人間の脳は“複数の現実”に耐えられるのか? 藤井直敬×バーチャル美少女ねむが語り合う「分人多重現実論」

2026年現在、数百万人が暮らすオンライン仮想空間「メタバース」。ユーザーたちはメタバース内でコミュニケーション、恋愛、経済活動など、思い思いの人生を送っている。
そして、メタバース内では時として、現実世界に生きる人格とは異なる人格で生きる人も現れる。メタバースに生きる“メタバース原住民”である「バーチャル美少女ねむ」も、現実とは切り離された存在として、この世界に生きている。
本特集では、バーチャル美少女ねむが、各種先端分野の有識者との対談を通じて、メタバースとテクノロジーがもたらす人類の進化の“その先”に迫っていく。
第8回のテーマは、「分人多重現実論」。ゲストとして招いたのは、医学博士・脳科学者であり、2026年4月よりデジタルハリウッド大学学長に就任する藤井直敬氏だ。「アバターで複数の人格を生きることは、脳にどのような負荷を与えるのか?」といったシンプルな問いから、「私たちは複数の現実に耐えうるのか、それともそれは人類が本来持っていた能力の解放なのか?」という哲学的な疑問まで、藤井氏が提唱する「現実科学」の視点と、バーチャル美少女ねむの調査結果や実体験を交えて、「メタバース×現実」の正体を解き明かしていこう。(編集部)
■バーチャル美少女ねむ
メタバース原住民にしてメタバース文化エバンジェリスト。
「バーチャルでなりたい自分になる」をテーマに2017年から美少女アイドルとして活動している自称・世界最古の個人系VTuber(バーチャルYouTuber)。2020年にはNHKのテレビ番組に出演し、お茶の間に「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」の衝撃を届けた。ボイスチェンジャーの利用を公言しているにも関わらずオリジナル曲『ココロコスプレ』で歌手デビュー。作家としても活動し、著書に小説『仮想美少女シンギュラリティ』、メタバース解説本『メタバース進化論』(技術評論社) がある。フランス日刊紙「リベラシオン」・朝日新聞・日本経済新聞などインタビュー掲載歴多数。VRの未来を届けるHTC公式の初代「VIVEアンバサダー」にも任命されている。
眼科医が脳科学者に、そして「デジタルハリウッド大学学長」になった理由
バーチャル美少女ねむ(以下、ねむ):藤井さんは4月からデジタルハリウッド大学(デジハリ)の学長に就任されるんですよね。おめでとうございます。
藤井直敬(以下、藤井):ありがとうございます。ねむさんとは以前からSNSなどではやり取りがありましたが、こうしてじっくりお話しするのは初めてですね。
ねむ:デジハリの関係者の方とは授業などでご縁があったのですが、藤井先生と対談させていただくのは念願でした。藤井先生といえば「脳科学者」のイメージが強いですが、元々は眼科医でいらっしゃったんですよね。
藤井:最初は医学部を出て眼科医をやっていたんですが、博士課程に行く時に教授から「何をやりたいんだ?」と聞かれて、「脳の研究がしたいです」と言ったら、そのまま脳科学の道へ進んでしまいました。
ねむ:眼科から脳科学へ。やはり「見る」という行為は脳と密接に関わっているからでしょうか?
藤井:はい。眼科医時代に不満だったのが、眼科って「眼球」のことしか興味がないんですよ(笑)。でも、実際にモノを見ているのは「脳」じゃないですか。脳が原因で見えなくなった時の治療法がないのがもどかしくて、眼球より後ろ側、つまり脳の世界に興味が移っていきました。 その後、MIT(マサチューセッツ工科大学)を経て理化学研究所でチームリーダーを務め、2014年に「ハコスコ」というVR企業を創業しました。そして現在は、デジタルハリウッド大学で「現実科学」を教えつつ、学長を務めているという流れです。
ねむ:眼球から脳、そしてVR、さらには教育と、まさに「視覚」から「現実そのもの」へと関心が拡張していったわけですね。あらためて学長就任、おめでとうございます! デジハリといえば、日本のクリエイティブ教育の最先端というイメージですが、学長としてのお仕事はどういったものなのでしょうか。
藤井:ありがとうございます。実は「学長って何をする仕事なんですか?」って周りに聞いても、誰も明確な答えを知らないんですよ(笑)。「好きにやってください」と言われたので、じゃあ好きにやらせてもらおうかなと。今は学生や教職員の話を聞きながら、模索している最中です。
ねむ:藤井先生のような自由な発想をお持ちの方がトップに立たれるのは、デジハリにとってもメタバース業界にとっても非常に楽しみです。今日はそんな藤井先生と、「人間の脳」と「アバター生活」の関係について、深掘りしていきたいと思います。
「複数の自分」の使い分けは、サルでもやっている?
