“シリーズ19年間の沈黙”を通して考える『F-ZERO ファルコン伝説』が目指したもの

『F-ZERO ファルコン伝説』が目指したもの

世界観とストーリーの特徴に焦点を果て、新たな道を開こうとした『F-ZERO ファルコン伝説』

 そして残念ながら、その事実は19年間の沈黙という出来事が証明してしまった。単純に『マリオカート』シリーズほど大きな売上を記録している作品ではないこと、任天堂がニンテンドーDS、Wiiの発売を契機に高性能を追わない方針へと転換した(※)ことも、そのことに影響しているだろう。特に後者の方針は、技術ありきの『F-ZERO』にとっては大きな難題であったことが想像される。

※参考文献『任天堂“驚き”を生む方程式』 (日本経済新聞出版)「第2章 DSとWii誕生秘話」(49~73ページ)

 それらの事実と状況、抱えていた危機を踏まえると、『F-ZERO ファルコン伝説』は単に新規層の開拓を狙っただけではない。『F-ZERO』の未来のため、技術以外の魅力を深めるという布石を打った作品でもあったと見られるのである。

 特に作中でフォーカスされていたのが世界観とキャラクターだ。もともと、『F-ZERO』は初代の頃から世界観も作り込まれており、初代を遥かに上回るキャラクター(パイロット)たちが登場する『F-ZERO X』において、その部分はより一層磨き上げられた。

 また、前述したが、『F-ZERO X』からは相手マシンを攻撃できる要素も新規追加されている。これによって、彼らはレース中に順位を競い合うだけでなく、命のやり取りもしているという戦いの匂いが漂うようになった。この方向性を推し進めたのがまさに『F-ZERO ファルコン伝説』だった。

 事実、『F-ZERO ファルコン伝説』のテレビアニメ版ではレースに限らず、敵対する人物との戦闘などのシチュエーションも描かれた。また、個性豊かなパイロットたちにスポットライトを当てたエピソードも多数用意され、時にはあるキャラクターに思いもしないコスプレをさせてイメージを壊すといったチャレンジ(?)も随所でされている。

 そして、これは同時期に発売された『F-ZERO GX』もそうだったが、ゲーム版『F-ZERO ファルコン伝説』にはストーリーモードが導入されている。テレビアニメ放映当時だったこともあり、内容そのものは途中までのダイジェストに留められているのだが、こうした要素が実現したのも作り込まれた世界観と設定の賜物といったところだろう。

 それに前述したように、『F-ZERO』は経験の少ない初見時はその圧倒的なスピード感などで戸惑いやすい。しかしこれも、ストーリーを設けることで段階的にプレイヤーを慣らしていく手法が使えるようになる。ゲーム版『F-ZERO ファルコン伝説』は、まさにそれを活かす形で短期決着型のレース、ライバルたちを意識せずゴールを目指すだけという新たなシチュエーションを用意(ゲームモードとしては「ゼロテスト」と命名されている)。今まで『F-ZERO』を遊んだことがない初めてのプレイヤーへの配慮がされているのだ。

 ほかにもテレビアニメ化発表当時から推察されたのが「低年齢層のファン開拓」。実際、本編にそのことを狙った部分は多く、特に少年「クランク」にまつわるエピソードはその象徴になっている。もともと、『F-ZERO』の世界観やストーリーはコアなユーザー、特に高い年齢層に受けやすい作風でもあった。

『F-ZERO CLIMAX』収録の「STORY LINE」より
『F-ZERO CLIMAX』収録の「STORY LINE」より

 そういった部分も取っつきやすくする狙いでクランクというキャラクターを用意したり、そしてゲーム版でも『F-ZERO』の時速400キロ超えが当たり前の中でのレースをソフトランディング形式で体験させるなど、あらためて節々を見てみると、それまでとは違うファンの開拓を狙った布石が見られる。

 そうした特徴などから、『F-ZERO ファルコン伝説』はさまざまかつ、重大な使命を帯びた作品だったとの見方ができるのだ。しかし、これらの試みがどのような結果に至ったのかは、その後の歴史が示した通りである。

