世界初のカラオケ装置、悲願のIEEE表栄 真の発明者が家族に語った「真実」

世界初のカラオケ装置、悲願のIEEE表栄

 また今回の「IEEE マイルストーン」認定はカラオケの世界的な普及と人気を評価してのことだが、00年代末までは開発者が特定できず「自称発明者が20人くらいいる」という状況だった。さらにカラオケのビジネス化に成功した人物として知られる、井上大佑氏が開発者として米国の週刊誌「タイム」で紹介されてしまうなど世界にも誤解があった。

 当時、根岸は自分の仕事に矜持があった。でもそれを主張せず、「真実はひとつだから。自分がわかっていればいい」と子どもたちに語っていたらしい。

 そんな彼に初めて光を当てたのがジャーナリスト・烏賀陽弘道だ。カラオケの正史を記した労作「カラオケ秘史」の取材のために彼が根岸氏を尋ねた時のことを「父は大変喜んでいた」と彼を看取った次女・淳美さんは記憶しており、挨拶のなかでも謝辞を述べている。

 それにBS NHK、海外記者のマット・アルト氏が続き、根岸氏がカラオケの発明者だという認識は国内外に広がっていった。

 授与式終盤には現存する唯一の「ミュージックボックス」実機が登場。長男・明弘さんが機能を解説しながら、細川たかし「北酒場」を実演した。

 70年代にカーステレオ用として人気だった「8トラック(8トラ)」のカートリッジをセットすると録音された音源が流れ、つまみを回すことでプロ歌手が歌ったガイドボーカルの音量も調整可能だ。MIDIの登場以降、ほとんどのカラオケ音源が打ち込みになった時期もあったが、いまは生音源が増えている。これも技術革新による先祖返りといえるのかもしれない。

 さらに前面のディスプレイには、高中低の音域に合わせて点滅するイルミネーションが搭載。お洒落な作りとなっている。

 そして不思議なのは、彼や井上などカラオケにまつわる技術者たちが特許を出願していなかったことだ。もし彼らが特許を持っていたら、開発者をめぐる事態はさらに混乱していたかもしれないし、同じスピード感で世界に普及していたかもわからない。これについて明弘さんはこう語る。

根岸重一氏
根岸重一氏

 「恐らく特許を取ってたら、お金がありすぎて、父親も我々兄弟も健康には過ごしていないと思います。だから逆によかったね。100歳まで健康に生きて、孫に囲まれて幸せに亡くなったのはカラオケの特許を取らなかったからだと思います」

 根岸さんはその後もバスガイド向けのカラオケマシーンの製造をしたり、70代くらいまで色々なものを作ったという。晩年は「手捻りの猿」を1000体作って展示会をしたり、そのクリエイティビティの灯は人生の終わりまで消えることがなかった。

 なお授賞式で贈られた銘板は、発祥の地・板橋の工場があった場所の裏側で現在も営まれている「根岸たばこ店」に掲出されるという。

参考文献:烏賀陽弘道『カラオケ秘史―創意工夫の世界革命―』

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