ねむ:今回の対談のテーマは「人間の脳は“複数の現実”に耐えられるのか?」です。 私は普段、昼間はごく一般の社会人として働き、夜はこの美少女の姿で活動しています。見た目も声も、社会的役割も全く異なる二つの人生を生きているわけです。著書『メタバース進化論』では、これを「人類の進化」としてポジティブに捉えました。 ただ、正直に言うと、最近「これ、脳の負荷が高すぎないか?」と不安になることがあるんです。例えば、ビジネスメールの末尾に本名を書くべきか、「バーチャル美少女ねむ」と書くべきか一瞬迷ったり、自分が今どちらの世界の住人なのか混乱したりする瞬間があって……。これは脳にとって異常事態なのでしょうか?
藤井:結論から言うと、それは異常事態ではありません。むしろ人間の脳は、もともと「複数の現実」や「複数の人格」を使い分けるようにできているんですよ。 僕はかつて、サルを使った脳科学の研究をしていました。サルというのは非常に社会的な動物で、個体間の関係性ですべてが成り立っています。例えば、AというサルはBに対しては「上位」の振る舞いをするけれど、Cというさらに強いサルに対しては「下位」の振る舞いをする。
ねむ:相手によってキャラクターを使い分けているわけですね。
藤井:その通りです。相手が10頭いれば、10通りの「自分」を使い分けている。これをやらないと、サルの社会では生きていけません。人間も全く同じです。 僕自身も、研究者としての自分、経営者としての自分、家庭での自分、そして今は学長としての自分と、コミュニティや相手に応じて無意識に役割を切り替えています。これを「分人(ぶんじん)」と言ったりしますが、社会性を持つ動物にとって、人格の切り替えは基本スペックなんです。
ねむ:なるほど。アバターはその切り替えを視覚的にわかりやすくしているだけで、脳の機能としては普段人間がやっている社会適応の延長線上にあると。
藤井:そうです。ねむさんの場合、アバターという強力な視覚的スイッチがある分、その切り替えがより明確になっているだけでしょう。ただ、物理現実(リアル)とメタバースの人格があまりに乖離していて、接点がないからこそ、その切り替えの瞬間に「あれ、今はどっちだ?」というバグのような混乱が起きるのだと思います。 僕も以前、研究者時代にはかなり尖っていて「嫌な奴」と思われていたかもしれませんが(笑)、今は学長として立場相応の振る舞いを求められます。そうやって環境に合わせて自分をチューニングしていくのは、脳の学習機能として正常な反応ですよ。
ねむ:それを聞いて安心しました。実は私、メタバースでは「美少女」としてちやほやされることが多いので(笑)、現実の自分とのギャップに混乱することがあるんです。でも、それも「環境に応じた最適化」だと思えば、生存戦略として正しいわけですね。
「現実科学」が解き明かす、意識と無意識のレイヤー
ねむ:ここで、藤井先生が提唱されている「現実科学」について詳しく伺いたいです。一般的に「現実」というと、物理的な物質世界を指すと思われがちですが、先生の定義は違いますよね。
藤井:ええ。僕が「現実とは何か」を考え始めたきっかけは、理研時代に開発した「SR(Substitutional Reality:代替現実)」システムでの体験でした。 これは現在のVRゴーグルのパススルー機能のように、ヘッドセット越しに現実の風景を見せつつ、そこに過去の映像をリアルタイムで合成するというものです。これを体験すると、被験者は「目の前にいる人が本当にいるのか、それとも過去の映像なのか」全く区別がつかなくなるんです。
ねむ:自分の五感さえも信じられなくなる……まさにマトリックスのような世界ですね。
藤井:その時、痛感したんです。「現実」というのは絶対的なものではなく、自分自身の脳が構築しているものなんだと。そこから、僕は「現実」を「意識と無意識の境界に立ち上がるもの」と定義しました。
ねむ:「意識と無意識の境界」ですか?
