い、若い世代は〈クソ社会〉しか知らないから、それが〈クソ社会〉であることすら意識に昇らない。だから〈社会〉から〈世界〉へという志向もなくなってきています。
 だから、小林さんのように音楽を作るとか、芝居や映画を作るのは難しくなっています。凡庸な歌詞の羅列に見るように、結局〈社会〉という檻の中での承認をユーザーが求めているからです。
 むろん僕らには〈クソ社会〉しかない。だからこそ〈クソ社会で見る一瞬の夢〉。なのに今は志向されない。僕のフィールドでは性愛がそうで、日本の恋愛映画もクソ。安心・安全・便利・快適など馬鹿げたニーズだらけです。

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