「さユりさんの音楽が悲しみを取り除いた」――救いの歌を追い求めて 大宮陽和、「キミ攻略ゲーム」で開花した“声”

概念ではなく、たしかな実感として綴られる恋と愛情の言葉、思いを発露させた絶唱が映し出す、歌の訴求力がダイレクトかつより明確になったという実感――。長崎県出身のシンガーソングライター・大宮陽和によるアニメ『勇者パーティーにかわいい子がいたので、告白してみた。』(TOKYO MXほか)のEDテーマ「キミ攻略ゲーム」は、彼女が新たな音楽の地平に立ち、次の季節を迎えたことを明実に物語っている。彼女の歌声は、いよいよ完全に開花する、そんな予感を感じさせる楽曲だ。
大宮陽和というシンガーソングライターは、今何のためにギターをかき鳴らし、そして何を歌うのか。彼女の歌が“救い”となっていく過程とそのドキュメントをじっくり聞かせてもらった。(編集部)
「こんなに楽しいなら歌いたい」――ギターと歌との出会い
――先日24歳のお誕生を迎えられました(取材は12月下旬実施)。おめでとうございます。
大宮陽和(以下、大宮):ありがとうございます!
――24歳の抱負は、何か考えていますか?
大宮:なるべく人とコミュニケーションを取っていこうと思います。
――ということは、これまではあまり取っていなかった?
大宮:自分から話しかけたりするタイプではなくて。でも、そういうコミュニケーションは大事だと思いますし、24歳はもう大人なので(笑)、頑張っていきたいなと。
――コミュニケーションの大事さはどういうところから感じましたか?
大宮:中学生くらいの頃からずっと思ってはいたのですが、なかなか人に話しかけられず、自分の意見もあまり言えなくて。でも、もうそろそろ言い訳もできないな、と(笑)。
――その「人とうまく話せない」とか「自分の意見をうまく言えない」というのが、大宮さんが音楽を始めたきっかけのひとつだったりしますか?
大宮:そうだと思います。音楽を始めたのはアニメの『けいおん!』を観て、「私も音楽をやってみたい!」と思ったのがきっかけでした。「楽しくギターを弾けたらいいな」という思いで始めて。でも、だんだんと塞ぎ込むようになったんですよね。その時に感じていたツラい思いを曲にしたら共感してくれる人もいるんじゃないかと思って、高校時代から作曲を始めました。
――『けいおん!』に出会う前から、音楽を聴いたり歌ったりすることはお好きでした?
大宮:はい。歌うことは好きでした。AKB48が学校で流行っていたので、小学生の頃はよく曲を聴いて踊っていました。
――「アイドルになりたい」とは思いましたか?
大宮:当時は思っていましたね。小学生の時は、性格が今と全然違ったんですよ。みんなの前でいつも踊っていたり、「アイドルになりたい」と思っていたり、陽キャでした。
――『けいおん!』に出会ったのはいつ頃?
大宮:小学4、5年生の頃だったと思います。最初は本当に「楽しくギターを弾きたい」と思ってカバーをしていたんですよね。
――ギターを始めたのも小学生?
大宮:はい。「私もやってみたい!」と思って、ギター教室に通い始めました。通っていたギター教室は、ギターだけじゃなく、ベースやドラムも教えていたので、同じように『けいおん!』を好きだと言って楽器を始めた子たちとコピーバンドを組んでいました。
――そのバンドでライブとかはしたんですか?
大宮:教室の発表会があったので、そこで数曲だけライブをやりました。最初はギターだけで、ボーカルはやっておらず、「絶対に歌いたくない」って言ってました(笑)。だけど、ボーカルの子が風邪を引いて声が出なくなってしまった時に、たまたま歌う機会が巡ってきて。

――歌ってみて楽しくなった? それともイヤでしたか?
大宮:それが楽しかったんですよ! 奇跡だと思いました(笑)。「こんなに楽しいなら歌いたい」と思って、少しずつ歌うようになりました。
――そして、本格的に音楽をやろうと思ったのが高校生の時なんですよね
大宮:はい。それまではずっとカバーをしていたんですが、高校生になってギター教室の先生が「そろそろ自分で作曲してみたら?」と言ってくれて。その言葉をきっかけに曲を作り始めました。
――『けいおん!』以外にカバーしていたものはありますか?
大宮:『ラブライブ!』やほかのアニメの曲、THE ORAL CIGARETTESや[Alexandros]といったバンドのカバーをしていました。THE ORAL CIGARETTESや[Alexandros]はバンドメンバーの子たちが教えてくれて聴くようになったんですが、最初は「絶対にこんなの弾けないよ」って思っていたんです。だけど、「難しい曲も弾けるようになりたい」という気持ちになって、ギターばっかり弾くようになりました。
――話が前後してしまうんですけど、高校生の時にオリジナル曲を作り始めた時は、どういうふうに作っていたんですか?
大宮:もともと悲しかったり、ツラいことがあったりすると、ポエムみたいな感じで書き残すようにしていたんです。なので、それを広げて歌詞にして、そこに曲をつけていくというやり方で曲を作ってました。最初はなかなかうまくいかなかったんですけど、繰り返してだんだんできるようになっていきました。
――ネガティブなものも含めて、ご自身の感情を表に出すということに対して抵抗はなかったですか?
大宮:なかったですね。むしろ、曲にすることでスッキリしていました。
――その頃はもう弾き語りのスタイルで?
大宮:はい。バンドも続けてはいたんですが、みんな高校生になって、(教室の子たちとは)学校も違ったからなかなかスケジュールが合わず、自然と活動しなくなって。私は私で、自分で曲を作るようになってからはシンガーソングライターとしてライブをすることに興味を持ち始めて。いろんな人に「ライブに出させてください」と言って、ライブをすることがいちばんの楽しみでした。





















