世界初のカラオケ装置、悲願のIEEE表栄 真の発明者が家族に語った「真実」

故・根岸重一氏が開発した世界初のカラオケマシン「ミュージックボックス」が米国電気電子学会(IEEE)の「IEEE マイルストーン」に認定され、6月12日に都内で銘板の授与式が行われた。
この賞は電気・電子・情報技術などの歴史的偉業を顕彰するもので、開発から25年以上経ち、社会や産業の発展に多大な貢献をした技術などが対象である。これまで日本からは平賀源内「エレキテル」(1776年)やデンソーウェーブ「QRコード」(1994年)、トヨタ「プリウス」(1997年)など多くの技術がこの賞に名を連ねている。
式にはIEEEの2024年度会長のトム・コーリン(Tom Coughlin)博士、2020年度IEEE会長の福田敏男教授、根岸氏の家族である長女・対馬真澄さん、次女・高野淳美さん、長男・根岸明弘さん、そして全国カラオケ事業者協会の代表理事・佐久間秀樹氏が参加した。
この「ミュージックボックス」が開発・発売されたのは1967年。当時ラジオやカーステレオの組み立てを手掛ける「日電工業」を東京・板橋区で経営していた根岸は、1967年に「テープの音楽に乗せて自分の歌声が出たら面白い」と思い立った。
その着想源になったのは現在、日本の民間放送で最長寿番組とされるラジオ番組『歌のない歌謡曲』で流れていたインスト音源。それを聞きながら根岸氏自身も疑似カラオケを嗜んでおり、「『ミキシング』で演奏に声を乗せられるのでは?」と思い立った。このアイデアがカラオケの開発に繋がったのだという。
いまでは当たり前のミキシングの概念がカラオケの誕生につながったことは非常に興味深い。それから当時の技術部長を中心に試作機を数日で制作。根岸氏によって初めて歌われた曲は、児玉好雄の「無情の夢」だった。
そのプロトタイプを根岸氏が「すごいものができた!」と持ち帰り、子どもたちは新しい玩具を手に入れたかのように遊んだそうだ。「そのときはそこまでの機械だと思わず、面白いなと思いながら兄弟3人で歌っていましたね」と長女・真澄さんは回想。しかしここまで世界に広がるとは、当時予想もできなかったようだ。
さらに彼女は「これからNHKにカラオケのテープを借りに行く」という父との会話も強烈に覚えていたという。「カラオケとは何か?」という娘の問いに根岸氏は「歌手が地方に行くときにバンドを連れていけないから、そのための“空”の“オーケストラ”」と説明した。その言葉は、当時ラジオ関係者のあいだでは普通に使われていたようである。
後に「スパルコボックス」と改名されたのは、ファッションビルの「PARCO」が流行っていたのが理由だとか。