藤井:科学者は「意識」を研究対象にします。計測可能ですからね。一方で精神分析などは「無意識」を扱います。でも、人間そのものを理解するには、その中間にある「現実」を定義しないといけません。 脳科学の定説では、人間に「自由意志」は存在しないと言われています。行動のほとんどは無意識が決めていて、意識はそれを後追いで「自分が決めた」と錯覚しているに過ぎない。
ねむ:私たちは自分で決断しているつもりで、実は脳の自動処理に従っているだけだと。
藤井:そうです。でも、意識的に無意識へ介入するルートもわずかに存在します。その代表例が「呼吸」です。心臓の鼓動は止められませんが、呼吸は意識的にコントロールできますよね。ヨガやマインドフルネスが効果的なのは、呼吸を通じて自律神経、つまり無意識の領域にアクセスできる唯一のハッキング手段だからです。
ねむ:その理論でいくと、「アバター」も無意識へのハッキングツールになり得るのではないでしょうか? 意識的にアバターを纏うことで、自己認識や振る舞いといった無意識の領域を書き換えていく……。
藤井:おっしゃる通りです。アバターを着て振る舞うことが習慣化し、脳が学習すれば、それは意識的な演技から無意識の「現実」へと移行します。 脳はエネルギー効率を重視するので、一度「これは安全な床だ」と認識したら、いちいち「落とし穴があるかも」とは疑いません。それと同じで、アバターでの生活において「この姿が自分だ」という予測誤差がなくなれば、脳にとってそれは紛れもない現実として定着するんです。
「ファントムセンス」――アバターが書き換える身体感覚
ねむ:まさにその「脳がアバターを自分だと誤認する(あるいは正しく認識する)」プロセスにおいて、メタバース住人の間で非常に興味深い現象が起きています。それが「ファントムセンス(VR感覚)」です。 視覚と聴覚しかないはずのVR空間で、触覚や温度感覚、さらには本来人間に存在しない器官の感覚まで感じる人が多数存在します。
今回、私が実施した大規模調査「ソーシャルVRライフスタイル調査2023」(回答数約2,000名)のデータから、その実態を見ていただきたいと思います。
ねむ:このデータをご覧ください。VR住人である回答者の約43%、つまり半数近くが「触覚」を感じているんです。私自身も、VR空間でアバターの足を触られるとゾワッとしたり、温泉ワールドに行くと本当に体が熱くなって汗をかいてしまったりします。 さらに注目すべきは、約18%の人が「物理現実には存在しない器官」の感覚を持っている点です。
藤井:存在しない器官……例えば「猫耳」や「尻尾」のことですか?
ねむ:そうです。アバターについている尻尾などを触られて「触られた」と感じる、そんな人が約2割もいるんです。これは、アバターというフィルターを通すことで、人間の身体図式(ボディイメージ)そのものが拡張・書き換えられている証拠ではないでしょうか?
