新東京のワンマンツアー「NEOCRACY」ファイナル公演ライブレポート 『αU』とのコラボで示した“アーティスト×NFTの可能性”

新東京×『αU』が示した“新たな可能性”

 2024年3月20日、東京・恵比寿のLIQUIDROOMにて、ギターレスバンド新東京のワンマンツアー「NEOCRACY」のファイナル公演が行われた。今年2月に静岡からスタートしたツアーは、国内6か所を回りながら満員の東京会場に辿り着く。2月7日にリリースされたフルアルバム『NEO TOKYO METRO』の衝撃が続くなか、彼らは各地に熱狂をもたらした。

 後に詳述するが、新東京は本公演でKDDIが提供するメタバース・Web3サービス『αU(アルファユー)』とコラボレーションしている。アプリをダウンロードした来場者に対し、「NEOCRACY 東京編」オリジナルフライヤーのNFTと同デザインのステッカーが送られた。Web3以降のエンターテイメントでは、アーティストをサポートするオーディエンスの存在も極めて重要になってくるが、様々な解釈の余地がある新東京はまさしくその世界観を生きている。リスナーが彼らの音楽について論じる姿は文字通り「democratic(民主的な)」だ。

 実際、聴けば聴くほど、ライブを体験すればするほど、彼らの音楽は奥行きを増してゆく。「NTM」からスタートした本公演は、初っ端から即興的な魅力に溢れ、曲間がシームレスに繋がるスリリングな構成だった。4曲目の「Heavy Fog」までにメンバーひとりひとりに見せ場があり、続く「Waste」ではさらに拡張されたソロパートが披露された。田中利幸(Key.)がリフレインする軽快なメロディに乗せ、大蔵倫太郎(Ba.)がファンキーな低音を爪弾き、保田優真(Dr.)が多様な手数の中、正確なリズムキープを見せる。そして杉田春音(Vo.)がそれらのバンドサウンドを歌で推進してゆくのだ。

 杉田の存在に数多のジャムバンドとの大きな違いがある。新東京の楽曲は“極めて”歌詞が良い。ここで言う「歌詞」は、単純な言葉だけを意味しない。バンドが奏でるサウンドと、杉田から発せられる言葉の相乗効果によって生み出されるものを指す。彼らのライブでは、言葉が音楽をドライブし、音楽が言葉をドライブする。たとえば「sanagi」では、〈寂しいも悲しいもわからないような私に この世界はもったいないだろう 鮮やかな心で掬い取ってよ そう思った頃には呼吸の仕方を忘れた〉で、〈忘れた〉の〈た〉の一歩手前からキーボードの余韻が始まる。つまり歌詞と音が重要な局面で呼応するのだ。

 『NEO TOKYO METRO』がリリースされてから、杉田は各メディアのインタビューで度々「ミクロ」と「マクロ」という言葉を使って、自身が紡ぐ歌詞について言及している。一方でフォーカスするのは個々人の営み、他方では社会を俯瞰しながら言葉をあてはめている。新東京の作品に作詞やコーラスで参加するniina67が客演としてステージに招かれた「Pearl(Organic)」では、ポップスの人懐っこさをまといながら、オープンマイク的な雰囲気があった。

 ライブの後半はさらにキャッチーさを増し、「Garbera」で歌を含むメロディが推進したかと思えば、次の「Metro」や「Cynical City」では再びバンドにフォーカスされる。歌詞などの文学性は主にリスニングミュージックとしての魅力だが、彼らはライブアーティストとしての地力が高い。21歳という年齢をわざわざ引き合いに出すまでもなく、洗練されたテクニックを持っている。むしろ、ツアータイトルに『NEOCRACY』と付ける新東京の社会観は、彼らの世代だからこそ持ち得たものだとすら思う。その感覚は「Escape」などに顕著に感じられる。

 アンコールに備えて舞台袖に下がるとき、杉田が放った「地位、お金、権力。そういったものではなく、みなさんの“好き”の気持ちだけが、俺たちの音楽を支配できるように歩み続けます」という言葉が、彼らのスタンスを端的に表している。そうして最後に演奏されたのが、新東京のディスコグラフィーの中でも特にメロディアスな「36℃」と、BPM140のアップテンポな「Morning」だ。彼らは軽やかに自身らの歌詞世界を歌いきってみせた。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる