『マリオカート ライブ ホームサーキット』にみる、任天堂の「現実とフィクションの境目を無くす」試み

『マリオカート』新作にみる任天堂の矜恃

一人の限界を超えた体験を生み出すための、コミュニケーションの「場所づくり」

 とはいえ、ただインターフェースにこだわるだけでは、あくまで没入感の高い体験を作り出すところで終わってしまう。それをより「濃い体験」へ仕上げるには、他にも必要な要素が存在する。それは、「他者とのコミュニケーション」である。一人で黙々とゲームをプレイして完結するのも勿論楽しいが、誰かの家で4人対戦をしたり、通信機能を使ってキャラクターを交換したり、プレイしている様子を隣で応援されたり、そうやって他の人々とゲームを通して繋がると、元々魅力的だったゲームが「現実の出来事としての濃厚な体験」となって遊び手の中に残っていく。だからこそ、任天堂は、インターフェースだけではなく、同時にコミュニケーションの「場所」を作ることを念頭に置いて、ハードやソフトを作り続けているのである。これもまた、ファミリーコンピュータが2つのコントローラーを同梱して、最初から2人プレイができる状態で発売されたように、昔から続く任天堂のコアの一つである。

 2020年、発売から6週で世界での総売上が1177万本という驚異的な数字を叩き出した『あつまれ どうぶつの森』も、このコミュニケーションへの取り組みの一つの象徴である(実はこのゲームのジャンル自体が「コミュニケーション」だ)。そして、この「コミュニケーション」は遊び手とゲーム内のキャラクター同士の交流というよりも、むしろ遊び手同士の繋がりを意味している。本シリーズでは、一つのソフトを共有することで同じ村に復数のプレイヤーが住むことができるので、一人の行動の様子を、村の様子やゲーム内のキャラクターの反応を介して、あとでプレイしたもう一人が知ることができる。そうやって、村とキャラクターを介してコミュニケーションをすることで、本作での体験がより特別なものになっていくのだ。本シリーズは、このゲームを介したプレイヤー同士の繋がりを軸に始まり、今ではオンライン技術の進化によって、世界中の人々がそれぞれの村を介して繋がるようになっている。(参考 : https://www.famitsu.com/news/202009/04205284.html

あつまれ どうぶつの森 夏CM2

 『マリオカート ライブ ホームサーキット』についてよく考えてみると、このゲームのプレイヤーは実際に走っているカートの様子を見ることはほとんどなく、基本的には常にNintendo Switchの画面を見ていることになる。では、誰が実際のカートを見ているのかというと、その観客ーーつまり、一緒にいる家族や友人であり、そこでは必然的にコミュニケーションが生まれることになる。観客側は、目の前で"本当に"繰り広げられているレースの様子を見て、応援したり、野次を飛ばしたり、プレイヤーのリアクションを楽しんだりするし、逆にプレイヤー側は、画面で起きていることを実況したり、上手くプレイが決まったらアピールしたりするだろう。友達同士で集まって大会を開くのもきっと楽しいはずだ。

 元々、「マリオカート」シリーズ自体が、多人数で遊ぶ楽しさに溢れるゲームとなっているわけだが、本作は家にサーキットを設置することで、ゲーム画面を見る遊び手と、実際のカートを見る観客によるコミュニケーションの「場所」を新たに作り出してしまう装置にもなっているのである。

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