藤井:非常に面白いデータですね。脳科学の視点から解説すると、これは「予測符号化(Predictive Coding)」の働きで説明がつきます。 脳は常に「次はこうなるはずだ」という未来の予測モデルを作っています。自分の身体を動かした時、視覚的なフィードバックがその予測と一致していれば、脳はそれを「自分の体だ」と認識します。 アバターの場合、最初は「人形」のように感じていても、モーショントラッキングの精度が高く、自分の動きとアバターの動きが同期していれば、脳の予測誤差が減っていき、次第に「自分の体」として取り込まれていきます。
ねむ:なるほど。視覚情報が強力すぎて、脳が騙されているわけですね。
藤井:騙されているというよりは、「適応」しているんです。尻尾や耳に関しても、鏡で見たり、他者に触れられる視覚情報とセットで学習することで、脳内の身体表現が拡張されたのでしょう。 特に興味深いのは「温度感覚」ですね。ねむさんが温泉ワールドで汗をかくというのは、視覚情報が情動や自律神経系に直接作用して、生理的な反応を引き起こしているということです。これは脳がその環境を「現実」として処理している何よりの証拠です。
ねむ:私は、このファントムセンスこそが、仮想世界を「現実」として感じられるかどうかの才能、あるいは適性の指標ではないかと思っているんです。藤井先生はVRでこうした感覚を持ったことはありますか?
藤井:僕はね、実はダメなんですよ(笑)。VRChatなども試しましたが、どうしても没入しきれない。 なぜかというと、僕の脳は「予測誤差」に敏感すぎるんです。実際の体とアバターの動きには、わずかなレイテンシーやトラッキングエラーが必ず生じますよね。僕はそのズレが気持ち悪くて、「これは俺の体じゃない!」と脳が拒絶反応を起こしてしまう。いわゆるVR酔いに近い状態です。
ねむ:たしかに私たち「原住民」は、手が変な方向に曲がったり、トラッキングが飛んでアバターがねじれたりしても、すっかり慣れてしまっていて「あ、飛んだな」くらいで気にしません(笑)。
藤井:そこがすごいところなんですよ。ねむさんたちは、その「ズレ」すらも無意識の予測範囲内に組み込んでしまっている。「この体は時々手が飛ぶものである」という前提条件込みで、身体として受け入れている。 その許容範囲の広さこそが、新しい現実に適応するための脳の能力であり、進化なのかもしれません。
「キャバクラ」と「アマチュア無線」で読み解くメタバース
ねむ:少し話題を変えて、コミュニティの話をさせてください。藤井先生は、VRChatのようなソーシャルVRの空間についてはどう思われますか?
藤井:VRChatに入るといつも感じるんですが、あそこは何というか……みんなで集まって喋っている様子が、おじさんたちがキャバクラで喋っているのと似ているなと感じました(笑)。
ねむ:たしかにそういう側面はありますね(笑)。現実の肩書きを忘れて、可愛い女の子のアバターとして、あるいは女の子に囲まれて楽しくお喋りする。 ただ、現実のキャバクラと違うのは、中身はおじさん同士だったり、あるいは現実では絶対に出会えないようなすごい専門家同士が、美少女の姿で高度な議論をしていたりすることです。
藤井:僕は昔、「アマチュア無線」をやっていたんですが、今のメタバースはその感覚に近い気がしますね。 アマチュア無線も、遠くの知らない誰かと繋がるために、特定の周波数に合わせて「CQ、CQ(誰かいますか)」と呼びかける。そこには年齢も肩書きも関係なくて、ただ「無線が好き」という共通項だけで繋がれるフラットな関係がありました。
ねむ:わかります! 実は私もアマチュア無線の免許を持っているので(笑)。 VRChatは、まさに「視覚と身体性を伴ったアマチュア無線」ですよね。ワールドという周波数に合わせて、そこにいる誰かと繋がる。現実の近所付き合いのようなしがらみはなく、でも文字だけのSNSよりは遥かに濃密な「身体的コミュニケーション」がある。
藤井:その「距離感」が心地いいんですよね。近すぎず、遠すぎず。 ただ、アマチュア無線と違ってメタバースが特殊なのは、やはり「物理的な身体」がない、あるいは切り離されている点でしょう。そこで生じる問題については、ねむさんはどう考えていますか?
