アーティストは「AI以降の人類」に期待していいのか 渋谷慶一郎×岸裕真が語りあう“生成AIとの理想的な関係”

渋谷慶一郎×岸裕真が語る“生成AIとの理想的な関係”

ブラックボックス化したテクノロジーで「開かない扉」を蹴り飛ばす

岸裕真
岸裕真

渋谷:さっきもいったとおり、音楽の世界でAIはまだあまり有効ではなくて、僕はそこがもどかしいと思いつつ、でも有名な先輩のミュージシャンに会うと「そのおかげでまだ俺は命拾いしてる」なんて言う人もいるんです。僕自身はそういった「AI脅威論」的な、AIによって自分の仕事が奪われる想像は全然できないし、楽観的なので、あんまり共感も持てない。

岸:いま、藝大の鈴木理策先生(美術学部先端芸術表現科・准教授)の元で写真と印象派をリサーチしていて、ダゲレオタイプと写実画家の間にあったいざこざを講義で知ったんですが、当時の写実画家の反発の動きにはいまの生成AIを巡る議論と近いものを感じます。

渋谷:僕もそう思います。あと、テクノロジーと相対したとき、人間には敵わないことはあるし、人間と違うこともある。個人的には「こんなに使えるものがあるのに」という気持ちですが、AIに対してはヨーロッパでもすごく反発があって、敵視している人が多いですね。AIのシンポジウムでは、「もうやめて!」とか途中で叫びだす人を見たと友達が言っていた。

岸:いまのAIは2010年代から始まった第3次AIブームの末端にいますが、第3次AIブームの特徴は「AIがブラックボックス化した」ことです。こうした状況のなかで「Explainable AI(説明可能なAI)」という概念が生まれて、AIが導き出す答えとその過程についてAI自身が自分で説明できること、というのが近年求められています。このブラックボックスが多分、西洋の人にとっては受け入れ難い要因の一つなのかなと僕は思っていて。言ってしまえば「魔術的」というか。

 それを社会実装するときに、社会にインストールしたなんらかのAIモデルが暴走するのも怖いし、そこはちゃんと人類が握っておくべきだ、ということが「Explainable AI」を巡る議論の前提としてあると思うんですが、こうした議論は日本ではあまり聞かないですよね。

渋谷:そうそう。日本は人間中心主義がそれほど強くないからだと思う。だから僕がヨーロッパでやってきたこと、たとえば初音ミクの『THE END』というオペラには人が誰も出てこないんですが、それは普通のオペラからしたらありえないことで。「いい歌手・いい指揮者・いいオーケストラでやる」のがオペラだから、この前提に対してアンチテーゼが成立するというか、石を投げたかった。

渋谷慶一郎×岸裕真
渋谷慶一郎×岸裕真

ーーキリスト教的思想・歴史観が背景にあることも、西洋の人々がAIを敵視する理由として考えられますか。

渋谷:絶対にそれはあるでしょう。この間パリでやったアンドロイドのオペラ(『MIRROR』)では高野山の密教のお坊さんの声明と一緒にやったんだけれど、これはそういった史観に対するカウンターになるわけです。僕がコラボレーションしている高野山のお坊さんたちというのは空海の直系なんですが、今回の公演のために作った「Lust」という新曲の中で密教の中で一番中心的な「理趣経」という経典の冒頭にある「十七清浄句」というものを唱えてもらったんです。これは「理趣経」の一番コアの部分で、限られた修行を積んだ人しか唱えちゃいけないんだけど、内容は「欲望の肯定・セックスの肯定」なんです。性を肯定することはエネルギーを肯定することで、自分のエネルギーが他者と共有されることによってバウンダリー(自己と他者の境界)が崩れてなくなっていくんだ、という内容。それを英訳して『ChatGPT』に学習させて、「いま、君(AI)はアンドロイドとして1800年代に出来たパリ・シャトレ座のステージに立っている。君の後ろにはフランスのオーケストラが居て、日本の僧侶たちがこんな経典を唱えている。それに重なるように自分が歌う歌詞をつくるとしたら〜」みたいな詳細なプロンプトを書くと相当やばいテクストが数十秒で生成できる……こんなことを海外の取材で話していると「では、あなたはAIが進化して、私たち人類を滅ぼすところを見たいんですか!?」とかいう質問に帰着するのね。で、「申し訳ないんだけど正直言って非常に見たいんだよね」なんて言うとすごい盛り上がるんですけど(笑)。

岸:やっぱり西洋だと『ターミネーター』のようにAIやロボットを侵略者と捉えるイメージがあって、一方で日本には自立したロボットの物語が多いですね、『鉄腕アトム』や、『ドラえもん』のような。

渋谷:ドラえもんなんて押入れの中で寝ているしね。相当親しみやすい。あのノリはヨーロッパでは絶対ないんですよ、ロボットが押し入れで寝ているなんてあり得ない。あと、日本はほとんど自動だけど、たとえばフランスは自動ドアがほとんどなくて。だからテクノロジーにフィジカルに触れる回数が圧倒的に少ない。これは良し悪しだと思っていて、よく言っていることだと、日本ではどんなに疲れた顔をして歩いていても、歩道もドアも自動で動くから、何の意志がなくても前に進めるじゃないですか。これは議論やディスカッションの場でもそうで、日本ではあまり強固な意志は求められない。

 それに対してパリは大体の扉がめちゃくちゃ重いんですよ。バーンと押さないと開かない。建物が古いわけでもなく、地下鉄でもそうです。だから事実としても比喩としても、西洋で「扉を開ける」にはかなりの力で強引なことをしないと扉は開かなくて。さっき言ったような「日本人がオペラをやる」となったときに、アンドロイドやボーカロイドを使うということは、かなり強引に扉を開く、蹴り飛ばすようなつもりでやっているんです。

岸:「ブラックボックス化したテクノロジー」を面白がることのできる日本のアーティストだからこそ、普通だと開かない扉を蹴り飛ばせるのかなと、渋谷さんの過去の活動を見ても感じていました。

渋谷:あと、音楽家はテクノロジーにあまり拒絶感がないのかもしれない。多くの音楽家がコンピュータを使うけれど、専門的なプログラマーとかリサーチャーはすごく少なくて、ブラックボックスをブラックボックスのまま使っている。いまでも思い出すのは「MacOS 9」ってとてもエラーの多いOSで、クラッシュしやすくて、作業中に突然クラッシュして全てのアプリケーションやソフトが閉じちゃうのね。作っていたものは当然失われるんだけど、再起動するとゴミ箱に変なサウンドファイルが入ってて、これがいま作っている楽曲の音が切り刻まれてできたようなランダムなノイズで絶対に意図的には作れない。それで出来たファイルは楽曲制作にかなり使ったし、そのうちノイズをつくるためにわざとクラッシュさせるようになった。「なぜこれが起きているのか」はわからないけど「かっこいいから使う」というノリが音楽家にはあると思うし、それは日本人に限らず世界的に見てもそうだと思う。

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