 そもそも……これは視聴者目線のコメントになるが、『F-ZERO ファルコン伝説』は当時のアニメとしてはキャラクターデザインや作風を始め、2000年代のトレンドから外れている感じが否めなかった。同じ時期に放送され、人気を博していた『鋼の錬金術師』や『カレイドスター』といったアニメと比べても、『F-ZERO ファルコン伝説』のキャラクターデザインがいかに浮いていたのかは明らかだ。ストーリーも全51話と長尺が取られていたが、盛り上がりに時間を要したのも人気を引っ張ってしまった感は否めない。

 それでも作品自体は語り継がれていくだけの話題性を今なお持ち合わせている。解説が終始悪ノリ気味かつネタ要素てんこ盛りの「バート先生のF-ZERO教室」、現代から見ても異様なまでに豪華すぎる声優陣、そして最終回でのまさかの“必殺技”。ソフト化自体はDVDが出たとはいえ、その後、ブルーレイや配信サービスでの展開はいまだないままとなっている。課題はあったものの、面白い作品だったのは間違いないだけに復刻が望まれるところだ。

 ちなみに余談だが、「バート先生のF-ZERO教室」は後の『F-ZERO CLIMAX』で原作ゲームへの逆輸入を果たしていたりする。

『F-ZERO 99』の誕生共に示された、バトルレースゲームとしての未来

 『F-ZERO ファルコン伝説』から20年、そしてその後の『F-ZERO CLIMAX』から19年。そのような長き時を経て、『F-ZERO 99』は登場した。

 ただ、同作を見てあらためて思うのは、『F-ZERO』は技術ありきのゲームデザインから逃れられないのだろうか、ということだ。

 『F-ZERO 99』も、やはりそうした技術に由来する表現面が作品の象徴となってしまっているのは否めない。99台ものマシンが同時にレースし、バトルロイヤルを繰り広げるというそれだ。見た目こそ初代『F-ZERO』のドット絵だが、それら大量のマシンが一同に競い、争い合う光景は非常に鮮烈だ。過去の時速400キロ超えのスピード感に並ぶ、新たな『F-ZERO』の魅力として確立された感はある。

 しかし、そんな表現面がアピールされてしまう辺り、『F-ZERO』というのはそれ以外の要素で勝負するのは難しく、比類するアイディアを思いつくのが本当に難しい作品なのだなと思い知らされるところだ。『F-ZERO ファルコン伝説』の試みが実を結ばなかった事実も、それに拍車をかけているように思える。

 とはいえ、バトルという新たな未来を切り開くカギになりそうなテーマが提示され、突き詰められたのは期待できる部分だ。この要素をさらに昇華させられれば、『F-ZERO』の新たな個性が確立されるかもしれない。もともと、過去の『F-ZERO X』でも「デスレース」というゲームモードを通して、バトルレースゲームとしての『F-ZERO』は提示されていた。従来のように技術面で勝負するのが困難になっている昨今。『F-ZERO』が目指し、突き詰めていく道はそこなのではと思うところだが、どうだろう。

 これから『F-ZERO』はどうなっていくのか。再び『F-ZERO ファルコン伝説』が試みた新しい可能性を模索することに挑むのか、それとも純粋にこれまでの路線を継承するのか。正直、久々の展開があっても、完全新作の開発のハードルは依然高いと推測される『F-ZERO』。なんらかの突破口が生まれるその時を心待ちにするばかりだ。

 また、ゲーム版『F-ZERO ファルコン伝説』も一度、Wii Uのバーチャルコンソールで復刻を果たしたものの、2023年3月28日の「ニンテンドーeショップ」のサービス終了以降、同じくゲームボーイアドバンスで発売されたシリーズ作共々、新規の購入が難しくなっている。ただし、そのひとつの『F-ZERO for GAME BOY ADVANCE』は今後、『ゲームボーイアドバンス Nintendo Switch Online』での配信が確定している。それにゲーム版『F-ZERO ファルコン伝説』も続いてくれればと願うこの頃だ。

 ただし、バーチャルコンソール版ではなぜかカットされた周辺機器「カードeリーダー+」絡みの要素を追加させる形で、とクギを刺しておく。

©Nintendo

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