ゲームの元ネタを巡る旅 第19回
『アサシン クリード シャドウズ』にも登場する「忍者」とは何者なのか――精神性、歴史、忍具を紐解く

多種多様な販売形態の登場により、構造や文脈が複雑化し、より多くのユーザーを楽しませるようになってきたデジタルゲーム。本連載では、そんなゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画だ。企画の性質上、ゲームのストーリーや設定に関するネタバレが登場する可能性があるので、その点はご了承願いたい。
第19回は『アサシン クリード シャドウズ』の発売を機に、忍者について調べてみた。

忍者の源流
国内の間諜あるいはスパイの起源は古代まで遡る。日本史上最初の間諜は『日本書紀』に登場し「新羅の間諜(うかみ)の者である迦摩多(かまた)がやってきた」と記されている。
一方で、忍びの起源はというと、聖徳太子が物部守屋を倒すために用いた志能便(しのび)の大伴細人ではないかという説が唱えられてきた。しかしこれは裏付けが乏しく、最近の研究では否定されている。
資料の上で最初に忍びの存在が確認できるのは、南北朝時代の戦乱を描いた軍記物語『太平記』だ。巻第二十「八幡宮炎上の事」で、足利軍が男山の城を攻める際、普通では入り込めないようなところに雨の降る夜に乗じて潜入した忍びがいて、その者が石清水八幡宮の社殿に火を点けたと記されている。

忍者の精神性「正心」
そもそも忍者は常に忍者として行動していたわけではなく、平時は農民として暮らしていた者が大半だった。午前中は農業や家事を行い、午後に武芸や馬の稽古をして日々を過ごしていたのだ。よって、忍び装束と呼ばれる黒ずくめの服は着ておらず、ほとんど農民と違わないファッションが基本で、潜入の際にだけ柿渋色や濃い茶色、紺色の服に着替えるのがせいぜいだったと言われている。
また、同様に女の忍者である「くノ一」もフィクションのなかにのみ登場する概念だとされており、実在しない。とはいえ、武田信玄などの一部の戦国武将らは、市井の女性や歩き巫女などを間諜として雇い、立ち聞きや噂話をさせて敵の情報を集めることはしていたようだ。
ちなみに、伊賀では「伊賀惣国一揆」という自治組織を作っており、共和的に自分たちの行く末を決めていた。これは『アサシン クリード シャドウズ』でも描かれており、主人公の奈緒江も発言権を持って会議に参加しているカットシーンがある。

農民と違わない暮らしぶりとはいえ、忍者の家に生まれた者は忍者として育てられ、ただの農民では受けられない修行を受けてあらゆる忍術を修めていたのは事実である。17世紀に藤林保部によって書かれた有名な忍術書『万川集海』を始め、忍者に必要な資質や条件はあらゆる書物に書かれている。
『万川集海』の冒頭では、忍者の心構えである「正心」が書かれている。私利私欲に走らず、仁義と忠心を守って忍術を用いよという内容だ。これはつまり、忍者というのは放火や殺人という当時の道徳観念から照らしても後ろめたい行為をする仕事であり、任務中に心のコントロールができなくなってしまわないように「正心」が必要であったと考えられている。
また、忍者としてのスキルが高い「上忍」として認められるには、十の条件を満たす必要もあった。そこには忍者としての心構えだけでなく、性格や信念、利発さ、命を捨てる覚悟、武芸や詩文への理解など幅広い才能が求められた。
加えて、ここが最大のポイントなのだが、以上に加えて「人に知られていない」ということも条件であった。つまり、いま我々が知っている有名な忍者よりももっと有能な上忍がいたはずだが、そんな人物であれば隠れるのも上手いので後世まで伝わっていないということである。なかなかロマンのある話ではないか。

忍術
では、実際に忍者はどのような忍術・忍具を用いたのだろうか。
まず、もっともポピュラーな忍具として知られているのが「手裏剣」だが、こちらはほとんど使われていなかったのではないかという説が濃厚だ。なぜなら、手裏剣のような明らかに形状が特徴的な武器を持ち歩いていること自体、忍者を名乗っているようなものだし、当時は鉄が高価だった。そもそも殺傷能力も低く、有効射程も短いので、使われたとしても相手をひるませた隙に逃げる程度の使われ方に過ぎなかったのではないかと考えられている。
前提として、忍者は暗殺を行うことは稀であり、陽動や攪乱、敵国の情報を持ち帰ったり、逆に嘘の情報を流したりする工作員としての働きが求められていた。なので、いざというときに使える武器としては、即席で作れる吹き矢か、農具としても使用できる鎖鎌のような持ち運びが便利なものが選ばれた。

なお、もうひとつのポピュラーな武器であるクナイ(苦無)だが、こちらも投げて敵を暗殺する目的ではなく、城壁の登攀や、木登りなどに用いられた。いわゆる万能なサバイバルナイフとしての役目があったようだ。
続いて忍術だが、こちらは非常に種類が豊富だ。
人相学を基に、相対する人物の考えや立ち位置を探る「察人術(さつにんじゅつ)」。城や屋敷に忍び込むタイミングを図る「入虚(にゅうきょ)の術」(火事の翌日や、宴会のあった夜などが選ばれやすい)。
見張りが緊張を解く瞬間を見極める「入堕帰(いりだき)の術」。タイミングが来たらためらわずに必ず侵入することを心がける「択機(たくき)の術」などなど……さまざまに存在する。

ひとつひとつは忍術と呼ぶにはオーバーな気もするが、これらはそれぞれの動きを忍術としてルーティーン化することで、決断をする際の心的リソースを減らすという役割があったようだ。
他にも、敵が出陣する瞬間に逆に敵の城に入ることですれ違うように侵入する「参差(さんさ)の術」や、何年も敵国の将に仕えてここぞというときに寝返る「桂男(かつらお)の術」など、城を落とすための権謀術数がいくつも練られてきた。
いかにもフィクションで描かれるようなド派手な術は見当たらないにせよ、人の心理の裏を搔き、巧みに任務をこなす姿は現代のイメージとそう違わない部分がある。調べれば調べるほど、忍者という文化の底知れない面白さを感じることができた。
参考資料:
山田雄司監修『戦国 忍びの作法』(G.B.)
山田雄司著『忍者の歴史』(角川選書)
伊賀流忍者博物館 https://www.iganinja.jp/





