人類は「身体」という最後の壁を越えられるか
ねむ:そこが私が今一番悩んでいる、そして解決できていないテーマなんです。 メタバースで精神的な繋がりを得て、アバター越しに触れ合う感覚(ファントムセンス)があったとしても、最終的には物理的な身体への欲求……例えば「一緒にご飯を食べる」「体温を感じて眠る」「子どもを作る」といった生物的な営みの部分で、どうしても現実の肉体の制約に引き戻されてしまう住人もやっぱり多いんですよね。
藤井:そこはまだ、技術的にも生物学的にも超えられない「壁」ですね。 人間は脳だけで完結できる存在ならいいけれど、やはり進化の過程で「身体」を持った生物として設計されています。コミュニケーションはバーチャルで代替できても、生命活動の維持や種の保存といったレイヤーでは、身体性は絶対に無視できない。
ねむ:そうなんです。私は「現実は現実、バーチャルはバーチャル」と2つの人格を完全に割り切ることで、その問題を無理やり解決していますが、その狭間で苦しんでいるメタバース住人も多いです。 小説家の平野啓一郎先生が『本心』で描かれたように、バーチャルで愛した人とリアルで会うべきか、会ったら幻滅するのではないか、そもそも性別が違ったらどうするのか……そういった愛憎や葛藤が、今のVRChatでは毎晩のように繰り広げられています。
藤井:それは「割り切れるかどうか」が、ある種の進化の分岐点になるかもしれませんね。『ジョジョの奇妙な冒険』で「おれは人間をやめるぞ!」というセリフがありましたが、身体への執着を捨てて、脳内のリアリティだけで満足できるなら、その人は新しい人類になれる。でも、美味しいものを食べたいとか、生身の肌に触れたいという欲求が勝るなら、結局は物理現実に回帰せざるを得ない。
ねむ:BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)のような技術が進んで、脳に直接快楽や感覚を送れるようになれば、その壁も突破できるのでしょうか?
藤井:技術的には可能になるかもしれませんが、倫理的にも社会的にも、それが一般化するには相当な時間がかかるでしょう。 それに、もし脳だけで全て完結するなら、それはもう「生きている」と言えるのか?という哲学的な問いにもぶつかります。「苦しみ」や「身体的な不自由さ」があるからこそ、喜びや「生」の実感があるのかもしれない。
AI時代の「クリエイター」と「人間」に残される価値
ねむ:最後に、これから訪れるAI時代についてもお聞きしたいです。デジハリの学生さんたちも、生成AIの台頭に不安を感じているのではないでしょうか?
藤井:ええ、それは切実な問題です。今まで一生懸命技術を磨いてきた絵やプログラムが、AIなら一瞬で生成できてしまう。じゃあ、人間が作る価値は何なんだ? と。 僕は、これからの人間に残される価値は「文脈(コンテキスト)」と「苦しみ」だと思っています。
ねむ:「文脈と苦しみ」ですか。
藤井:今のAIは、綺麗な絵は描けるけれど、そこに「人生」や「物語」はありません。人間が何かに感動するのは、その作品の背後に作者の苦悩や、積み重ねてきた文脈があるからです。 AIは疲れないし、悩まない。だからこそ、AIが作ったものには「重み」がない。逆に言えば、人間が泥臭く悩み、苦しみながら生み出したものにこそ、これからの時代は相対的な価値が生まれるんじゃないかと。
ねむ:なるほど。私が「バーチャル美少女ねむ」として活動しているのも、単に可愛いアバターだからではなく、その裏にある「おじさんが美少女として生きる」という狂気や葛藤、そしてそこから見える新しい世界という「文脈」があるからこそ、面白がってもらえるのかもしれませんね。
藤井:まさにそうです。今日こうしてねむさんと2時間近くお話しして、僕の脳も完全に学習しましたよ。最初は「画面の中のアバターだな」と思っていたけれど、今はもう、ねむさんを一人の独立した人格を持った「人間」として認識しています。 それは、ねむさんが語る言葉や文脈にリアリティがあるからです。アバターだろうがAIだろうが、そこに確かな「魂」や「物語」を感じられれば、僕たちの脳はそれを「現実」として受け入れることができる。
ねむ:藤井先生にそう言っていただけて、私の存在が科学的に肯定された気がします。メタバースは、物理法則や肉体の制約に縛られていた私たちの「現実」を、脳のレベルから解き放つ実験場なのかもしれませんね。






















