『Tシャツが乾くまで』はなぜ共感を“裏切った”のか “分からない”まま終わる意味

そして最終話、本作は人物だけでなく、人と人との「関係」にも簡単な答えを与えなかった。咲子と充は離婚する。しかし、完全に別れるわけではない。物語のラスト、うれしそうに煮物を作る咲子が家に迎え入れた人物は、おそらく充だろう。
最終話のタイトルは、「名前のない関係になるまで」だ。最終回には、そのタイトルを象徴するような光景がある。充が瀬尾家を出たあと、咲子は樹生、翔(久保田薫)と一緒に花火をする。その姿だけを切り取れば、まるで家族のようにも見える。そして、ミシンを見た樹生に何を作っているのかと聞かれ、「翔君が小学校で使うものを、何か作りたくて。いいですか?」と尋ねる。樹生は「助かります」と、ごく自然に受け入れる。二人の関係にも、最後まで、視聴者が安心して当てはめられる名前は用意されなかった。

考えてみると、名前をつけることもまた、相手や関係性を「分かる」ための行為なのかもしれない。「夫婦だから」「家族だから」「友人だから」と名前をつければ、その関係がどういうものなのか理解したような気になれる。
共感することで、人の気持ちを「分かった」と思う。考察することで、物語の答えを「分かった」と思う。名前をつけることで、関係性を「分かった」と思う。『Tシャツが乾くまで』は、そのどれにも最後まで安住させてくれなかった。
振り返れば、SNSに見られた「裏切られた」という感覚さえ、この作品を見る体験の一部だったように思えてくる。私たちは約3カ月、登場人物たちを理解しようとし続けた。咲子に共感し、樹生に共感し、充とあずさの関係を考察した。そして「分かった」と思うたびに、その先に知らない顔が現れた。「考えれば分かる」と思っていた物語が、第8話以降、「考えても分からない」ものへと変わっていった。その変化こそが、「共感できない」を超えて、「裏切られた」という感覚につながったのではないだろうか。
放送前、生方は本作について「共感や感動を目指した物語ではない。人間観察の感覚で楽しんでほしい」とコメントしていた(※)。全話を見終えた今、この「人間観察」という言葉が改めて意味を持つ。

もっとも、多くの人が納得し、共感できる結末を選ぶこともできたはずだ。それでも、本作はそうしなかった。一度は「分かる」と思わせながら、その理解からするりと抜け出していく。その先に残ったのは、「分からない」という感覚だった。
けれど、人間は本来、それくらい分からないものなのかもしれない。「分からない」を解消して物語を閉じるのではなく、その感覚を残したまま終わる。だからこそ、物語が終わったあとも彼らについて考えてしまう。分からないものを、分からないまま見つめ続ける。それこそが、生方の言う「人間観察」であり、本作の挑戦だったのではないだろうか。
参照
※ https://www.tbs.co.jp/tshirt_ga_kawakumade_tbs/about/
■配信情報
金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』
U-NEXT、Netflix、TVerにて配信中
出演:蒼井優、中島歩、高橋文哉、齋藤飛鳥、庄司浩平、飛永翼、久保田薫、夏帆、臼田あさ美、リリー・フランキー、松山ケンイチ
脚本:生方美久
演出:土井裕泰、塚本連平、小牧桜
音楽:haruka nakamura
主題歌:スピッツ「見知らぬ糸」(Polydor Records)
プロデューサー:千葉行利、宮川晶
製作:ケイファクトリー、TBS
©TBS
公式サイト:https://www.tbs.co.jp/tshirt_ga_kawakumade_tbs
公式X(旧Twitter):@tshirts_tbs




















