荒削りで巨大な『Starfield』に感じる、ベセスダRPGが取り戻した「原点」

『Starfield』でベセスダRPGが取り戻した「原点」

ベセスダRPGの頭打ち感を「宇宙」というアプローチで強引に突破した『Starfield』

 逆に言えば、「The Elder Scrolls」も「Fallout」も、ある程度やり尽くした印象を感じているのは筆者だけではないだろう。どちらの作品においても、グラフィックや戦闘メカニクス、マップの規模などはアップグレードを続けてきたが、ここまで書いたように、そもそも、それらの要素は必ずしもベセスダRPGに最も強く求められているものではない。どちらのシリーズも現時点での最新作が『The Elder Scrolls Online』(2014年~)、『Fallout 76』(2018年~)というオンラインマルチプレイヤー作品であるという近年の流れからも、そうした印象をさらに裏付ける。

The Elder Scrolls Online - 日本語コンソール版ローンチトレーラー

 『Starfield』が重要なのは、そうした頭打ち感を宇宙に進出することで文字通り強引に突破したということだろう。マップの広さに関しては比較するまでもなく、過去のベセスダの作品で最も巨大であることは間違いない。自動生成技術とランダムに配置される手作りのコンテンツを組み合わせて構築された広大な宇宙は、まさに冒頭で書いたような唯一無二の体験(あるいは原点)を再び取り戻すうえで、極めて重要な役目を果たしている。なにより、ファンタジーの『Skyrim』やポストアポカリプスの『Fallout 4』とはまた異なる世界での何気ない日常が、そこには待っているのだ(宇宙へと進出したことによって、これまでの作品にはなかった近未来の世界観が存分に表現されていることも興味深い)。

 もちろん、強引に突破したことによる弊害も生まれている。もともと不便だったミニマップはそれぞれのエリアが広くなったことでいよいよほぼ役に立たなくなり、惑星の探索時の移動が徒歩に限定されているのもさすがに疑問を感じざるを得ない。また、宇宙の探索に関しては(そもそも厳密には惑星間がつながっていないこともあり)ほとんどやることがない。惑星探索に関しても「さすがにどこに行っても共通の建築様式なのは奇妙なのでは」と感じたりと、ゲームとしての限界に直面する場面は多い。言ってしまえば『Starfield』はなかなかに荒削りな作品でもある。

 とはいえ、個人的には、前述の頭打ち感を踏まえると、本作の荒削り感は、これからのベセスダRPG(あるいは長く遊ばれるであろう『Starfield』自体)においてポジティブなことなのではないかと考えている。1996年にリリースされた『The Elder Scrolls II: Daggerfall』では、当時の自動生成技術を活用することで実寸代のイギリスとほぼ同じサイズのマップを作り出すことに成功しており、あれから27年を経た現代のオープンワールドゲームと比較しても屈指の巨大さを誇る。とはいえ、その大半は特に何もないエリアがただ続くだけであり、ファストトラベルによる移動が前提となっていた。つまり、『Starfield』とまったく同じ問題を抱えていたのである。同作から『Morrowind』という傑作へとつながったことを踏まえると、本作の経験を経て、アップデートや新作などを通して、また新たな傑作へと繋がっていくのではないかという期待を感じているのだ(さすがに10年近く待たされるのは勘弁してほしいところではあるが)。

Walk Across the Map Timelapse | Daggerfall

 『Starfield』は間違いなく荒削りな作品だが、どこまでも広がる宇宙へ進出したことによって、ベセスダRPGはその原点を確かに取り戻したように感じる。宇宙に広がる未だ見ぬ美しさに圧倒されながら、自分だけが知っている、自分のためだけにある「何気ない、取るに足りない日常」を過ごしていると、そのことを強く実感するのだ。

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