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初の評伝『ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍』インタビュー(前編)

「俺らこそが真のパンクや!」中川敬が振り返る、初期ソウル・フラワー・ユニオンの精神

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20140216-soul-02.jpgファーストアルバム『カムイ・イピリマ』でメイン・ボーカルを務めたうつみようこ在籍時のソウル・フラワー・ユニオン。

進んで孤立したわけじゃないけど、俺らは違うぞ、っていうのはあった

――当時、フリッパーズ・ギターと対談やってたよね。

中川:やったやった(笑)。『ロッキング・オン・ジャパン』で。彼らは目の中に星が入ってて、違う星に住んでる人たちやな~と思ったけど(笑)。だから当時、日本の音楽カルチャーは面白かったんよ。ただ、あの頃は、俺も若かったから、業界の中の話で、同業者にがっくりくるような話を当時たくさん聞いてて……。

――たとえば?

中川:言わない(笑)。言ってもしょうがない話。まあ、簡単に言うと、いかに表現する側が自立していないか、自分たちで決めてやっていないかっていう…。表現者として、それはないやろう、と。当時の感覚やね。それがこういう宣言文に……まあヒデ坊(伊丹英子)と笑いながら書いてたんやけど(笑)。そういうものは強くあったな。

――そういう連中とは一線を画したいと。

中川:別に一線は画したくないよ。進んで孤立したいわけではなかった(笑)。でも俺らは違うぞ、っていうのはあったよね。当時は若かったし、自分らの考えが確としてあったから。今に続いてる要素もその中にはいっぱいあるし。根っからのパンク的な気質が一番出てた頃じゃないかな? 音楽的にはだいぶパンク・ロックの文脈から離れてたと思うけど、一番そういうのが強かった時期やと思う。今から振り返るとね。92年から95年ぐらい。俺らこそが真のパンクや!みたいな。当時はもちろんそういう風に言語化してあったわけやないけど、今から振り返ったらそういう感じがすごく強かった時期やな。

――パンクという言葉を使うといろいろ誤解を招くけど、精神としてはそうだったと。

中川:そう。あのころはパンクっていう意識、強かったね、モノノケ・サミットもそうやったし。俺は20代後半やね。10代後半にニューエスト・モデルを結成して、エッグプラントでライヴをやって、ハード・パンクな感じのサウンドで始まって、いろんな音楽、人間、現場と出会いながら95年まで辿り着いた10年間ぐらいっていうのは、相当パンクやったと思うよ。

――なるほど。でもそういう本人の意識とは別に、いわゆるロック・ファンは離れていったと。

中川:どうやろ? ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴ、ソウル・フラワーみたいなのを好きなタイプの人たちっていうのは、常に、いつの時代もいて、例えば一旦離れてもまた5年10年ぐらいたつと戻ってくる、みたいな感じでずっとあって。今もそういう感じでやってるけどね。

――自分はずっとロックやってるつもりという話ですが、ロックの定義ってなんでしょう。

中川:ステージでああいう風にやる芸、やね(笑)。2~3年ぐらい前から弾き語りのライヴをやるようになって。弾き語りをやってると、みんなシーンとなって聴いてる。これは一体なんやねん!と思ったね(笑)。もちろんそれはそれで面白い世界なんやけど、それまで30年ぐらい、無数のアホウが踊り狂う世界でやってきてるから、弾き語りっていうのはすごく変な世界やなと(笑)。嗚呼、俺ってああいう(ロック・バンドの)世界でやってきた人やねんなと、あらためて痛感したわけ。“ロック芸”でずっと生きてきて、しかもそれこそが、俺の十八番やな、という。

――ロック芸、ですか。

中川:うん。歌詞聴こえないかもしれないけど、大音量でガーッとやって、それ聴いて、鬱屈した日常を抱えた人たちがみんな踊って騒いで、ワーッとなってちょっとはすっきりして、さあ明日から頑張ろう、さあ明日上司しばいたろって、家に帰っていくという(笑)。

――それが「ロック芸」の役割。

中川:誇れる労働。弾き語りでは実現できない世界がある。単に“聴く音楽”だけじゃない要素。やっぱりこれをやっていきたいというのはある。そういう意味での“ロック芸”。

――「芸」というからには、エンタテイメントという意識はあるんですか。

中川:もちろんもちろん。舞台に上がって、お金払ってくれたお客さんの前でやるんやから。

――本の中にも、被災地で演奏することで、求められているもの(歌)を提供するのが自分たちの仕事だと気づいた、というような発言がありますね。そこはやはり一番変わってきた部分ですか。

中川:徐々にやけどね。確かに95年のモノノケ・サミットが大きかった。その前から少しずつ始まってたことではあるけどね。ただそれまではもっとアート志向が強くて、これが俺らのアートや、みたいな。ただ、そこからいきなり芸人に転向したわけでもなんでもなくて(笑)。今でもアート志向は強くあるしね。自決の芸である、っていうことがかなめやね。(後編【俺の根本にあるのは「歌をうたいたい」ということ】に続く
(取材・文=小野島大)

■書籍情報
『ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍』
著者:石田昌隆
版元:河出書房新社
発売:1月28日
価格:¥2,520

      

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